私のこと : 資格を取得したら安定して稼げる病に罹った過去
◆私の20代の履歴書
私は九州の田舎から、上京して、新卒でIT派遣会社に入りました。
非常に忙しく、スキルを付けたり、自分の人生や、未来について考える暇はなく、ついにパワハラが酷い派遣先に当たり、精神的に参ってしまい、休職ではなく、思い切って退職します。
今思えば、心療内科を受診して、傷病手当をもらいつつ、休む期間が必要だったなと思います。
私はやる気がない酷い怠け者だと思いこみつつ、生まれて初めて情けないながらも親の援助を受け、半年休んで、27歳で再び就職活動。
私はプログラミングの才能がないし、IT系は個人的には残業してなんとか業務が回っている世界だったので、合わないと思い、次は事務系の仕事を選びました。
◆30歳目前の「持たざる者」の焦燥感
事務系の仕事は、仕事自体には満足していましたが、正直なところ、狭い人間関係で、働く同僚たちに不満が充満しており、ストレスを感じていました。
そして、私が30目前になって、何のスキルも無いということに、非常に焦りを覚えましたし、20代でやり直しがいくらでもきくうちに、沢山チャレンジして、失敗するということをしていなかったので、自分はなんて馬鹿なのだと思いました。
そして、何かの資格を取りさえすれば将来安泰だ!という何とも安易な呪いに取り憑かれ、社会保険労務士の専門学校に3回入って、土日に通い、疲弊。結果、3回ドロップアウト。貯金が大幅に減っただけでした…
全く向いていないくせに、意地になって、社会保険労務士を目指す人を採用している税理士事務所に滑り込み、実力主義の世界についてゆけず、そこのルールに合わせられず、私にとっては非常にストレスフルな環境だったので、7ヶ月ほどで辞めました。1年続いている人があまりいないような環境でした。
◆働くとは?稼ぐとは?
そして、その後はブラック企業を渡り歩き、精神的に参ってしまうことが続き、最後の会社を休職の末、無理矢理復帰しようとしましたが、夫の説得もあり、辞めました。
とにかく働かなければ!世間一般で言う、正社員というまともな身分で労働して毎月の安定収入を得なければ!というお金の不安が常に付き纏っていました。
最後の会社を辞めた直後、がんに罹って闘病していた田舎の父が亡くなります。
とにかく母の側にいてあげたい。
四十九日を迎えるまで田舎にいました。
ここで立ち止まる時間が出来たので働き方について、自分の人生について、深く考えるようになりました。
◆コロナ禍で大きく変わった人生
その直後にコロナ禍になり、夫が在宅勤務になり、私は家で主婦をしばらくやっていました。
それまでの夫は朝6時に起き、都内へ出勤。
帰宅は23時と言う生活でした。
在宅勤務は10時前にゆったりと起き、夜19時に電車の帰宅ラッシュを気にしなくていい生活。
そして夫は2019年から人生について考えていたようで、ある日、「農家になりたい」と、言われます。
コロナ禍に入る前から家庭菜園用の畑を借り、ボランティアで農家のお手伝いをしたり、行動していたことは何となく知っていました。
私は「最低限の生活費が稼げるならいいよ」と、夫の今後の進路を肯定しました。
そして夫は農家として独立すべく調査に調査を重ね、1年の農業法人での実務研修を経て、個人事業主として独立します。
農業の参入障壁が高いのは、実務研修を経ているかどうかです。あとは色々ありますが、別の記事で語ろうかな〜と思います。
自治体によって、どの程度の期間の実務研修が必要か変わってきますので、要調査なのと、何を作るかによって設備投資費も変わってきます。
ちなみに農業大学校という恵まれた設備の中で農業を効率よく学べる学校もありますが、
夫は費用が捻出できなかったので行っていません。
ただ、ひたすらに調査→行動の繰り返しをして、ベテランの農家さんから学ぶことを繰り返していたなと思います。
お金をかけなくても、今できる最大限をしていました。
そこは私も見習うべきところです。
そして、最悪元SEなので、プログラミングスキルを使ってどうにか稼げるという安心感もあったのかなーと思います。
長年お世話になっている、女性敏腕経営者の美容の師匠にも言われたことですが、
「今できることをやる」
それを胸に刻み込み、私も一歩ずつ前を見て歩いています。