![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/112663330/rectangle_large_type_2_b8035c6e08d477a827d728f14923d51c.png?width=1200)
【謎2】 例外的な聖人崇敬とは?
以前の記事で、プロテスタントは「聖人崇敬(聖人信仰)」に否定的だと話しました。
けれどもプロテスタント系には、英国国教会(聖公会)をはじめ、聖人崇敬を認めている宗派があります。それについて解説を致します。
また今回、新たに届いた参考書を読んで、驚きの発見があったので、ここに記載します。
■聖人崇敬とは?
基本、これはカトリックの概念となります。ローマ・カトリックには、教皇管轄の【列聖省】が存在し、世界中から「聖人認定」を求める届け出があるそうです。今回は「聖人」とされるまでの基本的な流れをご紹介します。
以前の記事でも書きましたが、聖人崇敬は【死後】です。ここだけは押さえておかなければなりません。
![](https://assets.st-note.com/img/1691222265351-je0jB05Yc6.png?width=1200)
生者を【聖人】扱いするのはキリスト教会が異端視してきた別の宗教です。
生きている人間を「聖人・聖女」と表記しているコンテンツを最近は多く見かけますが、これは「キリスト教以外の宗教をモデルにしている」と考えましょう。最近は【女神信仰の世界を舞台とした聖女モノ】がかなり多いように感じます。
「死後~列聖」までは、主に5段階です。
1 ■ 調査対象の人物が亡くなる
2 ■ 神のしもべ・しもめ = 聖人調査段階
3 ■ 尊者 = 英雄的・福音的な人生と認める
4 ■ 福者 = 列福。聖人の前段階。
5 ■ 聖人 = 列聖。死後の奇跡が認められる。
わかりやすく図解しますね。
![](https://assets.st-note.com/img/1691279136677-PKSHxRmUEI.png?width=1200)
なぜこんなに「複雑なのか」というと、勝手に聖人を名乗られたり「非公式の聖人崇敬が横行しては困るから」です。聖俗区分については、カトリック教会は厳格です。
さて、図解の【奇跡①・②】とはなんでしょうか。
病床の方が【福者・尊者】に祈りを捧げたことで病状が回復した等「医学的・科学的説明がつかない事象」を指します。
列福・列聖は「奇跡」ありきです。
主に三つの原則があります。
列福・列聖の原則
1 ■ 列福には基本「尊者を介した奇跡」が必要です。
2 ■ 殉教者の場合には、奇跡不要で【列福】されます。
3 ■ ただし殉教者であっても【列聖】には必ず奇跡が必要です。
殉教とは? = 信仰を貫いて、迫害などにより亡くなること。
さて。かのマザーテレサも「列福→列聖」までの期間があります。
■マザー・テレサ
2003年、ヨハネ・パウロ二世により、列福。
2016年、フランシスコ教皇により、列聖。
列聖されるまで多くの段階を踏まなければならないのだとを覚えておくと、キリスト教社会や、キリスト教を扱う作品の背景を理解しやすいでしょう。
【注意】 列聖されず、福者もしくは尊者のまま留まる人もいます
第二次世界大戦時の【ローマ教皇 ピウス12世】は、ホロコーストに異を唱えなかった等の理由で未だに列福されていません。
ピウス12世を、ベネディクト16世が2009年に「尊者」にしましたが、批判があります。一方でピウス12世は密かにユダヤ人を匿っていた事実なども知られるようになり、今後の研究次第ではどうなるかは分かりません。
聖人認定までの詳しい経緯については【聖パウロ女子修道会(女子パウロ会)】のサイトが、非常に詳しく分かりやすいので、興味を持たれた方は是非ご参照ください。おすすめです。
https://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_refukuresei.php
■英国国教会(聖公会)の聖人崇敬
聖人崇敬を認めていますが、いくつかの注意点があります。
前回はここまで掘り下げられなかったので、ここで更に詳しく解説します。以下の【2項目】をご覧ください。
1 ● 宗教改革以前の【聖人】は認めている。
2 ● 新たな聖人を認めるのは【例外】である。
![](https://assets.st-note.com/img/1691224073863-UJqXPQw4Qz.png?width=1200)
英国の宗教改革では、クランマー大主教により「教会暦の整理と聖人の大幅な削減」がされています。
重要なことなのでもう一度。
聖公会は、聖人崇敬を認めているけれども、宗教改革時に「整理と削減」がされており、改革以降の新たな聖人認定は例外的なのです
では、宗教改革以降の【 2 ● 例外的な認定】とは?
英国国教会が例外的に認定した聖人を見てみましょう。新しく届いた参考書を読んで、吃驚しました。
なんとローマ・カトリック側の、コルベ神父、ロメロ大司教です。宗派の垣根を越えて、崇敬を集めている方々です。
■コルベ神父
コルベ神父はカトリックの司祭です。日本にも宣教に訪れています。帰国後にナチスに捕らえられ、アウシュビッツ収容所に送られてしまいます。
ある父親の身代わりとなって殉教されました。1971年にパウロ6世によって列福、1982年、ヨハネパウロ2世によって列聖。
■ロメロ大司教
中米・エルサルバドルの、カトリックの聖職者です。内線の最中、暴力的な右派政権に対抗し、貧しい人々に寄り添いましたが、暗殺されてしまいます。2015年にフランシスコ教皇によって列福、2018年に同教皇によって列聖されました。
■ルーテル教会、メソジスト教会の聖人崇敬
カトリック教会には「列聖省」が存在しますが、プロテスタント教会には「聖人を認める機関」がそもそも存在しません。そのため英国国教会(聖公会)でも【例外的】となります。
では、英国国教会(聖公会)以外のプロテスタント教会が「聖人」を全く信仰しないかというと違います。
■ルーテル教会
手元の参考書には「ルーテル教会は、宗教改革前の聖人は認めているし、マリア崇敬もしている」と表記があります。ネット上でもそのような表記を度々見かけます。私も「そうなんだ~」と思っていたのです……。
ルーテル派クリスチャンや教会関係者の口コミや投稿を見てみると
「ルーテル教会にマリア像は無かった」
「聖人崇敬は無かった、聞いたこともない」
「いや、聖人崇敬ありますよ」
と、まとまりのない投稿が散見されます。
![](https://assets.st-note.com/img/1691225490493-JOZW19obfQ.png?width=1200)
ルーテル教会という同じ枠組みの中にあっても、通っている教会によって「マリア崇敬・聖人崇敬(信仰)」が異なるようです。
プロテスタント宗派には基本「教会首長」や「教皇」が存在しませんから「信仰が同一ではない」という意見が上がっていても、不思議ではありません。これも「プロテスタント的」といえるのかもしれません。
■メソジスト教会
メソジスト派は英国国教会から枝分かれしたプロテスタント宗派です。
ジョン・ウェスリーは当時、腐敗を極めていた国教会の改革を求め、馬で巡回、野外説教を行ったことで知られます。
メソジスト派は【典礼】を重視するグループが聖人を信仰しています。
殉教者も「聖人」と呼んでおり、ボンヘッファー牧師とキング牧師を崇敬しているそうです。これにはとても驚きました。
■ボンヘッファー牧師
ドイツの牧師。ルター派の神学者。第二次世界大戦中、ナチスに反発。ヒトラー暗殺計画に加わったとして捕らえられ、刑死されました。
■キング牧師
アメリカで、非暴力による人種差別撤廃を訴えた、バプテスト派の牧師です。1964年にノーベル平和章を受賞。1968年に暗殺されました。
■【典礼】とは?
典礼とは、キリスト教の【礼拝・儀式】のことです。
■カトリックは典礼主義です。様々な儀式が存在します。聖人を敬う礼拝にしても、エクソシストにしても、これらは典礼主義、カトリックの大切な儀式なのです。
■プロテスタントが重要視するのは【聖書】と【個人的な信仰心】です。礼拝でもなく、聖人でもなく「神を信じる御心が一番」という点が特徴です。
「カトリックとプロテスタントは歩み寄っている」という記載を時々見かけますが、実際はどうなのでしょうか。2021年、バチカンニュースに記載された、フランシスコ教皇の言葉が私は特に印象的でした。
教会の歴史には、公的な典礼の霊的重要性を認めない内面主義的なキリスト教への誘惑が時々見られた、と教皇は述べ、しばしばこうした傾向は、宗教的純粋性の行き過ぎた主張のもとに、外面的な儀式に重きを置かず、公的典礼を無用な重荷、あるいは有害とみなす態度であった
教皇が何を仰いたいか、なんとなーくお察しいただけたかと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1691226381136-ovaZXTUIJw.png?width=1200)
前のエピソードで説明した、英国国教会内の【ハイチャーチ or ローチャーチ】と併せてご考察ください。
【追記】英国国教会の大主教と、カトリックのローマ教皇との関係は現在良好です。同じ場所を訪問視察したり、ローマ教皇の声明に、英国国教会の大主教が賛同の意を表したりしています。英国国教会はプロテスタントという枠組みにありながら、カトリックの要素が強いためではないか、と私は考えています。中身は殆どカトリックです。聖職者が結婚できるか否かという点を除いて。
参考書
『今さら聞けない!? キリスト教:礼拝・祈祷書編:ウィリアムス神学館叢書Ⅰ』
吉田 雅人著/教文館/二〇一九年八月
『今さら聞けない!? キリスト教:キリスト教史編:ウィリアムス神学館叢書Ⅲ』
菊地 伸二著/教文館/二〇一九年九月
『今さら聞けない!? キリスト教:聖公会の歴史と教理編:ウィリアムス神学館叢書Ⅴ』
岩城聰著/教文館/二〇二二年五月
『キリスト教とホロコースト―教会はいかに加担し、いかに闘ったか』
モルデカイ パルディール 著/ 松宮 克昌 訳/柏書房/二〇一一年五月