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Phum Viphurit 『Manchild』ライナーノーツ


アーティスト:Phum Viphurit
タイトル:Manchild
レーベル:Lirico / Inpartmaint
品番:LIIP-1531
発売日:2018年3月18日(日)
作品詳細:http://www.inpartmaint.com/site/23049/

昨年の11月、台湾の古都、台南で「LUCfest」という音楽フェスティヴァルがひっそりと開催された。アメリカのサウス・バイ・サウスウエストやイギリスのザ・グレート・エスケープを意識したショーケース型のフェスで、それが第1回目の開催だった。もちろん上記の有名フェスとは比べ物にならないほど小規模なものだったが、台南の複数の会場で、台湾のアーティストを中心に、マレーシアやタイなどから招かれたバンドの熱の込もった演奏が3日間にわたって繰り広げられた。

ライヴ以外にもさまざまなカンファレンスのプログラムが組まれ、ニューヨークのCaptured TracksやニュージーランドのFlying Nun Recordsのレーベル主宰者やマネージャー、イギリスのグラストンベリー・フェスティヴァルのブッキング担当者から東南アジアや中国の音楽業界の関係者が多数招かれた。そのなかでぼくが出席したのが、「Diving into the Music Industry of Thailand」と題されたタイの音楽シーンを紹介するカンファレンスだった。近年、タイではいわゆるタイポップのイメージを覆すような良質なインディー・バンドが数多く台頭してきており、国家の経済成長とともに音楽産業も急速に発展している。イエロー・ファング、デスクトップ・エラー、ジム・アンド・スイムといったバンドがサマーソニックに出演したり、来日ツアーを行ったりするとともに、近年では日本のバンドやアーティストがタイをツアーしたり、音楽フェスティヴァルに招かれたりするケースも急増している(実際、そのカンファレンスがあった日の前日にはトクマルシューゴのバンコク公演が開催されていた)。こういった類のカンファレンスは過去に何度か参加したことがあったが、比べ物にならないほどポジティヴな雰囲気を感じとったぼくはタイの音楽シーンにますます興味が湧いていった。

その夜、ライヴを目撃したとあるタイ人アーティスト、それが本稿の主役であるプム・ヴィプリットだ。それまではまばらだったライヴハウスには、彼の出番の直前にはどこからか人が押し寄せてきた。ショーケース然とした雰囲気はすぐさま期待感と熱気が充満する空間へと変化していた。ぼくは思わず近くにいたフェスの主催者に聞いた。「この人は台湾で人気があるの?」。「数週間前にフェスのプロモーションのためにSNSで彼を紹介したらものすごい反響があったの。このライヴでのオーディエンスの反応にはとても興味があるわ」。ステージに現れたのは原色の奇抜なファッションの青年。小柄な体格が多いタイ人のなかでは珍しい180cmを越える長身。エレクトリック・ギターの弾き語りというソロ・セットで6-7曲が演奏されたが、誰かのライヴを観て、ダイヤモンドの原石を見つけたような感覚を抱いたのははじめてのことだった。ライヴ中に目があったフェスの主催者もきっと同じようなことを考えていたのだろう。「来年、台湾で彼のアルバムのリリースとツアーを考えてるの。日本も協力して何かできるといいわね」というライヴ直後の会話からはじまり、フェスのアフターパーティー時にはより具体的なビジネスの話に発展していた。その結果がいま手にとっていただいているCDというわけだ。

バンコク在住のシンガー・ソングライター、プム・ヴィプリット。本名ヴィプリット・シリティップ。1995年バンコクに生まれ、9歳のときに家族とともにニュージーランドのハミルトンに移住し、それから高校卒業までを過ごす。ニュージーランドでの異文化経験が彼の感性を培った。物心ついたときからMTVに夢中だったという彼が最初に人前で歌ったのは小学校のとき。歌のコンテストに出場し、見事優勝した。15歳のときにクリスマスプレゼントで母親に買ってもらったドラムセットが彼にとって最初に手にした楽器だった。その後、ヤマハのアコースティック・ギターを手に入れたプムは本格的に音楽にのめり込む。高校時代にはジャズの聖歌隊に加入したことでジャズやソウル・ミュージックの影響を受けた。スティーヴィー・ワンダー、フランク・シナトラ、レイ・チャールズなどの楽曲に親しみ、ソウルフルでファンキーな名曲から学んだことは現在の彼の根幹をなすもののひとつだ。そして同時期に出会ったマック・デマルコ、ボン・イヴェール、ドーター、ボンベイ・バイシクル・クラブといったシンガー・ソングライターやバンドにも影響を受けたという。18歳のときにオリジナルの曲作りをはじめた彼は同時期に自身のYouTubeチャンネルを立ち上げ、様々なカヴァー曲をアップしはじめた。アウトキャスト、コーダライン、スティーヴィー・ワンダー、ドーターというカヴァー曲のチョイスからも彼の音楽的興味の幅広さを感じさせる。なお、YouTubeを探せばまだプム・ヴィプリットとして活動する前の高校時代の初々しいステージも発見できるだろう。

高校を卒業後、プムは大学進学のためにバンコクに戻る決断をした。大学では映画を学び、現在も在学中のようだ。バンコクに戻ってから知り合った地元のバンド、ザ・ホワイテスト・クロウのメンバーの後押しもあって、バンコクのレーベルRats Recordsにデモを送ったことがきっかけで、2014年、19歳のときにシングル「Adore」でデビュー。ニュージーランド時代の親友たちに対する別れの歌として作られたこの曲は、デビュー・シングルでありながらフレッシュさよりも成熟さを感じさせるブルージーなインディー・フォークだった。その後、2015年〜2016年の初夏にかけて「Trial and Error」「Run」「Strangers in A Dream」というシングルをリリース。その年の夏にはデビュー・アルバム制作のために必要な資金をクラウドファンディングによって調達した(プロジェクトが失敗におわっていた場合、フル・アルバムではなくEPとしてリリースすることになっていたらしい)。ゲスト・ヴォーカルとしてバンコクのフォーク・バンド、ジェニー&ザ・スキャリーワグスのジェニファー・ラックグレンをフィーチャーした美しいバラード「The Art of Detaching One's Heart」のリリースを挟んで、2017年1月、プム・ヴィプリットのデビュー・アルバム『Manchild』がリリースされた。シングルとしてリリースした5曲を含む全9曲は、ニュージーランドからタイに戻ってからの2年間(19歳から21歳)という彼にとっての人生の転機とも言える重要な時期を切りとったドキュメントとしてのアルバムだ(国内盤には1曲ボーナストラックを追加)。リリックは実体験が綴られ、喜びがあれば悲しみがあり、葛藤があれば混乱がある。プムいわく、「ぼくのちいさな日記を他人に覗き見させたような作品」。アルバム・タイトルの「Manchild」は大人でもなければこどもでもない、誰しもに訪れる独特な時期を表している。

本作をタイ国内のみならず国際的な成功へと導いたのはアルバム収録曲「Long Gone」のミュージック・ヴィデオによるところが大きいと言えるだろう。2017年の6月に公開され、タイのみならず、中国で、台湾で、そして日本や欧米でバイラル的に広まり、公開から半年余りで200万回以上再生されている(本原稿執筆時点で約240万回)。このストリーミング時代においては国境は関係ない。たとえ東南アジアからであっても、その音楽が良質であれば広がりうるということ。今回はだいぶ遅くなったが、遅かれ早かれレーベルの目に止まってこうして国内でライセンス・リリースされる。そもそももはやレーベルすら必要とせずアーティストとリスナーが直接つながることができる道はいくつも用意されている。「The Art of Detaching One's Heart」のミュージック・ヴィデオもそうだったが、「Long Gone」のミュージック・ヴィデオは大学で映画を学んでいるプム自身が監督を務めて作られている。90年代後半から2000年代はじめのタイ・ミュージックの派手なミュージック・ヴィデオに対するオマージュ/パロディーとして制作され、撮影にはプムが通う大学のキャンパスが使われている。そして主演を務めるキュートな女の子は、プムがバンコクに戻ってシンガー・ソングライターとしての活動をはじめたころからの最古参のファンの子を招いたという。女の子がカセットテープを再生すると夢にみたアーティストが目の前に現れるという設定。最終的にはそのアーティストは黄昏時に消えてしまう(つまり「Long Gone」)。プムとファン・ガールによるキュートなダンスとレトロ・ファッション、そのノスタルジックな映像の魅力と、アーバンさすら感じさせるドリーミーでファンキーなトラックの魅力が相まったまさにアンセムと呼ぶにふさわしい1曲だ。

タイの音楽リスナーはタイ・ミュージックを聴く人が大半だが、プム・ヴィプリットの夢はそんな人々の意識の変革を促すこと、そしてタイのインディー・シーンをより国際的なものに発展させることだという。この輝かしいデビュー・アルバム『Manchild』とともにはじまったプムのサクセスストーリーの先には、きっと豊潤なシーンが育まれていることだろう。

2018年2月22日 大崎晋作(Lirico)


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