人の可能性が産声をあげる時
「バブー!」
うちの愛娘の口癖だ。
正直に白状すると、生後8ヶ月の赤ちゃんが本当に「バブー!」と口にするなんて思ってもみなかった。How are you?に対してI'm fine, thank you.と返すネイティブなどいないように、バブーと発する赤ちゃんなんて日本にはイクラちゃんただ一人だと思っていたのだ。
それが蓋を開けてみたらどうだ、この白くて丸くてふわふわの生き物は四六時中バブバブ言ってる。しかもバリエーションも豊富だ。
「バブ(遊んでくれない?)」
「バーブ(何これ?)」
「ブバ!(楽しい!)」
「バブバブ(いい加減ほっといてくれませんか)」
言語を通じたコミュニケーションの実に90%が「バ」と「ブ」だけで構成され、当然のことながら我が家での彼女のあだ名は「バブ子」。昨今の若者言葉に「バブみが深い」という表現があるが、我が家の空間は深いどころでは飽き足らずバブみに染まっている。
思い込みに囚われた世界
要は「赤ちゃんがバブーと言うのは幻想だ」という思い込みが、実際に赤ちゃんと住んでみて初めて打ち破られたという体験だ。子どもを持つことがなかったら、死ぬまで「赤ちゃんがバブーと言うのは幻想だ」と思い込んだまま過ごしていたに違いない。
バブー問題のようなカジュアルな話題であればただの小噺で済むかもしれないが、こういった思い込みは日常生活のあらゆる場面に潜んでいるから気軽に笑い飛ばして終わるわけにはいかない。特に思い込みによって自分自身の可能性に蓋をし、自分らしい人生という世界線から外れてしまう事態は何としても忌避したいことは、多くに人に賛同いただけるのではないだろうか。
本心ではやりたいにも関わらず「自分にはできっこない」という思い込みによって自らの可能性に蓋をする。過去の自分にもそんなことがあった。
学生時代、外資系企業でインターンをした。さすが外資系、当然ながらオフィスには日本人だけでなく外国人もいる。自分はてんで英語がダメだったが、インターンは日本人としかやりとりをしないとのことで安心して初日を迎えた。最初の業務は挨拶回り。メンターの方がみなさんを紹介してくれ、フロア中を回った。その時、突如外国人の方との自己紹介の場が生まれ、
"Hi!"と気さくに話しかけられた自分は、戸惑いのあまり一言も発せず引きつった愛想笑いをした。チーン。圧倒的チーン。幼稚園生でも簡単に言ってのける"Hi"すら言えなかった。なんならイクラちゃんですら日常的にハーイと発している。イクラちゃん以下の大学院生の自分。
この時の自分は「英語を話すという行為は帰国子女だけが持つ特権」「自分は英語を話せない」という思い込みに囚われていた。
自分自身に許可を出す勇気
このショッキングな出来事から4年後、社会人になった自分はイスラエルで仕事をしていた。業務は全部英語。何の違和感もなく、毎日を心底楽しく、充実して過ごしていた。
4年間という月日が何を変えたのだろうか。
もちろん努力はした。研究室で積極的に留学生と話したり、社会人になってからは自ら英語を使う案件に入れてもらったり、プライベートでは英会話学校に通ったりした。ただそれ以前に、英語を話せる自分に生まれ変わった一番のきっかけは、「自分は英語を話せない」という思い込みを捨てた、それだけのことだった。言い換えれば、自分に対して「お前は英語を流暢に話せる人だ」と許可を出した、それだけのことだった。
思い込みを捨てた瞬間、英語を話せる自分という可能性が「バブー!」と声を上げて誕生し、メキメキ現実になっていった。努力は後からついてきた。
イスラエル赴任の辞令が出た時点では、まだ英語に自信はなかった。自分に対して「お前は海外で仕事ができる人間だ」と許可を出し、上司にその旨伝えていたら運良くチャンスを頂けただけだった。なので、いざ辞令が出てから赴任までの3ヶ月は英語版ライザップに血眼で通ったし、現地に飛んでからも成長余地満載の英語力はぐんぐん上達した。
そんな英語力でもきちんと仕事はできたし、正確に言えば、きちんと仕事ができる英語力が、辞令が出たあとから、そしていざイスラエルに行ったあとから身についた。
重要なのは、自分の可能性に蓋をしていた思い込みを捨て、ただシンプルに「君は英語を話していい。話せる人だ。」と許可を出したことだった。いざ海外で働いてみると、なんだ、自分英語で仕事できるじゃん、と半ば肩透かしを食らった感覚を抱いた。赤ちゃんと暮らしてバブーの思い込みから解放されたように、海外で仕事をしてみると呆気なく英語の呪縛が解けた。
許可の効力は万人共通
昨夏から認知科学に基づくコーチングを勉強し始め、自分が体験した英語にまつわるエピソードが、コーチングにおける現状の外に向かうプロセスとかなり似た手順を踏んでいたことを知った。許可を出すことはコーチング的には現状の外にゴールを設定するということになるが、共通するのは自分が自分に対して「そんなことできっこない」「身の丈に合わない」「非現実的だ」と勝手にあてがっている思い込みを取っ払うということだ。思い込みを捨て、自分が秘めて持つ可能性に心の底から許可を出し、可能性を解放した未来の自分をアイデンティティとして採用して生きる。そこに至るプロセスは後から勝手に生まれてくる。
コーチング的な理解になぞると、人間はコンフォートゾーンを同時に一つしか持てないこと、臨場感の一番高い世界がコンフォートゾーンとして採用されること、目の前の現状以外にも臨場感を生成できる機能を人の脳は有していること、未来のありたい姿にコンフォートゾーンを移せばそこに至るプロセスは脳が勝手に閃いてくれること、コンフォートゾーンに戻ろうとする生き物としての基本性能こそがモチベーションの正体であること、などの説明ができる。
コーチングに纏わる学びは今後順を追って発信していくが、とにかく学びを進めるにつれ、自分自身に対して許可を出す場面が激増し、生活に様々な変化が生じている。このnoteでは、コーチ(仮免中)としての自分以前に、チャレンジャーの自分として、人体実験の様子も実況中継していきたい。
例えば、アートはよく分からないものだという思い込みを捨て「君はアートへの造詣が深い人だ」と言って素人ながら美術検定2級をとったり、(4, 3級はすっ飛ばした。いきなり受験できて一番難易度が高いのが2級だった。)
「君は見事にウクレレで弾き語りをする人だ」と言って初心者から60日で弾き語りライブに挑戦するチャレンジをしたりしている(絶賛挑戦中)。
他にも、全身脱毛を始めたり資産運用の方法を変えたり何より仕事への向き合い方がガラリと変わったりしているが、そういった様々な変化についても順を追って開示していきたい。少なくとも一つお伝えできるのは、朝起きた瞬間から寝る時まで、日常生活がほとんど何かに没頭している時間に生まれ変わったということだ。特にコーチングは人の生き方そのものに対して深く思考することになるので、暇さえあればその勉強時間に当てている。右肩上がりの仕事の忙しさも合間って毎晩ヘトヘトで床についているが、全て自分のやりたいこと=want toベースで行動が生まれているため、不思議とこの生活が心地よくもある。(ときにめっちゃシンドくもある...w)
自分自身の可能性に許可を出し、本心でやりたいチャレンジに健やかに挑める人が一人でも増えるように、また、僕自身が常にチャレンジャーであり続けられるように、これから等身大の発信をしていきたい。思い込みを捨て、現状の外側にゴールをおき、自分が秘めて持つ可能性の産声を聞くことは、誰しもが味わえる人生の醍醐味だと信じている。
ほら、自分のマインドを変えさえすれば、もう聞こえてくる。
「バブー!」
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