どうぶつしょうぎはラビットキングにすべき。という話。
どうも、リキッドです。
僕と4歳になる長男は、最近「どうぶつしょうぎ」にはまっています。どうぶつしょうぎは、将棋を小さい子供でも遊べるように工夫されたボードゲームです。その名の通り、どうぶつしょうぎの駒には動物が描かれています。駒の数も少なくて、4つしかないんですね。登場する動物は、ライオン、きりん、ぞう、ひよこ(にわとり)となっています。
どうぶつしょうぎの盤は3×4マスという大きさで、とても小ぢんまりとしています。ですが、意外と、大人がはまったりするみたいですよ。
どうぶつしょうぎに登場する動物たちの駒は、それぞれに動ける範囲が決まっているんですね。"ひよこ"なら前に1マスだけ。"ぞう"なら斜め前と斜め後ろに1マスずつ。"キリン"なら前と横と後ろに1マスずつ。そして、"ライオン"は自分の周囲8マスすべてに移動することができます。
この中ではライオンが、いちばん強い駒になっています。
百獣の王ですからね。武井壮です!
この、どうぶつぶつしょうぎの勝敗は、ライオンにかかっています。相手のライオンを捕まえる(取る)、もしくは、自分のライオンが相手の陣地に入る(トライ)。
この二つが勝ちのルールなんですね。
ゲームの構図としては、自分のライオンを守りつつ、相手のライオンを捕まえる。もしくは、自分のライオンで相手の陣地に乗り込んでいく。この二つの流れとなります。
それで、僕は、どうぶつしょうぎをするうちに思ったことがあったんです。というか、違和感がありました。それは何かというと、いちばん強いライオンを、それ以外の草食動物で守ることです。
なぜ、いちばん強い肉食動物のライオンを、か弱い草食動物で守らなければならないのか?おそらく、普通の本将棋の内容を、このどうぶつしょうぎにも当てはめているからだと思います。
ライオン=王様。つまりはライオンキングという形になったのだと思います。
他の駒については、メジャーな草食動物を当てはめた感じですかね。このどうぶつしょうぎで、僕が感じた違和感。これを「ライオンキング問題」としましょう。これの何が問題なのか?それは、どうぶつしょうぎの王様が"ライオン"ということで、まさに『弱肉強食の社会を再現してしまっている』と感じたんです。
強いものが生き、弱いものが死んでいく。なぜ、こんなことを思ったか?ですが、それは、僕がどうぶつしょうぎを子育ての重要なツールとしてとらえているからだと思います。
どうぶつしょうぎは、ただのボードゲームではない。これは、子供に「ルール」を教える大切な機会(チャンス)と感じているんです!
うちの子供は4歳です。まだ、保育園や幼稚園には通っていません。それまでは、人形で戦いごっこをして遊ぶとか、お外や家の中で、走り回るなどして遊んでいました。つまり、今までの遊びには、ルールがないんです。
子供が自由に考えて、気の向くままに遊んでいたんですね。
僕と4歳の息子にとって、どうぶつしょうぎは、お互いにとって「共通のルール」に則りゲームを進めるという初めての遊びでした。僕にとっては、息子にどうぶつしょうぎのルールを教えながら、しかし楽しく将棋をしなければなりません。一方の、息子は息子で、自分の好き勝手に遊べていたのに、突然ルールで縛られることになります。
子供が大きくなるにつれて、「ルール」という制限が増えてきます。社会のルールに則って、子供が自立できるようにする事が親の役割でもあります。
社会のルールってなんでしょうか?弱肉強食ですか?
弱いものから順番に死んでいくってことでしょうか?
僕は違うと思います。
そもそも、社会のルールの根底には「弱いものを守る」という事があるはずだと思うんです!
それが、どういうわけか?いつからか?社会というフィールドは、弱肉強食が共通ルールになってしまった。
これから、子供が大きくなって社会に出ると、弱肉強食というルールのもと戦わないといけないこともあるかもしれません。
しかし、その一方で「弱いものを守る」という気持ちも忘れないでもらいたいのです。
人間なんて、みんな弱いんですから。。。
どうぶつしょうぎは、本当におもしろいし、いいゲームだと思います。
ただ、子育てのツールとして考えたときにどうすればいいのか?を僕なりに考えて、この文章を終わりにしたいと思います。
王様 → ウサギ (できれば蒼いうさぎ)
それを守る動物たちのラインナップ
「ライオン」
「クロコダイル」
そして「ユニコーン」
ほら、スマップの歌でもあったじゃないですか?
「君を守るため~♪そのために生まれてきたんだ♪」 by らいおんハート