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【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#9 森繁和編

3月16日(土)に開催される、西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」。ファン待望の一戦まで、2ヶ月を切りました。

このページでは、出場が予定されているライオンズOBたちの、一味違った現役時代のエピソードや、玄人好みする記録などを紹介していきます。

森 繁和(もり・しげかず) 

投手 右投げ・右打ち 1954年11月18日生まれ
ライオンズ在籍:79年~88年(選手)、89~99年(コーチ)
通算成績:344試合 57勝62敗82セーブ 防御率3.73
背番号:11(79~89年)、86(89~99年)

駒澤大4年の時に、ロッテオリオンズからドラフト1位指名されるが、このときは入団を拒否して、住友金属で2年間プレー。78年のドラフト会議で4球団から1位指名され、この年から採用された抽選制度でライオンズが交渉権を獲得。西武ライオンズの第1号ドラフト1位指名選手となる。

即戦力ルーキーと期待され、4月9日開幕2戦目の近鉄バファローズ戦でプロ初登板初先発する。が、4回途中3本塁打を浴び、5失点でノックアウト。

続いて14日の日本ハムファイターズ戦、完成したばかりの西武ライオンズ球場(現ベルーナドーム)の杮落としとなる、記念のゲームで先発。今度は1試合7失策と乱れた味方守備陣に足を引っ張られ5回5失点。

結局5月9日、南海ホークス相手に3失点完投でプロ初勝利をあげるまで、デビュー6戦6連敗。結局プロ1年目は、5勝16敗7セーブ。シーズン16敗は、72年加藤初と並ぶ、ライオンズ新人投手のワーストタイ記録となっている。

それでも独特の縦割れカーブ、スライダー、チェンジアップを駆使して、2年目にはリリーフ兼任で二桁勝利。続く81年には先発ローテーションに定着、チームトップの14勝をマークする。

ところが翌82年、初めて開幕投手を任されながら、1ヶ月間勝利から見放されることに。4月29日ファイターズ戦では先発して1死もとれずに5失点、K・Oされたところで、廣岡達朗監督からリリーフ転向を命じられる。

すると、5月11日オリオンズ戦でプロ初セーブ。13日からはチームの5試合中4試合にリリーフ登板。そのすべてで、森が勝利投手になる。勝利に見放された4月がまるで嘘のように、この1週間だけで4勝することになった。

終わってみれば、チームトップの51試合に登板。10勝10セーブをあげ、埼玉移転後初の日本一に貢献する。

さらに翌シーズンの活躍は目覚ましく、当時のシーズン最多記録となる34セーブをあげて、最優秀救援投手に輝く。10月10日の阪急ブレーブス戦では、西武ライオンズ球場で胴上げ投手に輝いた。西武ライオンズの初代リリーフエースと呼ぶべき存在だ。

現在と違い、リリーフ投手の「3連投、4連投」や「イニングまたぎ」が当たり前だった時代。森は右ヒジに痛みを抱えることになる。翌84年には、ファイターズから移籍してきた江夏豊と“ダブル・ストッパー”が構想されたが、両投手の不調で計画は早々と頓挫する。

渡米して、村田兆治の執刀医だったフランク・ジョーブ博士に右ヒジ手術を受け、86年は1年間シーズン丸ごと、リハビリに費やした。しかしながら、その後右肩痛や左股関節痛にも悩まされる。その間の抑えは、渡辺久信、郭泰源といった投手が務めることになる。

プロ10年目だった88年限りで現役引退。翌年すぐに、2軍投手コーチに就任する。99年までライオンズでコーチを務めたあとも、ファイターズ、横浜ベイスターズ、中日ドラゴンズと、2011年まで22年間途切れることなく、プロ野球の現場に立ち続けた。

またオフになると、キューバ、ドミニカ、ベネズエラといった中南米の国々にみずから足を運んで、現地の関係者とのルートを開拓。ネルソン、ブランコ、ライデル・マルティネスといった将来性のある若手選手を、次々と獲得するなど、スカウトとしての手腕も大いに発揮した。

14年に現場復帰、16年途中から18年までドラゴンズの監督代行・監督を務めた。

森 繁和 年度別成績

・主なタイトルなど
 最優秀救援投手(83年)
   オールスター出場 2回(81、83年)

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