カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#33 大塚光二編
大塚光二/孝二(おおつか・こうじ)
外野手 右投げ・左打ち 1967年8月26日生まれ
ライオンズ在籍:1990~2001年
通算成績:466試合 747打数 193安打 打率.258 7本塁打 70打点 15盗塁
背番号:23(90~01年)
本人によると、中学時代は野球部に籍こそ置くが幽霊部員。中森明菜の親衛隊をやっていたとか。高校は兵庫の名門、育英高で栗山巧の大先輩にあたるのだが、一般受験組。入学して1年間は陸上競技場での走り込みと筋トレで、グラウンドにも入れてもらえなかった。
3年夏は県大会の2週間前に骨折して三塁ベースコーチと、まったくの無名選手だったが、本人いわく、東北福祉大学の伊藤義博監督が「たまたま偶然、観に来ていた春の大会で、大活躍をした」ことから、熱心な勧誘を受ける。
ちょうど大学が専用野球場を建設、全国規模で学生をスカウトするなど、野球部の強化を始めた時期だった。地元神戸を離れ、仙台の大学に進んだ大塚は、100m10秒台の俊足と強肩を武器に1年からレギュラー入り。リーグで首位打者3度。日米大学野球の大学ジャパンに3年連続で選ばれるなど、大学球界トップクラスの外野手へと成長する。
同級生には佐々木主浩、1年下には矢野輝弘(燿大)、2年下には金本知憲、斎藤隆と、のちに球界を代表するスター選手たちが集まるなか、最上級生になると、持ち前のリーダーシップと明るさで、主将を任される。
89年ドラフト3位でライオンズ入り。1年目から1軍のハワイキャンプに帯同するが、レギュラーの秋山幸二、平野謙、さらには控えの羽生田忠之、笘篠誠治といった外野手たちのレベルの高さに圧倒される。なんとかアピールしようと無茶なスローイングを続けるうちに、右ヒジを故障して、2軍落ちとなる。
この年、チームは開幕から順調に首位を走っていたのだが、6月3日から8連敗と急ブレーキ。2位とのオリックスブルーウェーブとのゲーム差も、6.5から0.5へと縮まっていた。このタイミングで、ルーキー大塚が1軍に呼ばれる。「新人から元気を取ったら何も残らない」と、2軍で声を出し続けていた姿を見た首脳陣が、停滞するチームに活気を与えたくての招集だった。
すると、大塚が1軍デビューした3日後からチームは9連勝。さらに1敗1分を挟んで、今度は7連勝。ブルーウェーブとのゲーム差は、一気に9.5まで広がった。
出場24試合、4安打に終わったプロ1年目だったが、「ラッキーボーイ」「元気印」「ムードメーカー」といったキャラクターが、チームやファンの間に浸透していった。
その名が全国に知れ渡ったのは、92年のヤクルトスワローズとの日本シリーズ第6戦だ。登録名を「孝二」から「光二」に変更していた大塚は、この年少ない打席ながら、シーズンで打率.340をマーク。日本シリーズの途中からレギュラーの平野をベンチに追いやり、ライトでスタメン出場していた。
スコアは6対7。ライオンズが1点を追いかける9回表。2死ランナーなしから、10球粘った大塚がフォアボールをもぎ取る。続く秋山の打球はやや右中間寄りのライト前へ。大塚は一塁から二塁、さらに三塁も蹴って、トップスピードで本塁突入。最後はキャッチャー古田敦也のタッチを転がるようにかいくぐり、左手でホームベースを払ってみせる。87年日本シリーズの辻󠄀発彦に匹敵する激走と、鮮やかなスライディングで、プロ野球ファンに強烈な印象を残してみせた。
この走塁について「自分のことを本当のプロ野球選手にしてくれたプレー」だったと、大塚は語っている(「野球小僧」08年2月号)。
レギュラーシーズンでは守備と走塁が主な役割、最も多くて出場78試合(93年)、1度も規定打席に届いていないが、日本シリーズではバッティングでも、記憶に残る活躍をみせている。
94年読売ジャイアンツ戦ではフル出場して計8安打。98年横浜ベイスターズとのシリーズでは、第5戦の第3打席から、第6戦で同級生の“大魔神”佐々木から打った三塁打まで、6打席連続安打のシリーズ記録を樹立する(05年に千葉ロッテマリーンズの今江敏晃が、8打席連続に更新)。
日本シリーズでは通算58打数23安打で打率.397と、シーズンの通算打率.258を、はるかに上回っている。
大友進、小関竜也、柴田博之といったタイプの近い外野手の台頭、左ヒザのケガもあり、徐々に出場機会が減少。01年の1軍出場は1試合だけとなり、オフには自由契約となる。合同トライアウトにも参加したが、このシーズン限りでの引退を決断した。
その後は解説者として、10年以上さまざまなメディアで活躍したのち、13年から北海道日本ハムファイターズで、2年間コーチを務める。
15年途中からは、母校の東北福祉大の監督に就任。18年の全日本大学野球選手権では、チームを14年ぶり3度目の日本一に導いた。昨年1月まで、約7年半の監督生活のなかで、楠本泰史(横浜DeNAベイスターズ)、津森宥紀(福岡ソフトバンクホークス)、中野拓夢(阪神タイガーズ)など、数多くの卒業生をプロ野球界に送り出している(ライオンズに入団した教え子がいなかったのは、ちょっと残念…)。
主なタイトルなど
日本シリーズ敢闘賞(98年)