【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#2 田淵幸一編
3月16日(土)に開催される、西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」。チケット即完売となったファン待望の一戦まで、2ヶ月を切りました。
このページでは、出場が予定されているライオンズOBたちの紹介をしていきます。
もしかしたら、今後オフィシャルのプログラムなどが販売・配布されるかもしれませんので、当欄ではなるべく一味違った現役時代の功績や、玄人好みする記録などを扱っていこうかと考えております。
第2回は、当日「TEAM SEIBU」の監督を務める田淵幸一編です。
田淵幸一(たぶち・こういち)
捕手・内野手 右投げ・右打ち 1946年9月24日生まれ
ライオンズ在籍:1979~84年
通算成績:1739試合出場 5881打数1532安打 打率.260 474本塁打 1135打点
背番号:22(1979~84年)
「ミスター・タイガース」と称され、セ・リーグ本塁打王にも輝いた阪神タイガースの主力打者だったが、78年にチームが初めてセ・リーグの最下位に沈んだことで、球団改革、世代交代が図られようとしていた。
一方ライオンズでは翌年からの埼玉移転に伴い、新チームの目玉になり得るスター選手が必要とされていた。
両球団の思惑が一致したことから、タイガースが田淵、古沢憲司、ライオンズからは竹之内雅史、若菜嘉晴、真弓明信、竹田和史。この「2対4」の球史に残る大型トレードが実現。西武ライオンズの田淵幸一が誕生する。
その高く舞い上がる打球は、三冠王打者・落合博満に「真似できない。天性のホームランバッター」と言わしめたほど。滞空時間長く、美しい放物線を描く田淵のホームランは「虹のアーチ」と呼ばれていた。
屋根の架かる前の西武ライオンズ球場では、ライオンズの打者がホームランを打ったときと、チームが勝利したときに、ライトスタンド後方で花火が撃ち上げられるファンサービスが名物となっていたのだが、田淵のホームランと花火観たさに、休日や夏休みには多くの家族連れが球場に足を運ぶようになった。
また同じ時期に、田淵をモデルにしたギャグマンガ「がんばれ‼ タブチくん‼」(いしいひさいち著)が大ヒット。おおらかで人の善い田淵本人のキャラクターも相まって、世代を越えたファンを開拓、こちらもライオンズ人気を高める大きな要因となった。
移籍4年目の82年、ライオンズは阪急ブレーブスと僅差で前期優勝(※)を争っていたのだが、6月19日の南海ホークス戦で敗れ、2位に転落。ブレーブスに優勝マジックが点灯するなか、迎えた翌20日のホークスとのダブルヘッダー第1試合も、8回を終えて3対4。1点のリードを許していた。
(※)73年からこの年まで、パ・リーグは前・後期の2シーズン制を
採用していた
9回表に無死3塁のチャンスをつくると、打撃不振で前日からスタメンを外れていた田淵が代打で登場。ホークスの抑え、金城基泰の5球目を捉えた打球は大きな弧を描き、レフトスタンドに舞い降りる逆転2ラン。
九死に一生を得たライオンズは、この試合から4連勝して首位を奪回。そのまま前期優勝を成し遂げる。
田淵の起死回生の一発が、埼玉移転後初のリーグ優勝、日本一、さらには常勝ライオンズへと続いていく道を切り拓いたのだった。
翌83年には、開幕から67試合で29本と、驚異的なペースで本塁打を量産。田淵がホームランを打った試合でチームは23勝2敗1分と、‘不敗神話’がつくられていたのだが、7月に死球で左手尺骨を骨折。長期離脱を余儀なくされた。
それでも読売ジャイアンツとの日本シリーズには、第1戦から4番・一塁で先発出場。相手エースの江川卓から試合を決める3ランを放つなど、2年連続の日本一に大きく貢献。ライオンズでは個人タイトルの獲得こそなかったものの、この年の正力松太郎賞を受賞している。
引退後は福岡ダイエーホークス監督や、大学時代からの盟友星野仙一を支える参謀として、阪神、東北楽天ゴールデンイーグルス、日本代表のコーチを歴任。2020年に野球殿堂入り。
・主なタイトルなど
新人王(69年)
最多本塁打(75年)
ベストナイン 5回(72~76年)
正力松太郎賞(83年)
オールスター出場 11回(69~76、79、84年)