【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#15 秋山幸二編
3月16日(土)に開催される、西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」まで、約1か月半となりました。
ここでは、出場が予定されているライオンズOBたちの、一味違った現役時代のエピソードや、玄人好みする記録などを紹介していきます。
秋山 幸二(あきやま・こうじ)
内野手・外野手 右投げ・右打ち 1962年4月6日生まれ
ライオンズ在籍:81~93年
通算成績:2189試合 7997打数 2157安打 打率.270 437本塁打 1312打点
背番号:71(81年)、24(82~86年)、1(87~93年)
NPB史上5人目となる3割・30本塁打・30盗塁の「トリプル・スリー」を達成。どんなスポーツをやっていようと、五輪に出られたとまで言われる身体能力の持ち主で、走・攻・守すべてがハイレベル。
野茂英雄が海を渡るより前、日本でプレーする外国人選手たちや、日米野球で来日した選手たちが口を揃えて「MLBに最も近い日本人選手」だと、その名前をあげていたオールラウンド・プレイヤーだ。
熊本県立八代高ではエースで4番。高3夏の県大会決勝で、のちにライオンズでチームメイトになる大津一洋、伊東勤のバッテリーを擁する熊本工高と対戦。みずからのソロ本塁打などでリードを奪いながら、9回2死から逆転負けして、甲子園行きを逃す。
80年ドラフト外でライオンズ入団。12球団すべてが秋山に興味を示したなか、唯一ライオンズのスカウトだけが「4年後に西武ライオンズのサードを守り、クリーンナップを打って欲しい」と、投手ではなく野手で獲得する方針だったのが、決め手のひとつになったという。
1年目から「お前はホームランしか狙わなくていい」と、いくら打てなくても、どれだけエラーをしようと、イースタン・リーグで「4番サード」に固定され、英才教育が施された。
捉えたときの飛距離は別格で、2年目にはイースタンで本塁打王。合計3度アメリカへ野球留学。84年のオープン戦で首位打者となり、いよいよ1軍定着が期待されたが、5月に自打球による左脚の剥離骨折が響いて、54試合の出場にとどまってしまう。また、このシーズン限りで田淵幸一が引退。主砲の育成は急務だった。
ここで打撃コーチに招聘されたのが、現役時代に本塁打王を3度獲得したスラッガー長池徳士だ。廣岡達朗監督から「秋山を4番にしてくれ」と言われた長池は、マン・ツー・マンで猛特訓。その練習量は凄まじく、秋山自身が引退後に「野球人生で一番バットを振った時期は、間違いなく1985年」だと振り返るほど。
入団4年間で計4本塁打だった打者が、このシーズン40本塁打と才能が開花。サードのレギュラーを奪取する。そのホームランは、いわゆる弾丸ライナー。ファンの応援歌では「鉄人リスト」でスタンドを越える「ジェットミサイル」と唄われた。
87年には外野手登録となり、サードからセンターへとコンバート。背番号も1へと変更される。背番号1の秋山と背番号3の清原和博は、王貞治と長嶋茂雄のON砲になぞらえて「AK砲」と呼ばれるようになる。
黄金時代のライオンズを華やかに彩った、AK砲によるアベック本塁打は通算63回。AKアベックが出た試合は、90年5月から4年がかりで28連勝するなど、通算53勝8敗2分。ON砲以上の高勝率を誇った。
9年連続シーズン30本塁打は、19年連続の王に次ぐ歴代2位。87年には41本塁打したが38盗塁で、惜しくも「40・40(フォーティ・フォーティ)」は逃したものの、90年にNPB唯一となる「30本塁打50盗塁」を達成する。
秋山のオリジナル技である「バック宙ホームイン」は、計5回行われた。86年日本シリーズ第8戦、6回表の同点2ラン。87年6月日本ハムファイターズ戦でのサヨナラソロ。90年日本シリーズ第3戦、追加点となる桑田真澄からのソロ。91年5月千葉ロッテマリーンズ戦、10回裏の逆転サヨナラ2ラン。そして、91年日本シリーズの第7戦、シリーズMVPを決定づける7回裏の2ランが最後となった。
85年の開幕戦からパ・リーグ歴代4位となる833試合連続出場。91年のオールスター戦で、右眼に自打球が直撃。あわや失明のアクシデントに襲われたが、約3週間欠場しただけで復帰。すると、その試合でホームランを打ってみせる肉体とハートの強さを兼ね備えていた。
93年オフ、低迷の続くチームの体質改善を狙ったホークス根本陸夫監督、森祇晶監督の「秋山は勝負弱い。三振が多い」との低評価、秋山のFA権取得が間近だった…。さまざまな要素が相まって、球界を揺るがす3対3の大型トレードが成立。秋山は福岡ダイエーホークスへ移籍することになる。
移籍後は腰痛の影響でホームランの数こそ減らしたが、小久保裕紀、松中信彦、井口資仁といった若手選手をプレーと姿勢で牽引、ホークスを強豪チームへと変貌させた。2000年8月18日、北九州市民球場でのマリーンズ戦で、2000試合出場と2000安打を同時に達成する。
02年10月15日、ホークスにとって、西武ドームでのシーズン最終戦となるゲームで、秋山の引退セレモニーが行われた。すでに8月下旬に引退を表明。翌日には福岡ドームでの引退試合が予定されてもいたが、ライオンズの選手たちの働きかけもあり、かつての本拠地で惜別の空間が提供された。
センター後方のビジョンにはライオンズ時代の名場面が流れ、1番打者・秋山に対して、渡辺久信と伊東勤がバッテリーを組んでの始球式が実現。試合後には、ライオンズの選手たちの手による、胴上げが行われた。2014年野球殿堂入り。
・主なタイトル
本塁打王(87年)
盗塁王(90年)
ベストナイン8回(86~93年)
ゴールデングラブ賞11回(87~96、99年)
日本シリーズMVP 2回(91、99年)
オールスター出場 18回(85~02年)
オールスターMVP 1回(94年 第1戦)
正力松太郎賞3回(91、11、14年)