ある後輩、ニシナくんの話。
僕が大学生の時、一つ下の学年にニシナくんという学会員の後輩がいた。
後輩ができた僕は嬉しくて、すぐに会いに行った。
階段の軋み方が絶望的なニシナくんのアパートに上げてもらったり、玄関の小上がりがやけに高すぎる我が家に招いてみたり。
割と結構、すぐに仲良くなったと思う。
ニシナくんは学会も嫌いじゃないし、池田先生や学会の歴史、教学もよく知ろうと努力をしていた。
でも、どうしても苦手なことがあった。
それは、唱題すること。
題目を唱えること。南無妙法蓮華経と声に出してエンドレスに唱えること。
僕は単純だから、「え!せっかく御本尊様も家にあるんだからあげたらいいじゃん!元気になるよ!」と、今思えばなんの解決にもならないアドバイスばかりしていた。笑
ニシナくんは、苦手というか、嫌じゃないけどみんなが言うほど「歓喜」を実感できないのだ、と言っていた。
それでもある時、題目をあげて変わっていく同期の話や、信仰体験を聞くなかで「自分も題目をあげてそれ(歓喜)を実感したい」と、見たことないくらいニガい顔で打ち明けてくれた。
その日から毎週ニシナくんの家に通って、一緒に唱題することにした。ひとまず30分の唱題からはじめてみようか、と。
ニシナくんの家には、その時まだ「椅子」や「カーペット」という文明が誕生していなかったので、フローリングに正座という唱題以上の苦行が待っていた。
唱題が終わるたびに僕らは足が痺れて動けなくなった。何回かは、足が“まだあるか”確認したりした。笑
「どう、なにか感じる?」
「うーん、やっぱ普通っすね」
「なんか元気になった感じしない?」
「いやー、そこそこっすね」
大体いつもニシナくんはそんな感じで返答した。笑
それからというもの、僕は信心の凄さを実感して欲しくて、あの手この手を試してみた。一緒に先生の指導を学んでみたり、先輩に指導を受けてみたりした。
ニシナくんは学生部の御書講義にも参加してくれたし、教学も学んでくれた。
もともと優秀なニシナくんは、教学もグングン身につけていったし、折伏(友人に信心の話をすること)に挑戦したり、後輩の面倒を見るような立派な“先輩”に成長していった。
でも唱題については相変わらず、「苦手っす」と言っていた。笑
僕も「なんか顔色良くなった気がするよ!」「性格も明るくなったよね!」とか言ってみるけど
「そうすか、あんま変わってないっすよ(笑)」
と半笑いで返される日々。
その唱題会がどれくらいの期間続いたのかちゃんと覚えていないけど、結局、卒業を迎えるその時になってもニシナくんは「題目、最高っす!!」とはならなかった。笑
それでも、ニシナくんと僕は唱題をあげ続けたし、毎回もげそうになる足をさすりながら、(僕だけかもしれないけど)なんとも言えない充実感を感じていたことだけは覚えている。
そんなニシナくんは今、日本を代表する企業のエンジニアとして働いている。
少し前、久しぶりに連絡をもらって再会したけど、今でも学会活動は“そこそこ”頑張っているそうで、題目も“ぼちぼち”やっています、と昔と変わらないニガめの笑顔で教えてくれた笑
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という、ニシナくんの話。
ハッピーエンドとは言えないかもしれない。
何かが解決したり、結論や答えがあるわけでもない。
でも、忘れらない後輩の1人。
色々思うところはあるんですが、どう思うかどんな結論をつけるかは、読んでくださった方、それぞれの考えや感想があっていいなと思ってます。
ともあれ、読んでいただきありがとうございました。