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『僕』が公明党を支援する理由。

先日、SokaYouthの記事で「創価学会が公明党を支援する意義」というnoteが公開されていた。

僕なりに、あらためて考えるきっかけにもなった。

この記事では

「他者と関わる」という仏法者の生き方が「日蓮大聖人の仏法」そして「立正安国」の精神に立脚していることを前提に、支援の意義をわかりやすく説明し、最後は戸田先生(創価学会の第二代会長)の「青年は心して政治を監視せよ」との、学会の支援活動の原点とも言える指針を紹介して終わっている。

そんなに長くないので詳しくは記事を読んでみて欲しい。

とまあ、ここまでは「『創価学会が』公明党を支援する意義」だ。
仏法を知らない人にとっても明快だし、シンプルに「大義名分」として分かりやすい。僕も学生時代に先輩に教えてもらって「なるほど」と納得した覚えがある。

今回はそこから一歩踏み込んで「『僕自身が』公明党を支援する意義」は何なのか、考えてみたい。

「僕」が公明党を支援する意義


というか本当のことを言うと、このnoteを書こうと思ったきっかけが別にある。

それが、このツイートだ。

七ツ星さんのツイート

プチバズりしている上に、リプ欄にも否定的な意見が書き込まれている。
一瞬「たしかに」って思ってしまった自分もいる。

その反面「いや全然悪いことじゃないし、むしろそれって当たり前じゃない?」とも思った。

でもそのためにはまず、それがなぜ「当たり前」なのか、言葉にする必要がある。

このツイートに触れる前にまず、「自分自身の」支援活動の意義を確認したい。

公明は、僕の感覚にフィットしている

もちろん自分が創価学会員であることが、公明支援のモチベーションに深く関わっていることは間違いない。

ただ、その理由を長々と書くつもりもない。

結論を言うと、僕は「自分の生活のために支援活動」をしている。

だって公明の政策が一番理にかなっているから。

僕が大学の時に借りた奨学金の無利子化や給付化を進めたのは公明党だ。おかげで大学も無事に卒業できたし、ちゃんと返済の目処が立っている。

大人世代が勝手に決めた教育政策のせいで、「ゆとり世代」との揶揄を受けながら社会に出た僕たち若者の話をちゃんと聞いてくれたのは公明党だ。
実際これまで「票にならない」と言われていた若者向け政策に、公明党は真剣に取り組んでいる。(学生の時、公明の地方議員が若い世代の話を聞いてくれる機会があって、その時の誠実な姿が今でも忘れられない)

僕の生活を一番圧迫していた携帯料金の引き下げを推進したのは、公明党だ。僕はpovoを使ってるけど、1ヶ月1万円かかっていた携帯代は今、半年で1万円になった。

また、もうすぐ結婚するであろう僕にとって、出産や子育て世代への支援を惜しまない公明党は信頼できる。子供の医療費無償化、高校までの教育費無償化もそうだけど、パートナーとの関係を考える上で不妊治療の保険適用も心強い。

そして今、緊迫する国際情勢の中で、多様な考えの人がいて、ほとんど何を言っても批判されるであろう「安全保障」の分野で、国民の安心安全を守るために、与党の一角として意見を発信し、堂々と議論に参加する姿勢は評価できると思う。
ともすれば理想主義に陥りがちな「平和」を党是として掲げていながら、「現実的な手段、政策」に落とし込むバランス感覚は絶妙だ。

公明党は、僕の感覚に最もフィットしている、と言える。

政策がいいと思うから、自分の生活に密接に関わっているから、公明党を自信を持って応援できる。
だから友人にも薦めるし、同世代の友人には特にその恩恵を受けて欲しい。
でも「絶対に公明党に入れろ」なんて思わない。
そのかわり、政治ってすごく身近なんだってことを知って、賛成でも反対でもいいから政治に参画して欲しい。
そう思うのって変なことだろうか?

しかもそれが、先のnote記事のように自分の信仰観とも何の矛盾もなく、地続きで繋がっている。
だから楽しいし、真剣に取り組める。

友人への支援依頼について

で、話は先ほどのツイートの内容に戻るけど、友人への支援依頼の話。
「付き合いでいれて」というお願いの仕方は、たしかに褒められたものじゃない。だけど、それが相手の生活にとっても得になると思うから、それが「生活のための一票」だからこそ、どんな理由であろうとお願いができるんだと思う。「付き合いで」というきっかけだって、立派な政治参画への一歩だ。投票に行かないことより、よっぽどマシだ。

よく「フレンド票」なる言葉で学会の支援活動を面白おかしく書き立てる記事があるけど「友人にお願いをする」って、現行の法律のもとで行われる選挙運動としてはもっとも公平で、民主的な手段じゃないですか?

だって僕にはそれ以外、方法はないんだから。
大企業の社長でもないし、連合の役員でもない。
地域の有力者でもないし、何かの先生でもない。
地位も名誉も財力も持っていない僕にあるのは、これまでの人生で培ってきた「友人との信頼関係」だけだ。
それが今ある人生最大の財産だ。

無理なお願いや、選挙の時だけ連絡するような関係なら確かに「信頼関係」とは言えない。でも日常的に交流があるから、「お前が言うならいいよ」って言ってくれる友人がいる。「この政策は○○にとっても絶対役に立つ」って自信を持って言える。

聖教新聞についても同じだ。
きっかけは「付き合い」であっても、読んでもらえれば、その記事の一つでもいいから、友人の人生や生活にいい変化が生まれたら嬉しいと思うから、声をかける。
それがきっかけで、自分が「いいな」と思っている学会の理解にも繋がるかもしれない、だからお願いをするんです。
少なくとも僕は、駅前で知らない人から新聞受け取ってもまず読まないですし。

そしてもっと凄いのは、今こうやって文章で書いたようなことを、学会員の一人ひとりが誰に言われずともそれぞれの理解に基づいて、実践していることだと思う。

SokaYouthの記事にかかれた「大義名分」を自分の生活、自分の信仰に落とし込み、噛み砕いて「より現実的なカタチ」で実践する。
その高度な因数分解が、これだけ多くの学会員の間で行われていることって、奇跡に近いと思う。信仰心が強ければ強いほど教条的になりがちな「宗教団体」としては(いい意味で)異質だろう。それを快く思わない人が多かったり、理解されるのに少し時間がかかることにも頷ける。

僕は公明支援したって一円ももらえないけど、選挙に参加することでたくさん得をしている。それはもちろん経済的な得も含まれているので「自分の一票の価値」がよく分かる。そしてそれは「友人の一票」にも、全く同じ価値があることを教えてくれている。
当たり前だけど、こんなこと言ったら嫌われちゃうんじゃないかなとか、政治の話題なんか出さない方がいいよな、って躊躇はする。僕たちはロボットじゃない。
それでも勇気を出して声をかけるだけの理由がちゃんとある。

むしろ、「消費税廃止しろ!」とか「自公政権やめろ!」と声高に叫ぶ方々は、友人に依頼していますか?
「学会は支援活動をやめろ」という人は、どれだけ情熱持って政治と向き合っていますか?
仲のいい友人に、批判覚悟で「〇〇党に入れて欲しい、それがあなたのためだから」って本気で言えますか?
「付き合いでも良いから、お願いだから入れて。」って言えるくらい真剣なんでしょうか?

お金も権力もない僕の支援依頼は、そうした本気度の裏返しであり、今の僕が社会に対して行える最大の意思表示だ。

「友人」が何よりも大切だからこそ、僕はこれからも、なるべく誤解のないように、嫌な思いをさせないように、胸を張って公明の支援を続けていきます。

最後に

1955年4月、統一地方選に候補を推薦したことから、学会の支援の歴史は始まったそうだ。その後、公明政治連盟、公明党が結党。そこから今に至るまで、学会の支援活動は続いている。
その間、どれだけ世間から馬鹿にされようと、批判や非難を浴びようとも、内部から反逆する人が出ようとも、学会員は支援活動を中途半端に投げ出しませんでした。

僕が今こんな風に公明の凄さを実感しているのは、一人一人の議員を当選させ、地道に政策を実現させてきた無数の先人たちのおかげです。本当に感謝しかありません。

僕は政治の専門家でもないし、学会の幹部でもありません。だけど、一人の青年として、公明支持者として、紹介したツイートのような疑問へのアンサーとして、自分の思いを言葉にしてみました。

Twitter上で構わないので、他の学会員の皆さんや、学会員ではない方々からも、色々な意見を頂けたら嬉しいです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

おわり。

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