宗教2世のハナシと正木さんの記事と。
以前書いた「宗教2世」に関するnoteのつづき(?)を書こうと思います。
メディアで「旧・統一教会」の名前を聞かない日は無い。
事件から半月以上経つ今も、報道は相変わらず過熱しているし、SNS上では安倍元総理の「事績の功罪」と「国葬」をめぐる議論が、悪意ある「政教分離論」や「宗教団体への嫌悪」と混ぜこぜにして語られ続けている。
それ自体は別に何とも思わない。
過熱し過ぎた極論はいずれ冷静な正論にたしなめられるし、根拠のない暴論はどう頑張ったって理性的な言論には敵わない。
熱いものはいずれ冷める。
火傷する人がいなければいいなと思いながら、日々過ごしています。
正木さんの記事を読みました
ところで最近、「正木伸城」さんというライターの方の記事がタイムラインによく流れてくるようになりました。
今日(7月25日)時点で、学会に関する3本の記事が公開されていて、特に3本目の記事では『宗教2世』の議論に関連して、ご自身が「創価学会の法人職員だったこと」や「学会幹部の子息」であることを明かしている。
他の記事を読んでみても、その生い立ちから正木さんが大変な苦労を重ねてきたことがわかる。
しかもこれが鬱やパニック障害などの苦悩を抱えながらの“告白”であることを思えば、とても考えさせられるものだし、今後の人生がこの方にとって豊かなものであって欲しいと思います。
ただ同時に、この記事を複雑な心境で読んでいる学会員さんもいるんじゃないかなとも思いました。
というか、僕自身はこの記事を複雑な想いで読みました。
なんだか言い知れない「モヤモヤ」が残ったんです。
そのモヤモヤを言葉にしたくて今、noteを書いています。
最初にこのnoteの立ち位置を書くと、僕自身は記事を否定するつもりもないし、この記事を理由にこの方の信仰観や人格を攻撃することもあってはいけないと思う。
その前提に立って、2つだけ思うことを書きます。
あくまで数あるエピソードの一つにすぎない
この正木伸城さんのお父さんは、最近ではあまり見かけないけど、僕でも知っているくらい幹部の方だと思う。僕でさえ、一つ目の記事で名前を見ただけで「もしかして」ってピンとくるような方。
実際に学生部時代に大きな会合で直接お話を聞いたこともあるし、すごくパワフルな方だった印象です。
でも、この著者の方については、面識もないしあまりよく知らない。
読んでいて「幹部の子息」にしか分からない苦労があるんだろうなぁと思ったし、「知らないことを知れた」という意味ではタメになる記事だった。
でも、その記事は「学会を代表する2世エピソード」ではない。
あくまで、何百万といる学会2世3世たちの中の「エピソードの一つ」に過ぎない。
確かに、「幹部の子息」「元・本部職員」「ロイヤルファミリー(著者が周囲から使われていた単語)」など、記事の中にはいわゆる(僕の基準で)普通ではない要素、特殊な要素が散りばめられている。
当たり前だけど「一般的な学会2世」ではない。
もちろん「特殊な例」だから参考にならない、なんて言いたいわけじゃない。
ただ"レペゼン学会2世"としては不十分だし、この方の人生を“この時期”にあえて記事としてアップするのは、ちょっとズルい。ぶっちゃけ、僕は不満だ。笑
本人も「学会を代表して」なんてつもりでは書いていないと思うけど、読んだ人はそう受け取るかもしれない。僕みたいに。
それは「ライター」という職業の特権なのかも知れないし、本をたくさん読んで「膨大な知識」があるから書けるのかも知れないけど、やっぱり「元理事長の息子」「元本部職員」という肩書きがなければ同じだけの注目を浴びていたのかは、少し疑問が残る。
まあでも、やっぱ使えるものは使った方がいいし、人生の苦労をポジティブな武器に変えていくことは良いことだと勝手に納得しながら読みました。
同じ学会員としてはやっぱ不満ですけどね。笑
どれくらいの役職がある方なのか知らないけど、多くの会員と接してきて、これだけ頭のいい方なら「これを読んだ学会員さんがどう感じるか」は容易に想像できるんじゃないかと思う。実際、僕みたいに「こんなこと何で書くんだろ」って思ってる人もいるし。
そう考えると、一見、学会への中立を思わせる記事の"優しい文体"のなかに「学会員の軽視」や「学会への遺恨・攻撃性」のようなものを感じてしまったのだと、僕は思う。僕だけかも知れないけど。
これがまず、第1のモヤモヤポイントです。
「家族・個人の話」じゃないですか?
もう一つの違和感は、これって別に「2世問題」じゃないじゃん、って思ったこと。
普通に家族の問題じゃないですか?
だって、記事の中で「このお父さん、言ってることおかしいな」っていうところあんまり見つかりませんでしたよ。
もちろん信仰をしている人独特の感性や価値観は、世間一般から比べれば(僕からしても)奇異な点もあると思う。それがよく分かった上であえて面白く書いている部分もある。
記事・エッセイ(=エンタメ)だから当たり前だけど、そこに反社会性や非道徳的な言動は見つけられなかった。
だとすると、それって「2世問題」じゃなくて、正木家という「家族の話」だし、もっといえば、正木伸城さんという「個人の話」ではないかなって思う。
家族や本人にしか分からない「半径数メートルの話」に、どうも無関係な学会員さんたちが巻き込まれているような印象を受けたのは、僕だけだろうか(僕だけだったらゴメンナサイ)。
ほんとは、僕自身の信仰や多くの学会員さんの生活とは全然関係ないことなのに、「学会員の子としての不満や生きづらさ」の代弁者のように書かれていることが、どうも腑に落ちなかったんだと思います。
以上が、2つの「モヤモヤポイント」です。
あー、ちょっとスッキリした。笑
ライターの正木さんには、これからも自由で豊かな言葉を紡いでいってほしいと思うし、この方のTwitterに一方的に批判リプを送ることはするつもりはない。
でも「なんか違うな」って感じたら正直な想いを返信するだろうし、明らかに敵意をもった言論なら僕もきっと脊椎反射でリプしちゃうと思う。笑
やっぱり「この言葉を学会員が読んだらどう思うだろうか」ということは、時々考えてもらえたら嬉しいなと、正直思いました。
まとめ(?)
過去のnoteでも書いたけど、僕は「学会に対していろんな意見を持つ人がいること」は(一生懸命に頑張っている学会員にとっても、そうじゃない人にとっても)全然悪いことじゃないと思う。
自由度の高い信仰なんだから、いろんな価値観があっていいと思う。
多くの人が実践できる信仰なんだから、いろんな人がいていいと思う。
僕もTwitter上で、自称・未活、非活の方や、いわゆる「学会アンチ」の方とやりとりをしたりするけど、一部の攻撃的な人を除けば、すごく理性的だし皆さんいい人が多い。
学会を意図的に「破壊しよう」「攻撃しよう」とでもならない限り、未活も非活も内部アンチも活動家もみんな、「創価学会」というコミュニティの中のバリエーション・グラデーションに過ぎないし、そうした方がいること自体が"学会の多様さ"を表しているようにも思う。
でもその中で"思うこと"もあります。
たとえば、「学会攻撃」を人気取りやいいね稼ぎ、承認欲求を満たすための道具に使わないで欲しい、って思います。
一生懸命に頑張っている人や、自分と考えや熱量が違うだけの人を、面白おかしく書き立てないで欲しいって、願っています。
(程度は違っても)同じ信仰をもつ同志として、批判し合ったり歪みあったりするのってすごくもったいないなって感じてます。
もちろんこれは、逆の立場でもいえるので自分も気をつけなきゃいけないんですけどね!
これからも、まだまだ2世問題とか、政治と宗教の問題とか、色々な主張や言説が登場するんだろう、って気がしてます。
でも僕自身はこれまで通り、学会員として胸を張って、楽しく朗らかに頑張っていけたらいいなと、思っています。
暑い日々が続きます。
皆さんも、夏バテ、熱中症にはお気をつけて。
おわり。