自己紹介 -サッカー-
皆様お疲れ様です!
いつもありがとうございます😊
今までは年代ごとに振り返っていたのですが、年代ごとに色々とエピソードが浮かんでその時の気持ちのまま書いているところが強く、今回はトピックとして、サッカーを取り上げさせて下さい。
サッカーとの出会いは、5歳くらいの時ですかね、僕は両親が共働きということもあり
父方の祖父母の元へ預けられる時期が多かったのですが、その時に近所のお兄さんに良く遊んでもらっていたのですが、その時に教えてもらいました。
場所は北海道は壮瞥町
有珠山と洞爺湖が有名なんだと思います。
マサカズさんというお兄さんが当時中学生で5歳くらいの僕の面倒を見てくれた中で
サッカーをした記憶があります⚽️
こういうの意外と覚えてますよね?
マサカズさん元気なのかな?
その後、小学校三年生の時に対馬君の誘いで
大宮サッカークラブに入って、いよいよ本格的にサッカーを始めたのですが、
以前のブログに書いた通り転校してしまいます。
転校先でサッカークラブを見つけられていなかったのですが、僕がサッカーやりたいという強い気持ちが引き寄せたのでしょう。
かもめと出会います!
かもめ入団までは、FW・司令塔に憧れていて、前線でプレーしていたのですが、かもめに入って最初の試合の際に、何故かサイドバックを指示され試合に出ることに…
やったことないポジションだったし、前線やりたかった僕は、上がりまくりました😅
僕としてはこんだけ攻めていれば、前線やれるだろうと思っていたのですが、チーム事情なのか、上がれるサイドバックめちゃくちゃ良いよとお褒めの言葉を頂き、気付けばサイドバックのレギュラーとして試合に出れるようになりました。
そこからセンターバックもテストされ、サイドもセンターもある程度出来るということで、DFとして副キャプテンを小5から任せてもらえました。
何度かFWで出場する機会も貰えたのですが、評価はイマイチ😅
中学生になって、基本的にはDF、その当時ボランチという名前が登場するようになって、パスの魅力を感じていたのと、足の速さが速いFWとの戦いに苦労していたこともあり、ボランチとしての出場も増えていました。
中学2年の時に一つ上のBチームの試合に出してもらえるようになり、その当時は年功序列がまだまだ強かった中、一つ上の試合に出れる後輩は一試合一人くらいだったので、それなりに評価してもらえていたのだと記憶しております。
中学2年の時、かもめで横浜市ベスト4が人生最高の成績でした。
中学三年の時横浜市大会の三回戦、神奈川区大会はよく優勝していたのですが、市大会の三回戦の相手がめちゃくちゃ上手くて、0-3で負けました。
そこまではいいのですが、その勝ちチームが4回戦で0-3で負けたのを知ったのと、自分の膝が良くなく、水が何度も溜まり、その時の先生に謎に君の膝はサッカー選手になれないと言われたことをきっかけに挫折し、サッカーを手放すこととなりました。
サッカーからはチームプレーを学びましたし、精神的に鍛えられて、自信や自己肯定感を高めてくれたので、出会えて本当に良かったです!
今でもサッカーは大好きです!
また関わりたいなと思ってます。