見出し画像

IV. 黙示録の7シリーズに秘められた預言① 第6・第7の開封の間:教会の救済史的位置づけ(7章)

先の投稿でも記しましたが、3つのうち最初の2つのシリーズ(封印、ラッパ)の幻では、第1から第6の幻と最終である第7番目の幻の間に、挿入されている幻があります。つまり、最終に至る前に、知るべきこと、耳を傾け、見るべきことがあるということです。(最終の鉢シリーズでは、もはや挿入はなく、第1から第7の最後まで一気に裁き/災いの幻が続きます――そうして、17-22章で圧巻の幻が最終的に提示されるのです。)

図解、するほどではないかもしれませんが、こんな感じ(↓)です。

 ▲1 第6・7の封印の間:7章 教会の位置づけ      
▲2 第6・7のラッパの間:10:1-11:13 教会の召し/働き

第6と第7の開封の間には7章、第6と第7のラッパの間には10:1-11:13に、それぞれ挿入されている幻があり、また、ラッパと鉢の間には、12-14章の幻が挿入されています。(最後のとどめを前に… という感じでしょうか。)繰り返しになりますが、これらの箇所にこそ、一連の流れを留めて明らかにされる預言、教会が与えられた召しに応え、この世におけるまことの勝利を得るために、心に留めておくべき秘儀が隠されているのです(2-3章)!

7章:教会の救済史的位置づけ

まず、7章、第6と第7の開封による幻の間、巻物が完全に開かれるに際して示される幻です。この幻によって、開かれる巻物が、誰の何のためのものかが記されていると受けとめることができるでしょう。

改めて、封印の幻ですが、第1から第4では、馬にのる騎手とそれらが象徴する戦い、世々繰り広げられている様々な戦いを示唆しています。競争(武力による支配、抑圧)、格差(富の不平等、不均衡)、死病(医学の進歩があっても解消されない、それどころか複雑化する病、どうあがいても逃れられない死)です。第5の開封では、そのような人類の歴史の中で、神のことばを知り、証しに生きた(死んだ)人たちが、天の祭壇において「いつまでですか?」と嘆き訴えていることが明らかになります。同時に、そのような人々には、白い衣があてがわれ、同じような人々の数が満ちるまで「もうしばらくの間、休んでいるように」とねぎらわれます。そうして、第6の封印の開封により、ついに神が応じる日、地に臨まれる日が来ることが明らかにされます。「神と子羊の御怒りの、大いなる日」と称されるその日(6:17)、災禍は壮絶で、身分も地位も財力も何の助けにもならず、皆が身を隠そうと躍起になります。「だれがそれに耐えられよう」――その問いをもって、幻は幕を閉じます。

先に述べたとおり、第5で示唆される待機期間がラッパ、第6の極みの時が鉢の幻によって明らかにされる訳ですが、その前に、それぞれの開封の幻で挙げられた問いへの回答が、7章で予告編のように示されます

7章では、まず、4人の御使いが、地の4隅に立ち、地に災禍が及ぶのを防いでいる(留められている)ことが示されます(7:1-3)。この4人の御使いは、最後のラッパの手前、第6のラッパが吹かれるまで、災禍を及ぼすことがないよう据え置かれます(9:14)。この間に、何が起きるのでしょうか? 

「神のしもべたちの額に印を押してしまうまで」(7:3)とあります。

この神の刻印を押された神のしもべたちこそが、第6の開封による幻を締め括る問い――神と子羊の大いなる怒りの日に耐えられるのはだれか(6:17)――の回答です。彼らだけがその日にも損なわれずに守られるというのです。この刻印には、捕囚期、エゼキエルに託された働きが伏線として想起されます(エゼキエル9:4, 6)。神さまが臨まれる時には、汚れや忌むべきことは、神さまの栄光のもとに晒され、滅びを招くことになる。けれども、世に迎合せず、嘆き悲しんでいた人々は、額に刻印を受け、滅びを免れるというものです。この刻印が、イエス・キリストにあっては、御霊の刻印(第二コリント1:22)であり、イエスの焼き印(ガラテヤ 6:17)を示唆するものと受けとめられます。刻印は、必ずしも、身体的/物理的に押されるものではないのかもしれません。(下記、補足※1メモ参照。)

「神のしもべたちの額に印を押してしまうまで」(7:3)との回答は、同時に「いつまでですか」という第5の開封で訴求された問い(6:10)に答えるもの――「しもべ仲間」であり「兄弟たち」の数が満ちるまで(6:11)に対応するものでもあります。

この刻印を押される人々について、ヨハネはイスラエルの12部族からそれぞれ1万2千人、合計14万4千人と聞きました(7:4-8)。けれども、ヨハネが実際に見たのは、神と子羊の前に立つ、白い衣を身にまとった「すべての国民、部族、民族、言葉から」の「だれも数えきれないほどの大勢の群衆」でした(7:9)。すなわち、子羊の血潮によって贖われ、完成されつつある教会です(7:13-14)! 

この「聞いた」ことと「見た」ことの”ギャップ”は、初めてのことではありません。ヨハネが天に招かれ(4章)、御座にいる神の右手にある巻物が封印され閉ざされていた(5章)――その巻物の封印を解くことができるのは誰か? 勝利を治めた「ユダ族から出た獅子、ダビデの根」と聞いた(5:5)のですが、実際に見た(そして、巻物の封印を解くよう受け取った)のは屠られた姿の子羊でした(5:6-7)。この獅子と子羊の関係は、イスラエルの12部族と教会の関係に適用されるものでしょう。前者の意味がなくなったというのではありません。が、旧約において聞いていたことは、キリストの到来、その十字架上の死と復活によって、終末において驚きの成就(後者)を見ることになったのです。(下記、補足※2メモ参照。)

今や、教会こそが、キリストの贖いにより、ユダヤを超えて世界中から神の民として召され、裁きの日にも(御怒りとしての)災禍から守られるのです。ローマの支配下で迫害や懐柔を受け続ける教会、まだ世において確立した地位などなく、自己認識(アイデンティティ)にも帰属意識にも揺らいでいたであろう教会にとって、この位置づけはどれほど重みがあったことでしょう! 

この数が満ちた時の贖いの様が、第7のラッパが吹かれた後、最終の災い(第15-16章で「神の怒りが頂点に達する」災い//第6の封印で示される「神と小羊の大いなる怒りの日」の到来)がもたらされる前に14万4千人の歌(14:1-5)の幻として提示されます。そして、最後の災いを経て、子羊の婚礼(19:5-8)、花嫁としての完成(21:1-4, 9-10)へと続きます。しかし、そこへ至るまでには、教会は戦うべき戦い、治めるべき勝利があるのです。

最後の到来を前に、キリストの贖いにより、終末の神の民として完成されつつある教会にこそ、キリストが受け取った巻物が開かれ、御使いによってラッパ、そして鉢へと続く一連の幻が提示されるのです(cf. 1:1)。そして、黙示録の真中に位置するラッパの最終部に挿入された幻(10-11章、12-14章)にこそ、教会に託された召し/働きが明らかにされ、何にどう備えるべきか、どう勝利を得るのか、戦うべき戦いはどのようなものかが明らかにされていくのです。続いて、それらの幻を見ていきましょう。

【補足】以下、思い立った時に、ポチポチ補足しています。脈絡を気にせずご参照ください。

  • ※1 刻印について:(1)黙示録で神の「刻印」と訳出されるギリシャ語は、封印のギリシャ語と同じ(51, 2, 5, 9; 6:1, 3, 5, 7, 9, 12; 7:2; 8:1; 9:4)。 このことから、巻物の封が解かれる(終末の歴史が展開する)ことと、神の刻印がその僕に押されていくことは、並行して展開していることなのかなと思ったりします。その一方で、(2)神の「刻印」が押されるのと並行するかのように、獣の「刻印」も押されていきます(13:16-17; 14:9, 11; 16:2; 19:20; 20:4)。日本語では同じ「刻印」が充てられていますが、ギリシャ語では違う単語になります。同じようであっても、決して紛れるものではないのです。巻物で記される終末の展開を通して、神と獣の刻印が人々に押されていく。教会(キリスト者)は、獣の刻印を受ける人々がいかに多くとも(そして、サタンに倣って、神を否み、呪うような人々の只中にあって)、神の刻印を受けたものとして、黙示録に描かれる展望を見通し、同じく神の刻印を受けるべき人々を招き続けることが託されているのでしょう。

  • ※2 ちょっと逸れますが、私個人的には、イスラエルが教会によって置換されたということでもないと受けとめています。むしろ、イスラエルのそもそもの目的、アブラハムに託された召し――多くの国民の父となり(創世記17:4-6)、地のすべての部族が、彼によって祝福される(創世記12:3;)――が遂に実現した(!)との理解です。(さらには、それがすべての人に及んでいる原罪を超えて、創造の初めに神が意図された祝福が回復されることだとも!)ちなみに、アブラハムが召されたのは、バベル(バビロンの伏線?)の企ての崩壊後であったことも、着目すべきでしょう。

  • 掲載した画像について:典拠は以下のとおりです。(念のため申し添えると、画像のもととなるサイトの記事にはちゃんとあたっておらず、その内容に同意するものでは必ずしもありません。)

◆トップ画像
https://ryanleasure.com/who-are-the-144000-in-revelation/

◆刻印
https://www.jw.org/en/library/books/pure-worship/survives/mark-on-foreheads/

いいなと思ったら応援しよう!