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シン・アリとキリギリス

『アリとキリギリス』のあらすじ​​

 ある暑い夏の日、キリギリスは歌いながら得意のバイオリンを奏で、夏を謳歌していました。そこに食べ物を懸命に運ぶアリの行列が通りかかります。「暑い中、なぜ働いているんだろう」と思ったキリギリスはアリたちに尋ねました。すると、アリたちは「食料がなくなってしまう冬に備えて、食料を備蓄している」といいます。キリギリスにはそんなアリたちが信じられません。

「まだ夏なのに冬の準備なんて!」

 やがて秋が来てもキリギリスは楽しくバイオリンを弾いて歌い続け、対照にアリたちは冬の準備に余念がありません。そして、いよいよ冬が到来しました。

 食べ物が取れなくなり、夏、秋と遊び呆けていたキリギリスにはもちろん備蓄食料なんてありません。空腹と寒さで困窮しているキリギリスは、冬であるにもかかわらず暖かそうに暮らしている家を見つけます。その家をのぞき込み見たものは、キリギリスが音楽に興じている間も働き続けたアリたちの姿でした。やせ細り、餓死寸前のキリギリスは、アリたちに食べ物を分けてほしいと懇願します。しかし「夏に歌っていたなら、冬は踊ったらどうですか?」とアリたちは取り合ってくれません。

 アリに見放されたキリギリスは、空腹を抱えたまま凍死してしまいました。

アリとキリギリス

小さい頃、本で読んで疑うこともなかったこの話を
ここ10年間くらいで、疑うようになっていた。

「働かざるもの食うべからす」
真面目に働くことの大切さや、
将来のことを考えて努力することの大切さを教訓としているこの話に、
そうできない人は、人生を楽しんじゃダメなのか?
捉えるようになってきていたから。

でも、またその見方にもヒビが入った!
「自由ぶった」と捉え方だった。

この次元の「ふつう」というフィルターを外してみたら
自分はアリ🐜なのだ。


3次元的に稼いでないし貯金という貯金もない。
遊んでばっかり。
だったらキリギリスの方なんじゃない?
ごもっとも!

しかし、
「従来の価値観を手放して、生きはじめた」
という点でいえば、自分はもう全くもってアリ🐜なのだ。

真面目に真面目に馬鹿を突き抜けて
(狂気の沙汰なくらい)
めっちゃどこまでも自分に向き合っている。
備えている。
何度失敗してもw
こんな幸せなことはない。

このアリの場合は
「貯金」というスタイルではなく
宇宙からの源泉掛け流しのスタイルなので
即3次元に還元される。
(アミでもそんなこと言ってたよね!)

***
実家に数日間滞在中で、
「ままは貯金できないでしょ〜w」と
娘に向かって、うちの母が言っていたのを聞いて、
みんなでガハハーと笑っていたのですが、

「よっっしゃ!!!!褒め言葉!」

期待がない。
=自分が自分に期待(圧)しなくなってこれてるね!

と、嬉しく気づいた話でした。😆

「シン・アリとキリギリス」は
みんないつだってそのまんまでいいよ!という教訓の話。

アリは悲壮感ではなく。。。

みんな歌ってる。


お読みいただきありがとうございました⤴️

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