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終わった後のはなし (4)

4.この手でできること

浜辺での散歩を終えて帰宅したあと、
城野さんはすぐに眠ってしまった。
片付けるのが面倒くさくて、だいたい毎年蝉が泣き始める頃まではスイッチを切ったまま居座りつづけるのが定番となっているうちのこたつに足だけを突っ込んで、僕が食べ終えた食器を片付けている間に彼女は返事をしなくなった。

眠っている間に彼女のこの姿が消えてしまわないか不安で、僕は彼女に触れる事が出来ないをいいことに隣に寄り添って寝転ぶ。
ちょうどそう、彼女をここに招いたあの日もこんな季節で…
僕は気が付いた。
あの時と時期頃合がほとんど同じだということに。

13年前一

僕の延期の提案を跳ね除けて大雨の中やって来た城野さんを連れて、僕はドライブに出た。
洒落にならないくらい天気は悪かったので、わざわざそんなリスクを背負って出かけなくても良かったのだが、部屋の中で、2人きりで、しかも酒を飲もうとなったら、僕は正気を保ち続ける自信がなかった。

高校を卒業した後も、城野さんは正月と僕の誕生日には必ず連絡をくれた。

正直なことを言うと「嫌い嫌いも好きのうち」状態だった高校時代(後半)の内に自分の気持ちの整理を付けられなかった僕は、最後まで彼女の告白を断り続けて高校を卒業した。
それから暫くは何ともなく過ごしていたけれど、休学前後の僕のメンタリティは高校時代のそれよりもっとどうしようもなくて日々悪化の一途を辿る他なく、もちろん講義にも出席せず、ただ毎日を呆然と過ごすことしか出来ずにいた。
そんな中で僕は、勝手にも彼女の事を思い出したのだ。

僕が結局自分の気持ちを整理できなかったのは、これが恋愛感情なのか、自分に無い環境への単なる憧れなのかが最後まで分からなかったからだった。
高校3年生になると、内申のために登校しなくてはならない日も、生徒指導室じゃ許されない日も増えて、受験に向けて学内テストや模試も多くなった。
勉強することは全く嫌でないのだが、学校に行くことが何よりも苦痛だった。
あの制服を着てあの学校に属していると周りに示すのが嫌だった。
城野さんに目をつけられてからは、相手をしなくてはならないのも面倒で憂鬱だったけれど、それだけは次第に変わっていった。
毎日、どこに居たって僕を探し出して声をかけてくる姿を見ていると、自分もここにいていいのかもしれないと少し思えるようになった。
誰かの"必要"になれている気がした。
彼女は自信に満ち溢れていて、例え疎まれても「でも、私がいないとあなたは困るでしょう?」と言いそうな、太陽みたいな人だった。
しかしながらその自信に圧迫感はなく、まるで魔術のように人に伝播していくような感覚だった。

その魔術が、卒業してから4年経ったところで
僕にも覚醒したのだ。

僕はその年の春に、まず食事に誘って
学生ではない城野さんと初めて顔を合わせた。
予想していた程、彼女の外見は大人びてはいなかった。むしろ制服を脱いだ彼女そのままのような感じがした。
城野さんは「まさか篠宮くんに誘ってもらえるなんて思わなかったから凄く嬉しい!」と、終始あの頃の笑顔を振りまいた。
でも僕は気付いていた。
あの怖いほどにまっすぐ僕を見てくる彼女じゃ無くなっていることに。
会話が途切れた時、少し焦って落ち着きのない彼女がいることに。
あの、初めてのバレンタインの日の朝と同じような…

僕は、まだ彼女に意識されているのかもしれない事に想定以上に舞い上がった。

その時は、その日の内に彼女を帰りの電車に間に合うように車で送って別れた。
「今度、天文台に星を見に行かない?僕の部屋に遊びにおいでよ。」
その連絡をしたのがその年の夏。
彼女がここに戻ってきた、1番の理由となる約束だった。




城野さんの隣に寝そべってまず僕が調べたのは
天気と星の情報だった。

ペルセウス座流星群を見るために、あの時城野さんを誘ったはずだ。
きっと、極大が近いはず。
天文台の極大予想は明後日の夜。
天気予報はなんだが微妙な物言いだった。
最悪、極大じゃなくてもその前後でも天気が良ければ星は綺麗だろう。

次に、城野さんの"聞きたかった事"を考える。
…というか、自分がどういうつもりなのかを考える。

立て続けにあの時城野さんを誘ったのは、
今だったら、自分の心の乱れのせいにしてそばにいて欲しいと言えそうな気がしたからだ。
あとは、あの魔術をまたかけ直して貰いたかった。
今の僕はどうだろう。
彼女が意識だけの触れられないこんな姿になった理由になんとなくだけど気づいた今、僕は彼女をどうしようと思っているのだろう。
…このまま、ずっといればいい。
そう思う僕も、正直いた。
仮に城野さんの望みが叶うと消えてしまうのならば、一生それをなぁなぁにし続けて存在させ続けたい心はゼロではなかった。

逆に望みを叶えることで、実体に意識を返して…
いや、そうすると、彼女は恋人の所へ戻ってしまうのか…。

「私の気持ちは届かないみたい」
彼女がそう言った"私の好きになった人みんな"の中には、きっと僕も含まれていただろう。
じゃあ、なんでそんな奴に彼女は会いに来たんだろう。
何故、あの日の約束を果たそうと思ったんだろう。
何が気がかりだったんだろう。

もしかしたら、と思い眠っている城野さんに触れようと試みたが、その指は予想通り彼女の額を突き抜ける。
「城野さん、僕はどうすればいい?」
考えながら僕も隣でいつの間にか眠ってしまった。

酷い雨だった。
酷すぎる雨だった。
こんな天気の中、本当によくやってきたもんだと思う。
僕は念には念を、コンタクトでなくメガネで運転に臨んだ。
運転する時メガネなんだねと言って横からまじまじと見られるので、正直それでもちゃんと前が見えるか不安だった。
天文台まで殴りつける雨の中行ってみた。
本当はここで星を見る予定だったよ、と。
「そうなんだー。…晴れないかなぁ?」
城野さんはそんなことを言った。
無茶を言うな。絶対に無理だよ。

帰ってきて、僕はすぐさまトイレに閉じこもった。とりあえず、大きく息を吐く。
あぁぁぁ、あんまり生きた心地しなかった。
それは隣に城野さんがいるという緊張感と、絶対に事故れない緊張感と。
張り詰めた神経のまま、楽しくお喋りするのは
本当に至難の業だった。
僕よ、よくやった。

一通り呼吸を落ち着かせて戻ると、机の上に見慣れない瓶を見つけた。
夏にふさわしく薄く青に染められて磨られたガラスの上に、赤と黒の金魚が泳いでいる。
「これなに?」
「冷酒。普段日本酒は飲まないけど、篠宮くん強いっていってたし、2人だったら空くかなー?と思ってビンが可愛かったから買ってきた。」
内容量的にそんなに多くもなかったので、その気になればすぐ無くなりそうだった。
「冷酒なら冷やそうよ。」
僕はこの瓶を受け取って、代わりに冷蔵庫から出した手の缶ビールをその手に渡した。
「ビール飲める?」
「大丈夫だよ。」
受け取る彼女をぼーっと見ていると「どうしたの?」と首を傾げられる。
酒の勢いに任すだなんて、だいぶ卑怯な気もするけど、シラフのうちになんか変な空気にするのもまずいし…
僕はそんなことを考えていた。
「篠宮くん、いつもビール?」
「んー。そうだね、ビールが多いかな。酎ハイとか、カクテル寄りのも一応あるよ。そっちの方がいい?」
「あ、ううん。違うの。なんかウイスキーとか好きそうだなーって思っただけ。いいウイスキーでハイボールとか飲んでそう。」
どんなイメージだよ。
「知的そうじゃない?」
それを聞いて僕は思った。
そうか。城野さんは、荒くれていたあの3年の僕しか知らないのか。
大学のサークル部屋の床に転がって、安い酒を水のように飲みながらしょうもないことで笑ってるだけの僕とか、知らないもんな。
今の僕に知的さなんて微塵もなかった。
それが、彼女の惹かれてる部分だったらどうしようかと焦るほどに。

色んな話をしながらも僕の決心は煮えきらなかった。
1歩踏み出そうとしては引っ込めてを繰り返し、気づけばもう3時間くらい経過していた。
次第に城野さんがゆらゆらしだしたことに気づく。
回っちゃったかな…
僕は水を取りに立ち上がろうとした、けれど、
つんのめって立ち上がれなかったのは、城野さんが僕のTシャツを掴んで引っ張ったからだった。
「どこ…行っちゃうの?」
座ったまま少し上目遣い気味に僕を見る彼女に、僕は露骨に赤面したんだろう。
「篠宮くんは色白だから、酔いが肌に出ちゃうんだねぇ。」
違う。これくらいで酔うか。…じゃなくて。
「城野さん、だいぶ回ってるでしょ。水取ってくるから、離して?」
僕は見逃さなかった。
揺らいでいたその瞳の奥の色が、一気にキュッと濃くなったことを。
まるで何かを試したような、そして、何かを悟ったような、そんな表情を下に隠して、彼女はふっと笑う。
「…優しいね。」
そう言うと、城野さんは静かに僕の服から手を離した。

その後、城野さんは
さっきの揺つきが嘘のように、しっかり座って、しっかり喋って、その後も僕のペースに寄り添うように飲んでいた。時間が少したってから気がついたけれど、
そういえば、彼女は表現者だ。
様子を伺うために顔を使い分けるなど、おそらく造作もなかっただろう。

状況からして、城野さんのあの行動は僕を誘っていたんだろうと思う。
そして、すぐさま諦めたんだろう。
諦めた、というより、無駄と判断したという方が的確かもしれなかった。
もう諦めを露にしている彼女に対して、僕が改めて仕掛け直すのも、少し気が引けた。…いいや、違うな。やはり勇気が出なかった。

日付が変わって2時間程だった頃、とうとう城野さんは本気でうとうとし始めた。
ぼくはベッドの上の掛け布団を捲って、そっと彼女の肩を叩いた。
「ベッド使いな。立てる?」
手を取って引き上げようとすると、城野さんは僕をそのまま思い切り引っ張った。
勢いに負けて覆い被さるように僕は倒れ込む。
「なにやってんの、危ないだろ。」
僕の下で楽しそうに彼女は笑っている。
「私がベッド使ったら、篠宮くんはどこで寝るの?」
「そりゃ、もちろん床で寝るけど…」
あっ、と思った時にはもう遅かった。
多分その答えは、今正解じゃなかったはずだ。
巻き返そうとして、その大幅な違和感に僕は逆に更にブレーキを踏もうとする。
「じゃあ、私も床でいい。」
あたふたしてまだ退かないでいる僕の腕にそっと触れて、城野さんはそう言った。
自分の隣の床をとんとん、と叩く。
「寝るったって、なんかもう外明るくなりそう。」
僕に背を向けてうずくまって笑いだした城野さんを、僕はそっと、本当にそっと、片腕で後ろから抱え込む。
城野さんは一瞬ピタリと動きを止めたが、程なくして、空いているもう一方の僕の腕に小さな頭を乗せて、満足そうに笑った。

その後、どちらかが動けば
未来が変わっていたかもしれない。
僕はその笑顔を見ているだけで、まだよかった。
彼女は…どうだっただろう。

目の前にある、滑りの良さそうな艶髪に触れようとしたところで、場面がとんだ。
…いや、現実に戻ってきた。
あの日の夢を見ていたと、僕はそこでやっと気付いた。

あの日と同じように、すぐ隣に城野さんが居る。
僕は現状打破のヒントを求めて、もう一度眠ることにする。
僕には触れられないその身体が、背を向けた僕をにそっと触れているとも知らずに。

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