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ゆかりんのココロの中㊽~京都で「女王」と化している彬子女王

皇族・彬子女王は、京都に移住し、現金5,000万円でマンションを一括購入して、現在、京都での生活を満喫しています。その京都での生活の様子は、地元紙の京都新聞にエッセイとして連載されているほか、著書や講演会などでもほぼ毎回エピソードとして語られています。

その京都での代表的なエピソードとして、京都の人々から「よう帰ってきはった」と温かく迎えられたり、毎年参加しているお祭りなどで「あ、お姫さん、今年も来てくれはったなあ」と喜ばれる、といったものがあります。そして、彬子女王は自ら、京都で心地よい居場所を見つけたと公言し、普段から京都弁を使って生活しているそうです。

『京都 ものがたりの道』より①

このように、すっかり京都人化しているかのような彬子女王ですが、京都には、京都府や京都市が推進する「双京構想」というものがあります。これは、京都の政治家たちやその背後にいる「白足袋族」と呼ばれるローカル・エスタブリッシュたちが東京と京都を二つの都として機能させ、できるだけ皇族を京都に滞在させ、やがては住み着いてもらうことを目的とする構想です。実は、宮内庁以外で比較的に皇室や皇族及びその伝統的文化に深く関わっている官庁である文化庁が京都に移転したのも、この流れに乗ってのことです。

実は彬子女王の"京都贔屓"もこの構想に積極的に乗っかり、関与してのことなのです。そのため、自らの"学問研究"の場も京都の中心的な大学の1つである立命館大学に置き、その近くに居宅としてのマンションを購入、更に自らが中心になった一般社団法人の活動も京都を軸として西日本などで展開しています。


『京都 ものがたりの道』より②


日本国憲法では、天皇および皇族が政治に関与しないことが定められています。それにもかかわらず、「双京構想」という政治的ビジョンにおいて、彬子女王がこの構想に加担しているのは明白であり、これは皇族が地域振興の道具に皇室を貶めようとする政治に関わっている明確な実例です。

また、彬子女王が普段から京都弁を使用しているという発言も極めて重大です。皇族は、国民の象徴である天皇陛下をお支えることが役目であり、その言動には国民全体への配慮が求められます。皇族が特定の地方の方言を使用することは、その地方の住民を優先していることになります。

特に京都弁のように歴史的・文化的に大きな意味を持つ方言を積極的に使用することは、他の地方との不平等を引き起こしやすい危険なものです。皇族は公私を問わず、国民に対して公平なメッセージを伝えるには標準語を基本とすることが望ましく(皇室には伝統的に用いられてきた言葉やその用法があるのですが、それは一地方の方言と調和するものではありません)、それを逸脱するのであれば、皇族としてのあり方にそぐわないものとなるでしょう。

『京都 ものがたりの道』より③ 京都府警の護衛艦(側衛)とのエピソードの章にある挿絵。お気に入りの府警さんに会うため時々府警本部を訪れているという(もちろん府警さんは仕事中)

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