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ゆかりんのココロの中㊾~自称「挑戦する皇族」そして「こちら側の皇族」彬子女王


「僕たちが何物でもなかった頃の話をしよう」という本があります。これは、業績のある方々にインタビュー形式で「何者でもなかった頃の不安や焦り」について聞いてまとめたものです。この本の続編に彬子女王が登場し、「皇族」という役割について自身の持論を展開しています。

『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』①



彬子女王は、初めて一般参賀に参列した日、一斉に振られる日の丸の小旗を目の前にして、「こちら側に立っていることの重み」を実感したそうです。「皇族であることはどのような意味を持つのか」「皇族として自分はどうあるべきか」「自分に求められているものは何か」、そういった思いが次々と胸に迫り、涙が出そうになったと語っています。そして、この一般参賀で「皇族であることの意味」をきちんと理解できた気がしたそうです。

「こちら側」と自分を称する彬子女王。私たち一般国民は「あちら側」なのでしょうか。

『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』②



彬子女王は、イギリス留学中に「話す権利」「主張しなければ権利は得られない」というイギリス人の価値観に触れ、自分の意見をはっきりと伝える「主張する癖」がついたそうです。帰国後も、日本社会で感じた違和感に対し、率直に「おかしくないですか」と発言するようになったと語っています。

『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』③



そして日本では、皆が同じであることを求める社会風潮がありますが、黙っていては「権利は勝ち取れない」という考えから、自分の思いを口にするようになったそうです。

彼女は「ほんまに私は組織のコマになれへん人間やねんな」と、仲の良い京都府警の人に話したところ、「彬子さまを組織のコマにしようとする発想自体が間違ってますから」と言われ、心が救われた経験があったと述べています。

皇族の仕事も「権利」だと思っていらっしゃるようですね。

『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』⓸


彬子女王は、自分に制限がある分、自分の気持ちには正直でありたいとハッキリと自ら語っています。

これを読んで、彬子女王が実母である信子妃殿下に対して、メディアを使ってバッシングをしたり、経済的DVを行ったり、信子妃殿下が三笠宮邸にお住まいになれないほど追い詰めた理由がはっきりとわかりました。彬子女王は、個人的な感情で正直に行動してきたのでしょう。

文藝春秋 2015年7月号



彼女は「皇室(組織)のコマ」になるつもりはなく、一人の人間として主張し、行動したいのでしょう。実際、彬子女王は自らを「挑戦する皇族」と称しています。

彼女は、伊勢神宮のお白石持行事に参加し、胴上げをされたり、出雲大社の御柱祭で柱を曳いたり、大学野球の始球式で投球したり、田植えのトラクターに乗ったり、修復中の御本殿の屋根の上まで登ったり、出雲大社の宮司とピースサインで写真を撮ったりと、他の皇族が経験していないことに次々と挑戦してきたそうです。これらのことを誇らしげに語っています。

『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』⑤

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