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聖霊とともに行う赦しの具体例と聖人による赦しの実例(2/3)
聖霊とともに行う赦しの具体例と聖人による赦しの実例(1/3)
それでは次に、兄弟からの攻撃を「愛と助けを求める呼びかけ」として観ることによって愛を延長し、その結果として兄弟が回心することになった聖人たちの実例を紹介したいと思います。
ちなみに、「回心」という言葉は、一般的には”かいしん”と読み、これまでの誤った心を改めることをいい「改心」と同じ意味で用いることもあります。
キリスト教などでは、過去の罪の心や生活を悔い改めて、神に信仰心を向けることを回心といいます。
仏教ではこれを”えしん”と読み、もともとの心を改めて正しい仏道に向かうことをいいますが、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は自力の心を捨てて他力に帰することを回心と述べています。
他力とは、仏の力、阿弥陀仏の慈悲のはたらきのことをいいます。
阿弥陀仏の生きとし生けるものを救わずにはおれないという強い願いのはたらきを「他力本願」といいます。
ですから決して、他力が他人の力をあてにしたり、他人まかせにするという意味ではありません。
つまり、回心が起こるとき、そこには必ず聖霊のはたらき、仏教的に言えば阿弥陀仏の慈悲のはたらきがあるということになります。
ということで一人目の実例は親鸞聖人です。
親鸞聖人は浄土宗の宗祖である法然上人を師と仰いでからの生涯に亘り
「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」
を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ人物です。
また、すべての人々に慈悲の眼で接せられ、愛を差し伸べることから世界の光と称される人物でもあります。
その愛は自分に刃を向ける者に対してでも例外ではありませんでした。
それでは、今でも語り草になっている弁円による親鸞聖人暗殺事件の顛末をこれから紹介したいと思います。
親鸞聖人は四十歳頃から茨城県の稲田を中心に仏教を伝えておられました。
その当時一大勢力を誇っていたのが弁円という男でした。
弁円とは、播磨公弁円といい、修験道を率いて関東一円に勢力を誇っていた山伏です。
当時の仏教といえば、祈祷をして病気を治したり、現世利益(個人的な願望の実現、この世での幸せ)を得るためのものと思われていました。
茨城県は常陸の城主、佐竹秀義も、弁円の名高い山伏の祈祷の力で領内の治安を保とうと考えたのです。
この頃の弁円は、門弟が百人以上おり、人々の尊敬を集める関東で一番の実力者でした。
そこへ、四十歳を過ぎられた親鸞聖人がやってこられ、稲田を中心に布教を始められると、だんだんと風向きが変わってきました。
聖人は、仏教と祈祷は何の関係もなく、それらの邪道な教えによって人が真に幸せになることはないという因果の道理に従った真理を明らかにし始められたので、弁円に祈祷をしてもらいたいという人と弟子たちが次第に減ってゆくことになりました。
このことに腹を立てた弁円は、加持祈祷によって、聖人を呪い殺そうとします。
板敷山に護摩壇を築いて三日三晩、祈祷を行いました。
ところが、その効き目はさっぱりで聖人は死にもしなければ、病気にもなりません。
それどころかあいも変わらず元気に仏教を説かれています。
業を煮やした弁円は、聖人を亡き者にしようと機会をうかがっていました。
そんなおり、聖人が柿岡村に布教に行くため、人里離れた板敷山を通ることを耳にしたのです。
弁円はこのチャンスを逃すまいと弟子を従え待ち伏せます。
ところが待てど暮らせど聖人は現れず、やがて聖人一行は、とっくに柿岡に到着しているとの知らせを聞きます。
そこで今度は、帰り道こそはと潜伏しますが、またも失敗に終わります。
聖人は地元民の案内で猟師道を通って難を逃れていたのです。
弁円は何度も次こそはと聖人の暗殺計画を巡らすも、ことごとく失敗に終わりました。
いよいよ頭に来た弁円は、有力な弁円の弟子十数名を引き連れて、白昼堂々自ら聖人の稲田の草庵に乗り込んで、確実に息の根を止める計画を立てました。
弁円による門前の怒号に、聖人の門弟たちは血相を変えて聖人のもとへ集まります。
そうして裏から安全な所へ退避させようと懇願する弟子たちに聖人は諭されます。
「親鸞が弁円殿の立場であれば、親鸞が押しかけていくだろう。謗るも謗られるも、恨むも恨まれるも、ともに仏法を伝える尊いご縁なのだ。会わせてもらおう」
弁円は門を破って境内に乱入し、玄関前に仁王立ちになり
「出てこないなら、こちらから踏み込むぞ!」
と叫びます。
すると、静かに草庵の引き戸が開きました。
「お待たせしました。弁円殿」と親鸞聖人が姿を現します。
「お前が親鸞か。この播磨公弁円が仏様に代わって成敗してくれる!」
弁円は剣を振りかざし、聖人に切りかかっていきます。
ところが聖人は、数珠一連持たれて
「よくぞ参られました弁円殿」と笑顔で迎えられます。
何のてらいもなく無造作に立たれるその姿に、弁円の足が止まります。
弁円は我が目を疑います。
燃やせる全てを燃やし、憎悪の炎を湯気のように立てているこの自分に「よくぞ参られた」と手を伸ばさんばかりの聖人の笑顔は仏か、はたまた菩薩か。
これが自分がこれまで怨敵と呪い続けた親鸞か。
刀をもつ手は力なく震え、見る見るうちに殺意は消え失せ、両の掌から剣が滑り落ちました。
冷静になった弁円は、自分のやろうとしていることを素直に振り返り
「ああ、なんてことだ!俺は間違っていた!」
と深く後悔し、大地に膝を突き、血走っていた眼からは熱い懺悔の涙が止めどなく溢れ出ます。
「親鸞殿、申し訳ござらん。この弁円、稲田の繁栄を妬み、自分の衰退を人のせいにして、お命を狙っておりました。この愚か者、不覚であった。どうかお許しくだされ」
泣き崩れる弁円の肩に、聖人はそっと手を置かれます。
「いやいや弁円殿。そなたは正直者じゃ。まこと言えば親鸞も、憎い、殺したい心は山ほどあり申すが、それを隠すにほとほと迷惑しておりまする。それに引き替え、弁円殿は思いのままにふるまわれる。素直な心が羨ましい」
「親鸞殿・・こんな弁円でも助かる道があるでしょうか」
「何を言われる弁円殿。こんな親鸞をも、阿弥陀如来は救いたもうた。煩悩逆巻く、罪悪深重の者こそが正客、と仰せの弥陀の本願じゃ。何の嘆きがあろうか」
「ああ、親鸞殿。どうか、この弁円を弟子の一人にお加えくださるまいか。お願い申す!」
「いやいや弁円殿。親鸞には一人の弟子もあり申さぬ。もし親鸞の力で仏教を聞き始め、続けて聞き求め救われたのならば、親鸞の弟子ともいえましょう。しかし、その人が仏教を聞き始めたのも、続けて聞いて救われたのも、まったく阿弥陀仏のお力なのです。ですからともに弥陀の本願を聞信させていただくわれらは御同朋、御同行喜ばしき友であり、兄弟なのだ。弁円殿も早くお聞きくだされ」
見守る弟子たちの頬にも涙が伝っていました。
こうして聖人は、殺しにきた人を弟子に加えるどころか、友達であり、兄弟だと言われたのです。
そんな弟子一人も持たずと言われた聖人の教えを弁円は受けるようになりました。
このとき、親鸞聖人は四十九歳、弁円は四十二歳だったといわれています。
やがて、弁円は阿弥陀如来の本願に救われ、明法房と生まれ変わったのです。
その後、明法房が阿弥陀如来に救われてから、聖人のお供をして板敷山を歩いていたことがありました。
聖人がふと振り返ると、弁円がいなくなっていることに気付きます。
「一体どこへ行ってしまったのか」と元来た道を戻ってみられると、道端にうずくまって泣いています。
「どうした?お腹でも痛いのか?」
と優しく声をかける親鸞聖人。
「いえいえ、実は私はここで、親鸞様のお命を狙っておりました。刀を持ち、弓に矢をつがえ、弟子たちともに待ち伏せていたのです。そんな私が何の間違いでか、聖人さまのお導きによって、阿弥陀如来の本願に救われて、無上の幸せ者にして頂いたとは何という不思議でありましょう」
自分の過去の姿を思い出し涙の中詠まれたのがこの歌です。
山も山 道も昔に変わらねど 変わり果てたる 我が心かな
山というのは、親鸞聖人を殺そうとして待ち伏せしていた板敷山です。
板敷山も、そのつづら折りの道も阿弥陀仏に救われる前と、少しも変わっていません。
しかし、阿弥陀仏に救われた今は心がまるで変わってしまった。
あの頃は、聖人をこの世で最も憎い奴と思っていたのに、今は、この世で最も尊敬する方に変わってしまった。
またその心も変わり果ててしまった。
弁円の涙は、自分のような救われようのない極悪人でさえも、この上ない幸せ者に救って頂いた、懺悔と歓喜の嬉し涙だったのです。
こうして、もともとの心を改めて正しい仏道に向かうという回心が起こったのです。
そこには、必ず阿弥陀仏の本願(聖霊による救済)があり、その力があなたを通して為されるのです。
弁円の親鸞聖人に対する恨みは、まさに弁円自身の「愛と助けを求める呼びかけ」でした。
そして親鸞聖人が阿弥陀仏とともにいたことによって、その愛が弁円に差し出され、愛が延長されていったのです。
これが「愛をもって応答する」ということです。
ですから、あなた一人でこれを行うことはできないのです。
なぜなら、あなたが一人でいるなら、これはつまり阿弥陀仏や聖霊ではなく自我を教師としているなら、あなたは兄弟の「愛と助けを求める呼びかけ」に対して、必ず「攻撃」や「逃避」また「防衛」という愛とは真逆の応答をするはずだからです。
兄弟の隠し持って捨てきれずにいる罪悪感という時限爆弾を解除できるのはこの大いなる愛の力のみです。
いずれにしても「回心」という言葉は、これまで自分の持っていた価値観が総崩れし、まったく新しい価値観が誕生することによって内面が劇的に変化、変容することであるといえます。
その意味で「回心」とは、「自分白身がまるで生まれ変わった」というべき信体験をすることなのです。
親鸞聖人を師事した唯円によって書かれた歎異抄には、
一向専修のひとにおいては、回心といふこと、ただひとたびあるべし。
とあります。
つまり回心とは人生におけるただ一度の「夕ーニングポイント」であり、スピリチュアルな人生の折り返し地点なのです。
分離の階梯を下っていく中であなたが経験する痛みと悲しみが最大限に達したとき人はようやく気付きます。
この最下層は神から一番離れているが故に、あなたは孤独と絶望を味わいます。
こうして、個人的なあなたの計画のすべてが打ち負かされ、力尽きたとき、あなたは真理を聴く耳をようやく持てるようになるのです。
あなたが求めたものは結局のところ一時的な幸せというなんとも頼りのないものでしかありませんでした。
それらは、まさしく幻想でしかありませんでした。
そして、あなたが不意に振り返ったとき、あなたの思いもよらなかった光がそこに差していたことに、はたと気付くのです。
それが回心であり、あなたの仏性が目醒め、そして「真の自己」であるキリストが復活する兆しとなるのです。
あなたの回心によって阿弥陀仏や聖霊といった大いなる力に自身の問題をゆだねたとき、あなたは自らの決断ではじめて真の解決を求めたことになります。
自分に代わって解決してもらうために問題を聖霊にゆだねるということは、それが解決されることをあなたが望んでいるということを意味する。聖霊の助けなしに自分で解決しようとして問題をとっておくということは、問題を未解決で片づかないままにし、不正義と攻撃の力をもったまま存続させるという決断をすることである。あなたが最初に自分が公正を欠く者となることを決断しなければ、あなたに対し誰も公正を欠くことはあり得ない。そのような決断を下したなら、さまざまな問題が生起してあなたの道を塞ぎ、平安は憎しみの風によって吹き飛ばされることにならざるを得ない。(T-25.9:7-5)
さて、もちろんですが親鸞聖人にとってもこの回心は起こりました。
聖人は自著の教行信証の中でこのように述べています。
しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
教行信証には「愚禿釈親鸞」または「愚禿親鸞」と言う言葉が再三用いられています。
愚禿というのは、禿は外見は僧の姿であっても、心と行いにおいては俗人と少しも変わらない、浅ましい人間であるということを意味しています。
その上にさらに愚の字を添えられたところに深く自己を見つめられた内省の厳しさがあらわれています。
これは限りない如来の光に照らされてあきらかになった自分自身の愚かさを告白されたものです。
それは同時に真実のみ教えに出逢って、如来の慈悲に救われる身であったことを心から喜ぶ感謝の表明でもあるのです。
親鸞聖人は「愚禿釈の鸞」と自らの名を名のり、九つの時から二十年もの間、学問修行されてきた比叡山に別れを告げ、吉水の法然上人のもとに行く決意をされました。
学問修行された二十年間を親鸞聖人は「雑行」としています。
「雑行」とは阿弥陀仏以外の諸仏を礼拝するなどの「正行」以外の行いです。
浄土真宗では、「雑行・雑修・自力の心」をふり捨てなければ、絶対に阿弥陀仏の救済にあずかることはできないと教えられています。
まず、「雑行」というのは、私たちの行う善を阿弥陀仏の救いに役立てようとしている諸善のことをいいます。
阿弥陀仏の救いに役立てようとする心を「自力の心」といい、「雑行」とは、自力の心でする諸善をいうのです。
諸善とは仏道を進むうえで修めるべき諸々の善根とあらゆる修行のことです。
簡単に言えば
「私はこれだけ親孝行しているから、他人にこれだけ親切にしているから、世の中のためにこれだけ尽くしているから、阿弥陀仏は私を助けてくださるだろう」
と思ってやっている、すべての善を「雑行」といいます。
「親孝行」や「親切」や「慈善事業」などは、仏教では方便の善といわれています。
ではなぜ、そのような諸善を雑行といって嫌い、捨てよといわれるのかというと、それらの諸善をしている私たちの心が、阿弥陀仏の本願を疑っているという恐ろしい自力の心だからです。
ですから自力の心でやっている善を「雑行」と嫌われ、捨てよと教えられるのです。
親鸞聖人は、また、
仏号むねと修すれども
現世を祈る行者をば
これも雑修と名づけてぞ
千中無一ときらわるる
“一心に念仏を称えていても、現世の利益を求めてのことならば、これも雑修であり絶対に助からないのである”
と教えます。
雑修とは念仏だけでなく、他に助業をも兼ね行うことです。
個人的な願望によって利益を得ることを望みながら阿弥陀仏を頼りにしても、自力の心がそのはたらきを妨害するのです。
また、こうも言っています。
回心というは自力の心をひるがえし、すつるをいふなり。
意訳すれば
「回心とは、自力の心をくつがえして、捨ててしまうことを言うのです」
という意味になります。
ですから、阿弥陀仏の救いにあずかるとは、これまで迷い続けてきた原因である自己への執われ、すなわち「自力のはからい」を捨てて、阿弥陀仏の智慧と慈悲のはたらき、すなわち本願力にまかせることによって、必ず浄土へ生まれて真実の悟りを開くことに決定した身にしていただき、今ここから悟りへの道を歩いていくということなのです。
換言すれば、聖霊による救済にあずかるとは、これまで隠し続けてきた罪悪感の原因は神から分離したという信念、すなわち「自我を教師とする」ことを辞めて、聖霊の智慧と慈悲のはたらきにまかせることによって、必ず天の御国という実相へと目醒めることが決定している罪なき神の子という真のアイデンティティを受け入れ、今ここから分離の階梯を元へと戻っていくことが大切であるということになります。
こうした回心の実例は仏教にはたくさんあります。
その中でも有名なのが、釈迦によるアングリマーラの回心です。
アングリマーラとは、指鬘という意味で、指でつくった首飾りのことです。
人を殺して集めた指で首飾りを作るという猟奇的な事件を起こした連続殺人犯のアングリマーラ(本名:アヒンサカ)ですが、釈迦に導かれてあっという間に悟りを開きます。
こちらも同じく、釈迦の慈悲によって、これはつまるところ阿弥陀仏の智慧と慈悲のはたらきが釈迦の身体を通してアングリマーラに延長されていくというものです。
詳しく知りたい方は
もしくは
などをご覧ください。
ちなみに、釈迦がこの世に身体を持って生まれてきた本当の目的が阿弥陀如来の本願を説くことにあったのです。
なぜなら、
如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。
如来はこの上ない慈悲の心で迷いの世界をお哀れみになる。世にお出ましになるわけは、仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益を恵みたいとお考えになるからである。
とあるからです。
このことを「出世本懐」といいます。
釈迦は阿弥陀如来の本願を説くことを出世の本懐とされて、方便を巧みに使いながら、あらゆる者が救われる本願の教えを生涯を通して説かれたのです。
ちなみに他にも出世本懐とされる経典はありますが、親鸞聖人は阿弥陀如来の本願の教えが説かれた浄土三部経の一つである「大無量寿経」こそ出世本懐の教えと示されています。
なぜなら、親鸞聖人の自著である「正信偈」に
如来、世に興出したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり
と説かれているからです。
つまり、釈迦の四十五年間の教えの流れを簡単に説明するとこんな感じになります。
はじめに「華厳経」という人々には一切理解できないような難解な話しをして、人々に対して何やらすごい人が現れたと思わせます。
続いて「因果の道理」(原因と結果の法則、引き寄せの法則)を説明して、誰でも分かりやすく幸せになる方法を説きます。
次に「小乗仏教」の教えで人を助けることよりも、自分が幸せになることを優先してよいと説きます。
次に「大乗仏教」の教えで、小乗仏教の自己中心的な教えでは、満足できない人の為に、皆と一緒に幸せになる素晴らしさを説きます。
そして「自利利他」の教えで自分の幸せとみんなの幸せは一体であると説きます。
さらに、「法華経」の教えという最も難しい修行をさせて、自身の限界を知らしめ、自力のはからいを落とさせます。
最後に「浄土三部経」により、いたってシンプルな真理を説きます。
この順番で経典が説かれているのです。
それぞれの宗派によって出世本懐とする教典が違う理由がまさにこれなのです。
自身の器や自力の度合いによって受け取れるものが人それぞれ違うので、今の自分が共鳴する段階を通過しなければ人は真理を受け取れないという、釈迦の智慧によって様々なレベルの教えを説いていったのです。
こうして、方便の階段をゆっくりと登っていった先に、私たちはやっとシンプルな教えを受け入れる耳を持つことができるようになるのです。
人は自分で分かっていると思っているとき、実は全く分かっていないのです。
精神的に成熟していないと、「自分はできるんだ」という過信による傲慢さが、簡単な真理を認識することを妨害するのです。
そして、実はそれが前に進めない原因、つまり苦しみがいつまでも消えない原因なのです。
真実は「自分に理解しえない、全くもって分からないことを知る」これに尽きます。
ソクラテスの「無知の知:何も分かっていないことを知る」であり、
親鸞聖人の「非知:とても分かることなんでできなかった」ことを痛感することなのです。
ですから、釈迦の教えはいたってシンプルですが、それを受け取れない我々に対しての慈悲によって究極の真理を最後まで取っておくのです。
自惚れの心である「自力のはからい」が削がれ落ちるまで、このプロセス(修行)を通過させるのです。
換言すれば「痛みを知る人間になる」ということです。
この「痛み」こそが回心を起こさせる縁になるからです。
話を戻して、いずれにしても回心には、愛を求めて攻撃してくる者には「愛で応答する」というシンプルな「赦し」の対応が要求されます。
ですがこれは、この世界において最も難しいレッスンです。
なぜなら、この段階は釈迦によれば「法華経」の教えにあたるからです。
もっと言えば、法華経の最後の最後に語られた「仏説観普賢菩薩行法経」という普賢菩薩が悟りを得るために行った修行であるからです。
詳しくは、過去記事
「真の自由と永遠なる平安は「赦し」を通してやってくる(2/3)」
をご覧ください。
だからこそ、誰もそれを実践したがらないのです。
イエスの教えたこの「赦し」が当時から甚だしく歪曲され誤解された理由は、私たちが真の赦しをするとき、本当に自分自身の罪悪感を完全に手放すことになってしまうからです。
自我と一体化した者たちにとって罪悪感の象徴である、この世界と肉体を手放したいとは誰も思いません。
なぜなら、自我にとってみれば罪悪感を手放すことが罪そのものになるからです。
「罪なきものこそが罪人である」
これが自我の主張です。
神の子であり、無垢なる者はこの世界では処罰の対象なのです。
ですから、自我によって強化され続けたことによって、巨大となった罪悪感にまつわる根深い問題を聖霊なくして通り抜けていくことなどとてもできないのです。
この隠され続けている罪悪感に光を当てるのが聖霊なのです。
そしてその光の元でしかあなたは「赦しを行う」ことも「愛で応答する」こともできないのです。
聖霊とともに行う赦しの具体例と聖人による赦しの実例(3/3)に続く
あなたはもう一人ではありません。
なぜならあなたは神に創造されたままの完璧な存在として
今でも愛されているからです。
神の子にはどんな苦しみもあり得ません。
そして、あなたはまさしくその神の子であり、
それがあなたの「真の自己」なのです。
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〜あなたの最奥の自己から愛を込めて〜
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