奇跡講座WB実践286 今日、天国の静けさが私の胸を満たす
早速朝いちでイエスに話しかけ、始めた一日。
いつもそうだけど、何かに抵抗していることに気づき認めると、
翌日その抵抗が無くなってるか薄れているのがわかる。
すごいなぁ、早いなぁと思う。
そうであることに気づくってことが、とても大事なんだなと
改めて思う。
でも気づいたから聖霊を選択できるようになるか、
心眼で見れるようになるか、
っていうとそれはまったく別の話みたい。
私にはまだわからない。
今より抵抗が無くなって神の恩寵を受け取れるようになったら、
聖霊を選択できるという感覚がどういうものか。
心眼で見るということがどういう感覚なのか。
私にはまったくわからない。
そのようになってる方に会ったことがないし、話を聞いてみたこともない。
だから今の自分がまだまだなのか、もうすぐなのかも
全然わからない。
きっとわからないことなんだろうなと思うけど。
私は相変わらずイライラを知覚し、
自我の見方でしか兄弟を見ることができないでいた。
だけどひとつだけちょっと変わったことを見つけた。
イライラを知覚するたびにイエスを思い出す。
イライラがなくなるわけじゃないけど、イエスを思い出す。
自我の見方で見てるんだ、ということを教えてくれる。
それも、その見方も、この見方も、
自我の見方だよと教えてくれる。
自我の見方をしている自分を罰したくなるけど、
罰する必要はないことを教えてくれる。
自我の見方をやめて、聖霊の見方をどうしたらできるかと、
やろうとしたくなるけど、
やろうとしなくていいことを教えてくれる。
自我の見方を選択している心は、
これでいいはずがないとジタバタするけれど、
それと反対の方向からイエスはそこに気づけばいいと教えてくれる。
この心の赦しをし、
まだちょっと波立つ心のままで、
垣間見えた安心のなかで熟睡した。
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