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行きたいときに、好きなお店に行きたい。
好きなお店で食べてみたいものを食べたい。
飲んでみたいものを飲みたい。

家では暑さ、寒さに耐えるのではなく、
快適に過ごしたい。
腰や足が痛くないようにソファに座りたい。
眠る部屋、作業する部屋、友人と過ごす部屋は別々にしたい。
誰かを気にせずシャワーを浴びたい。
冷たいものを冷たく、温かいものを温かく食べたい。

眠りたい時に眠りたい。
起きたい時に起きたい。
会いたいと言われればいつでも会えるようでありたい。
いつでも友人を家に迎えたい。
いつでも友の話を聞きたい。


それらができないとき、私は犠牲を払っていると感じている。
犠牲を払って我慢していると感じている。

だからそんな犠牲を払わずに済むよう、
今の状況の変化を求めている。
今の環境の変化を求めている。

私は間違っている。
この世界における変化を求めることは、
私の平安、私の自由を犠牲にしている。
神の愛を受けとることを犠牲にしている。
私は私の真の幸せを犠牲にして、この世界の物的変化を求めているんだ。


それだけ私は真実を見たくないんだ。
神を恐れ、神に罰せられると信じている。
神に対して罪を犯したと信じている。
イエスや聖霊を受け入れたくないと抵抗している。

私は「ある」と思っている。
いまだに目にするものすべてが実在すると信じている。



頭ではわかっているつもり。
神は愛でしかないし、
私は神に対して罪を犯していないし、犯すことは不可能。
イエスや聖霊のことは最も信頼している。
そう思っている。

でも心はまだ狂っている。
心は有罪性と恐れと抵抗に満ちている。


心の誤りについて赦しをする。

あまりにも間違いだらけすぎて、
ひとつひとつの赦しじゃ追い付かないように感じる。
でも気づいた間違いひとつについて赦しをする。

また気づいた間違いひとつについて赦しをする。


遅すぎると聖霊に叱咤されることはない。
聖霊は赦しのひとつひとつを受け取って、
確実に取り去ってくれる。
そして”とても順調だよ”と励ましてくれる。

まだまだ足りないとイエスに叱咤されることもない。
イエスは共にいて、
求めればつねに教えてくれる。



この無である幻想世界の変化を求めることをやめよう。
それを求める心に気づいたら赦しをしよう。

世界をキリストのビジョンで見たい。

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