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罪悪感と裁く心の赦し

目には分離した世界が映っている。
その世界を見て、私の心はいつも裁いている。

こうしてくれたらいいのに。
ここ、気づいてくれたらいいのに。
あの人はこれをやりたくないんだな。
うるさい人が来た。
話しかけないで。
あの人、今日機嫌悪いな、めんどうだな。
雨やだな。
暑い、重い。
私なんか間違ったかな。
あの人の機嫌を損ねるようなことしたかな。

人を裁き、自分を裁いている。


ホーリー、この裁く心を取り去ってください。


あの人の機嫌が悪いと見ているのは、肉体のこの目だ。
機嫌が悪そうだと思って気を使っているのは、肉体のこの心だ。

肉体が知覚することはすべて幻想だ。
真のあの人は裁きもせず、悩みも問題もひとつもない。
真のあの人は満たされ喜びに溢れている。
肉体の目にどのように映ろうとも、真の姿は変わることはない。

肉体の目にどのように映ろうとも、私は真の姿を見ていよう。
そして知覚しているすべてに赦しをしよう。
私の罪悪感の投影に赦しをしよう。


ホーリー、この罪悪感を取り去ってください。
私たちの、この世界の罪悪感を取り去ってください。
恐れ、裁き、心配することを取り去ってください。
正しくあろうとする心を取り去ってください。
正しい、正しくないは分離の見方です。
分離していたい心を取り去ってください。
神に怒り、恐れているこの心を取り去ってください。


一昨日も赦し、昨日も赦し。
それでも今日も状況は変わっていないように見える。
この肉体の目にはそう見える。

それでも私は聖霊を信頼する。
神をイエスを信頼する。

私はひとりでこの道を歩いているんじゃない。
イエスがともに歩いている。
聖霊がいつも助けを差し出している。

私は必ず神の元に帰る。
それはもう完了しているのだから。


この目にはなにひとつ変わらないように映っても、
私は赦しを止めない。
私の赦しの回数が日に数回だったとしても、
日に1回だったとしても、
それは充分だ。
罪悪感を取り去る聖霊の力は充分だ。
私の赦しが足りなかったということはない。
私は罪悪感を見るたびに、赦しをしよう。
それが神が私に与えてくれたものだ。


罪悪感に苛まれ、人を自分を裁き続ける世界を見るのは
もうたくさんだ。
喜怒哀楽を楽しんできたけれど、
もう変化を喜ばない。
愛である”ひとつ”に帰る。
みんなとともに帰る。

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