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ワークブックが終了しても、
まだ幻想世界を現実と見ている。
ワークのようにその日に思い巡らす課題がないと、
今までのように見て、感じて、そのままにしておきそうになる。

今私がすべきこと。
それは赦しだ。

私の赦し。
私たちの赦し。
世界の赦し。
これはすべて同じこと。
このことがやっと最近体に入ってきたように感じる。

この世界が幻想であること。
私は肉体ではないこと。
真の私は神が創造したままの私であること。
そのことをいつも思い出せるように、
テキストを読む。
マニュアルを読む。

読むと、ああ、本当にそうだなと思える。

裁きは神の教師に対して心を閉ざし、開かれた心の状態は彼を招き入れる。咎めは神の子を邪悪だと裁き、開かれた心の状態は、神を代弁して語る声が神に代わって神の子を審判することを可能にする。神の子に投影された罪悪は彼を地獄に送るが、開かれた心の状態はキリストの姿を神の子へと延長させる。

奇跡講座下巻 教師のためのマニュアル

兄弟を裁くということは、自分も彼らもより強く苦しみの世界に縛り付けることになる。
裁きたくない。
悩んでる彼に、苦しんでいる彼女に光の方向を示したい。
心からそう願う。

心から、そう、願っているつもりだけれど、
私の感情、思考はそうは動かない。
瞬間的に兄弟を裁き、咎めている。
彼らと私ひとつであるなんて、いやだ!と思っている心が見える。

周りの人の危険も気にしない荒い行動。
うるさい。
じゃま。

ああ、これは私の罪悪感の投影なんだ。
聖霊、この罪悪感を取り去ってくださいーーー。
静まっていく心。

でもまたすぐに咎める思いが湧く。

うるさい!じゃまだ!

この繰り返し。
一日に何度も何度も繰り返す。


頭でわかったつもりになっていることと、
実際の心の状態はこんなにも違う。

私の心はまだまだ罪悪感に満ちている。
私の心を投影している世界も当然罪悪感に満ちている。
この罪悪感に赦しをしなければ。
一生懸命赦しをしなければ。


そう思うけど、実際に赦しをしているのは日に数回だ。
赦しの機会だということにたくさん気づくけど、
気づいたまま忙しさに流してしまって赦しをしていない。
そんな自分を裁きたい思いも湧いてくる。


だけど聖霊は完璧なんだ。
私は以前より赦しの機会に気づけるようになったし、
日に数回といえど、赦しをしている。
そして小さな抵抗が少しずつなくなっているし、
聖霊への信頼は日々少しずつ増している。


私は赦しという宝物をもらった。

彼女の問題。彼女の体調不良。彼の病気。
すべて私の罪悪感の投影。
私は赦しができる。
彼らのために私は赦しができる。
私が望む結果は求めず、ただ聖霊に赦しを捧げよう。

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