奇跡講座WB実践242 今日一日は神のものである
なんの困難もなく、なんの不足もなく、なんの恐れもなく過ぎた一日の中で、
何度私は、昨日感じていたイライラの話を人にしたいと思ったことだろう。
昨日イライラを知覚してすぐに赦しをした。
イライラはすっかり去ることはなかったけれど、
それでもイライラしたことを人に話したい思いは静まっていった・・・かに思えていた。
でも今日、またそのイライラを人に話したい思いが何度か湧いてきた。
幸いなことに、それを口にできる状況は整わず、口にすることはなかった。
これは、ありがたい・・・・で、、いいのかな?
一日を神に捧げるというのはどういう感覚だろう。
どんな状態だろう。
どんな意識だろう。
私にはそれはまだわからない。
まだわからないよ、と聖霊に言う。
きっとやり方とかはないんだろうな。
こうしたら神に捧げてる状態だよ、なんてないんだろう。
口で捧げますなんて言っていても、
心では一ミリも捧げてない。
たぶん自分で捧げるなんてことはできないんだ。
私には見えないところで抵抗しているのだから。
自分の意識が届かないところでや自我の見方を選択してるんだ。
だからこそ聖霊の助けが必要なんだ。
聖霊はどこで抵抗しているのか知っている。
どこが間違っているのかも知っている。
赦しをし、抵抗を取り去ってもらう。
間違いを修正してもらう。
そうしていくうちに、一日を神に捧げているようになっていくのかもしれない。
何をしたらいいか、ではなく、
したい、したくないではなく、
心が向かうままにしてみよう。
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