奇跡講座WB実践323 私は喜んで、恐れを「犠牲」にする
以前の私は、
目の前の人の機嫌に、感情が左右されていた。
朝イチで会った人が不満だらけなら、暗い気持ちになった。
朝イチで会った人が機嫌が悪ければ、萎縮して小さくなった。
それも私の恐れ。
私の不満を投影しているだけ。
私の罪悪感を投影しているだけ。
それを見せられるから気分が暗くなり萎縮していたんだ。
赦しをする。
恐れを取り去ってもらう。
罪悪感を取り去ってもらう。
今もその場の空気に多少動揺する。
動揺を知覚したら赦しができる。
赦しをすれば、心に平安が来る。
私が救われるために、求められているものは苦しみではない。
私が救われるために、求められているものは我慢ではない。
私が救われるために、求められているものは忍耐ではない。
私が救われるために、求められているものは辛さではない。
私が救われるために、求められているものは哀しみではない。
私に差し出すように求められているものは、その苦しみ、我慢、忍耐、辛さ、哀しさを放棄することだ。
恐れを放棄することだ。
恐れは神から与えられたものじゃない。
神は恐れなど創造しない。
神からのものは愛しかない。
恐れは自分が信じ込んだ罪とその罪悪感の投影にすぎない。
つまり恐れは自分が生み出しているものだ。
自分が抱え込んでいるものだ。
それは神への恐れ。
それは神への怒り。
イエスへの怒り、聖霊への怒り。
受け入れるもんかという自我の思い。
私の救いは真の私を思い出すこと。
真の私は、一度も罪を犯したことがなく、
一度も神のもとを離れたこともなく、
今も神の中にある。
真の私を思い出すために、求められているものは
恐れを手放すこと。
罪悪感を手放すこと。
だから赦しをする。
恐れを生み出していたのは自分だったと気づき、恐れを取り去ってくださいと聖霊に赦しをする。
罪悪感を持っていたのは自分だったと気づき、罪悪感を取り去ってくださいと聖霊に赦しをする。
聖霊だけが恐れ、罪悪感を取り去ることができる。
あまりにも深く自分の罪を信じ、巨大な罪悪感を抱えているから、いつまで赦しをすればいいのかと涙が流れる。
それでもここまで導いてくれていた聖霊を、私は信頼している。
ともに歩いてくれているイエスを信頼している。
私が救われる時、みんな一緒に救われる。
世界が救われる。
だから私はこの道を行く。
イエスとともに。聖霊とともに。
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