奇跡講座WB実践170 神に残酷さはなく、私にもない
私は今、恐れている。
神を恐れている。
その証拠が、私の胸に沸き上がる。
あの人の目を気にしている。
あの人の言動を気にしている。
またこう言われるかもしれない、と恐れている。
またイライラをぶつけられるかもしれない、と恐れている。
状況を恐れている。
失うことを恐れている。
欠乏が埋まらないかもしれないことを恐れている。
暮らしはどうなるだろう。
衣食住はどうなるだろう。
体はどうなるだろう。
この恐れは防衛の必要を感じさせる。
防衛は攻撃性を生む。
そこには残酷さがある。
それは自我が作ったものだ。
真の私は神に創造されたままの私。
神に創造された私には恐れるものはない。
恐れるものがないから防衛の必要もなく、
そこには攻撃性も残酷さも存在できない。
ただ、神から離れてしまったと信じている自我の私の罪悪感が、
恐れを生む。
頭での理解が進み、
このことをすぐに思い出すことができるようになった。
それでも私の心はまだ有罪性を信じ、罪悪感を持っている。
それにより、今、私は恐れている。
その証拠を自分の心の中に見ている。
さあ赦しの機会だ。
聖霊に差し出そう。
私が気づいた私の心の中の罪悪感を、聖霊に差し出そう。
どうぞ取り去ってください。
そして神が創造したままの私であることを見せてください。
神の恩寵を見ることができますように。
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