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罪悪感の海の中で

奇跡講座ワークブックの実践が終わって思った。
ワークブックの実践によって、芯ができる感じだなと。
芯ができるから、そこからいつでも赦しをしていくんだなって。

芯が入ったみたいだから、
もうだいたいOKって気分になってたのかもしれない。

今マニュアルを読みながら日々過ごしているけれど、
なんとまあ全くOKじゃない!
ってことをしみじみ感じている。

やっとスタートラインに立ったとこじゃん!


赦しが追いつかない。
心はざわざわしっぱなし。
っていうか、本当に罪悪感の海に放り込まれた感じ。
溺れながら、チマッと赦しをする。
その赦しも罪悪感にのまれて消滅していくように思える。

私の目には、私の罪悪感が投影された世界しか映らない。
人への不満、問題、不足感、不安感、防衛、自己欺瞞。
あれもこれも、ぜーんぶ私の罪悪感。
私たちの罪悪感だ!
世界は罪悪感に満ちている!

あれにもこれにも毎時毎秒赦しが必要だけど、
動揺した心は赦しにいかない。
流してしまう。
一緒に不満を言っちゃったりする。
日に数回、思い出したかのように、チラッと赦しをする。

聖霊の声を聞きたい、従いたいと思う心と、
実際の私の言動に全く一貫性がない。
自我の反応をし、自我のように見た発言をしたりしている。
だから柔和でもないし寛大でもない。
喜んでもない。
日常で微笑んでいる時間なんて少ししかない。多分。
気を抜いてる時はブータレ顔になってるに違いない。

そんな感じでも私の赦しは消滅しない。
どんなに微かな赦しでも、
その赦しによって聖霊がしっかり罪悪感を取り去ってくれている。

まるで3Dブロック崩しのようだ。
一回の赦しがひとつのブロックをポロッと取り去るイメージ。
ブロックはまだ巨大な塊だ。


自分ではうまくやれたと思える日など1日もないけど、
でもしっかり前進してることも感じる。

聖霊がしっかり導いてくれている。


私は彼等と共に神への道を進みたい。
彼等の悩みに応える言葉は持っていない。
ただ赦しをする。
私と彼等の罪悪感に赦しをする。

みんなと共に、愛に帰りたい。


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