ドラマ-アンメットのタイトルを深掘りしたらそこには”愛を求める叫び”があった
アンメット、近年見たドラマの中でも丁寧に作られたとても良い作品でしたね。
制作陣や役者の方々の純粋な熱意がそのまま毎話画面を通して感じられました。
もちろん原作の漫画が素晴らしいからというのもあるのですが、本当に最終話まで愛に溢れた歴史に残る医療ドラマだったと思います。
SNSやyoutubeでたくさんの方が様々な視点からこのドラマの感想やレビューを挙げていたものを見ましたが、僕自身は内なる愛の琴線に触れるような作品に出逢うと、その視点から何が素晴らしかったのかを紹介したいし、やっぱり解説したくなる性分のようです。
ということで、今回は「ドラマ-アンメットのタイトルを深掘りしたらそこには”愛を求める叫び”があった」という内容でお送りします。
ドラマの中で若葉竜也さん演じる天才脳外科医の三瓶先生は杉咲花さん演じる同じ脳外科医のミヤビにアンメットという言葉の意味を説明しているシーンがありました。
三瓶
「光を当てると影ができます。
人間は暗いところに光を当てて良いことをしたと思っている。
新しくできた影に気付かずに・・・」
三瓶
「アンメット・・・直訳すると満たされないという意味です。
できた影に光を当てても・・・また新しい影ができて・・・・・
満たされない人が生まれてしまう。」
三瓶
「どうすればくまなく照らして・・・・アンメットをなくせるのか・・・・
その答えを探しています。」
すると、三瓶先生を見つめながらその言葉をずっと聞いていたミヤビが何やら手を動かして言います。
ミヤビ
「こうすると・・・影が消えます・・・・・・」
ミヤビ
「・・ねっ♫」
第6話のエンディング前のこのシーンではミヤビがどのようにして影を消したかの映像は実際には映し出されず会話のみで終わりました。
僕自身はこのシーンがこのドラマが一番伝えたかったコアメッセージだと今でも感じています。
というのも、ミヤビがどのようにして影を消し去ったかがこの瞬間に容易に想像できたからです。
そして、その種明かしではないですが、ドラマ終盤でこのシーンがもう一度出てきて、その方法がまさにこのドラマに登場する様々な人間関係の問題を解決する答えであり、感動のエンディングへと繋がるのだろうという僕の予想通りに展開していったからです。
アンメット(unmet)には、他にも「達成されていない」「果たされていない」といった意味もあるようです。
そして、weblio辞書によると「met」は、英語の動詞「meet」の過去形および過去分詞形であり、主に「会う」「出会う」「会合する」といった意味を持つとあります。
つまり、アンメットが満たされていないことを意味しているように、未だ達成されてもなく、また果たされていない真の原因は「un」が意味しているように出会うことを否定している状態にあるからです。
それは、コースの中でイエスが語っているように、私たちは自らが神に創造されたままの存在である神の子という一なる自己を否定し続ける限り決して満たされることはあり得ないのです。
出会うとは神に出会うことであり、神に出会うことが意味しているのはわたしが神の子であることを完全に受け入れるということです。
そして、そのためには常にこの今という瞬間にイエスや聖霊の手を取る選択をするということです。
そうすれば、自身に内なるキリストの光を持つことで、今までは世界にあると見えていた影を象徴する数々の問題が自然に消えていくというわけです。
第9話の後半にも印象深いシーンがありました。
それは、二人の何気ない会話から始まりました、
お互いが普段食べているお菓子の話から、ミヤビはラムネを、三瓶先生はグミを渡し合います。
それから話は放課後に何をしていたかというところから、ミヤビは駄菓子屋に妹と行っていたのに対して三瓶先生は兄とアリを見ていたと言います。
三瓶先生は兄と三歳離れていること、そしてすでに亡くなったことをミヤビに話し始めますが、急に言葉を詰まらせ涙が溢れるのを堪えつつそれを隠すために一度ミヤビに背を向け、しばらくの間呼吸を整えてからもう一度向き直って話し始めます。
三瓶
「あの・・すいません。
兄がいて重度障害者だったんですけど、僕が八歳の時に重度障害者施設に入って・・・・・
ま・・僕も・・・含め・・・う〜ん・・・・障害者施設を勧めた人たちも・・僕も・・・あの家族もみんなそれが最善だと思ってたんですけど・・・・・
兄は・・・・ずっと泣いてて・・世の中も・・僕も・・・・兄の為って言いながら・・ただ遠くに・・・見えないようにしてただけなのかもしれないなと思いますね。
なおちゃんのことも今は正解かどうか分からなくて・・・・いろいろ頑張ったんですけど・・
僕はまだ・・・・・・・光を見つけられてません・・・」
ミヤビ
「う〜ん・・・・私だったら・・・・・嬉しかったと思います。
なんか、もし聞こえてたんだとしたら・・・ちゃんと聞こえているよって伝えたかったんじゃないかなって。
たぶん・・光は・・こう自分の中にあったらいいんじゃないですかね。
そしたらたぶん、暗闇も明るく見えると思います。」
すると三瓶先生は過去に同じことを言われたことを思い出します。
ミヤビ
「こうすると影が消えます。自分の中に光があったら暗闇も明るく見えるんじゃないかなって」
三瓶
「川内先生・・・」
ミヤビ
「三瓶先生・・三瓶先生は私のことを灯してくれました。」
このシーンも素晴らしいですね。
心をオープンにして聞くミヤビの態度。
一切、ジャッジすることなく話を聴く姿。
三瓶先生は目の前にいるミヤビの内側に自身の探し求めていた光を見出したはずです。
コースでイエスが言っているように聖なる瞬間が聖霊を通して二人の間に愛を延長したのです。
三瓶先生の苦しみの原因になっていた兄への思いと、なおちゃんの手術結果に対する罪悪感という影がこの瞬間にミヤビの内なる光を通して赦され取り消されたのです。
このドラマの主人公である川内ミヤビ(杉咲花)はかつて将来を嘱望される優秀な若手脳外科医でした。
しかし、不慮の事故で脳に損傷を負い、記憶障害という重い後遺症があることで、過去二年間の記憶がすっぽり抜け落ちた上に、今日のことを明日には全て忘れてしまいます。
誰と何を話し、何に喜んで何に悲しんだのか。
翌日には全てリセットされてしまうのです。
許された仕事は看護師の補助だけ。
医療行為は一切NGで手術などもってのほかなのです。
「私には今日しかない。だからせめて、今日できることをやろう。」
そう決めたミヤビは、今日の出来事や患者の状態、細かい会話の内容からその時の気持ちに至るまで、毎日を詳細な日記に綴ります。
毎朝5時に起きてはそれら全てを読み返し、記憶を補って新しい一日を始めるのです。
ミヤビは、そうやって日々を、努めて明るく前向きに生きています。
「私はまだ、医者なのだろうか。」
この思いには、完全にフタをして。
公式ホームページのイントロダクションにはこのようなドラマ紹介がなされています。
私たちも、かつて一なる自己として完全であったとき、ふと神から離れてみたらどうなるのだろうという一瞬の分離の想念を深刻化させてしまったその瞬間に、天国と神の子としての記憶を失ってしまいました。
そして、神から離れたこの世界だけが私のいるところであり、この世界の中で経験することだけを頼りに日々満たされず生きています。
ミヤビが「私はまだ、医者なのだろうか。」という思いに、完全にフタをしているのと同じように、私たちも「私はまだ、神の子なのだろうか」という思いに完全にフタをしているのです。
アンメット。
この満たされない思いは、無くしてしまった大切な記憶を取り戻そうともがいている私たちすべての姿であり、愛を求める必死の叫びなのです。
キービジュアルに添えられたこのドラマのキャッチコピー
何も変わらない。
今の君も、昔の君も。
私たちは今も変わることのなく神のもとで無垢なる神の子として存在しています。
たとえ今の自分や昔の自分がこの世界の中で何か大変なことをしてしまったと罪の意識を感じていようともです。
真のあなたは傷付いてもいなければ孤独でもありません。
なぜなら、あなたは神に創造されたままの完璧な存在として
今でも愛に満たされているからです。
神の子にはどんな苦しみもあり得ません。
そして、あなたはまさしくその神の子であり、それがあなたの「真の自己」なのです。
このアンメットという素晴らしいドラマをきっかけに、わたしのあらゆる問題を解決する答えは内なる愛であり、またすべての不足を完全に満たすのは神であること、そしてわたしが今でも変わらずに誰であったかを思い出す人が一人でも増えていくことを願っています。
〜あなたの最奥の自己から愛を込めて〜
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