奇跡講座WB実践236 私は、自分だけが統治できる自分の心を統治する
今日はこれまた久しぶりの友人から連絡があり、
少しだけ会ってきた。
私に渡したいものがあるとのこと。
なんと1年ちょっと前に紅茶の話をしてたときに、
私が好きだと言った紅茶を覚えててくれて、
それをプレゼントしてもらった(めっちゃありがとう)。
彼女は数日前書いた、私たちがお別れした猫たちのうち
最後まで行き先がなかなか決まってなかった猫をずっとお世話しててくれた人。
約2年間もお世話してくれた。
ちょっと前に、その猫の貰い手がなかなか現れないことから、
私たちにも相談があったんだけど、私たちはなにもできないでいた。
今回その猫の里親さんが見つかってよかったなと思っていたけれど、彼女に対する罪悪感が私のなかにあったもんだから、
渡したいものってなんだろうという不安もあった。
ところが彼女が言うには、
その猫のお陰で学べたことが大きかったと感じたのだとか。
私たちがその子を手放すという状況がなければ、経験できなかったことだったと思ったそうで、それで感謝の気持ちで紅茶を購入してくれたんだという。
えーーーー!!だった。
意外すぎて驚くばかり。
私としては、彼女にありがとうと言ってもらう理由が1ミリもわからない。
それでも彼女がそういう風に感じているということが私の目の前に現れたのだ。
私の知覚では、私にはまだまだ罪悪感はもりもりあるし、
自我の目でしか世界を見れていないし、
神に、聖霊に、私の生活、私の時間をゆだねるということはぜんぜんできてない。
だけど目の前に見える出来事からは、
罪悪感が少し取れたのかな?と思わせられる。
やはり私には、
罪悪感があるのか取れたのかもわからない。
学びがどこまで進んだのか、進んでないのかもわからない。
このことについて自分で判断することはまったくできないんだ。
なにか状況が変わるのだろうか。
久しぶりに連絡をする人たちが増えている。
どのような人たちに会い、
どのような出来事が目の前に起きようと、
それを真の見方で見るという練習になってる気もする。
また私がその人たちに何を話すかという
練習でもあるのかな。
今日感じた小さな動揺について、
今日は赦しをしてから休むことにしよう。
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