奇跡講座WB実践259 罪は存在しないということを、思い出せますように
このレッスンを読んだ朝、
内容はそうだなと思って読めた。
だけどその内容を受け入れたくない自分がいた。
罪は存在しない。
私は狂気に留まりたくない。
愛の対極はありえない。
そうなんだろうけど、その通りだと思いたくない私がいた。
その自分をはっきり見た。
唖然とした。
そのことを思い巡らしていると、
もっと明確に私の心が見えてきた。
確かに私は狂っているんだ。
私が信じていること、考えは狂っているんだ。
神から離れたと信じている。
神に見つかったら罰せられると思っている。
だから神のもとになど帰りたくないと強く思っている。
狂っている私が何を正しく判断できるだろう。
狂っている私が怒りを取り除いてほしいと本気で願えるはずがない。
狂っている私がイライラする誤った知覚を、修正してほしいと本気で願えるはずがない。
狂っている私が心眼で世界を見れるようにと本気で願えるはずがない。
神の目から見れば私の心は狂っている。
犯してない罪を犯したと信じ、犯してないよという声に耳を塞いでいる。
今も愛である神の一部であるのに、恐れて隠れて(隠れられてないけど)、恐怖に震えている。
私は認められず、失敗し、愛されないと信じきっていて自分で勝手に苦しんでいる。
いまだに自分でなんとかできると思っている。
自分でなんとかしないといけないとも思っている。
だから赦しすら、私は赦しをうまくやらなければならないと思っている。
私が赦しを頑張ってやるんだと、私がやることだと思っている。
いや、そうなんだけど、
赦しは私が神に与えてもらっている唯一の機能だから、私がすることなんだけど、
なんていうかそこに自力の思いが残っているのを見たの。
自力が残ってるって委ねてないってことじゃん!みたいな。
それもこれも、私が狂っているからに違いない。
私ができることは、
この狂っている自分の心をそのままみて、
この狂っている心について赦しをすることだなと。
ここに気づくことが、とても大事なことなような気がして、
レッスンの内容がなんであろうと、私は自分の狂った心に対する赦しをしていこうと思う。
この日も自我の見方しかできない自分をいっぱい発見。
一日前のイライラをがっつり引きずってる自分も発見。
私の心は狂ってるなーということを何度も見て、
赦しを続けた。
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