The Cage
一日の中で朝起きた瞬間が一番憂鬱だった。
どうしようもない現実のどうしようもなさを突きつけられるから。
また変えられない事実の変えられなさを知らしめられるから。
現実とは有刺鉄線でできた檻のようだ。
私のベッドも毛布も本当は全部有刺鉄線でできていて、寝ている間だけ体に突き刺さる痛みを忘れているだけなんじゃないかって思ったりする。
閉じ込められている。それとも私が閉じこもっているのだろうか。わからない。少なくともそう感じように現実が変化してしまった原因が自分にあることだけはわかる。
私が悪いのだ。
檻はずっと私を閉じ込めていたわけじゃない。これは罰。私のしたことに対する報い。
檻の網目、現実と非現実の境に手を掛ける。
ざくりざくりと有刺鉄線が私の手を突き刺し、今にも抉ろうと光っている。
夢を見ているとき。意識が現実にないとき。それが私の唯一安心できる時間だった。夢の中に秩序立った因果はない。そのことが私の心を解き放ってくれるような気がしていた。
一日の中で朝起きた瞬間が一番憂鬱だった。
安心の時間が終わってしまうことが、たまらなくつらかった。
本当は「誰か助けて」って大声で叫んで回りたい。誰でもいい。誰でもいいから、私をこの不安と焦燥と恐怖の檻から連れ出してほしい。そんな考えに支配されるときがある。
だけどね、ともう一人の私が言う。
これは因果応報、自業自得なんだよって。
そんなことは私が一番よくわかってる。わかってるつもり。
有刺鉄線のベッドで目が覚めた私は、有刺鉄線でできた床に足を下ろす。素足にざくざく突き刺さる痛みには慣れそうにない。そのまま有刺鉄線でできたドアノブをひねり、手がずたずたになる。これも慣れてくれない。有刺鉄線でできた廊下を歩いて、有刺鉄線でできた洗面台に向かう。
鏡だけは鏡としてそこにある。
うつっているのはわたし。有刺鉄線製ではない肉としての私。それがどんな姿をしていたか、私にはもう思い出せない。だって毎日こんなにずたずたにされているんだから。もう原型なんてない。ぐずぐずと今にも崩れ落ちそうな赤い塊。それが私。
手を伸ばして薬の瓶を掴む。それが手の形をしていないことには気付かないふりをした。瓶から一個、薬の粒を出して飲み下す。いつものこと。
それが終わると私は有刺鉄線のベッドまでまた歩いて戻らなければならない。そこが私のいるべき場所であり、今の私に相応しい場所だから。
誰か助けて。口をついて出そうになった言葉を殺した。
世界はいつまでこうなのだろうか。私の罪が許されればもとに戻るのだろうか。でも、もとって?もとはどんな姿をしていたか思い出せる?
あいまいな境界。いずれ私の体と心は赤黒く崩れ落ちて、それで世界は何事もなく続くのだろう。その予期が私にとっては恐怖だった。
世界に私独りだけ取り残されたような気がした。大声で叫んでも、きっと誰もいない。だから誰も来ない。みんなこんな世界は捨てて、きっともっと良い場所に行ってしまったのだろう。
無人。私はどうして私の形を保てているのだろう。私はどうして私の存在を保てているのだろう。私はいつまで私を私だと思っていられるのだろう。
わからない。でもこれが簡単に終わらない現実だということはわかる。どうしようもないけど、すぐになんとかなるものでもないことを知っている。
有刺鉄線のベッドに膝をついて、すぐ横にある有刺鉄線の窓から外を見る。いつもと同じ景色。本当は見たくない景色。私以外にとって当たり前の平穏な世界。
いろんなものやことや、人を忘れた。
でも私の存在を突き刺し続ける痛みだけは、忘れさせてくれなかった。
痛い。痛い。痛い。
脳内に木霊するのはそんな情けない叫び。馬鹿みたい。どうせ誰も助けてくれないのにね。
一日の中で朝起きた瞬間が一番憂鬱だった。
忘れてしまえればよかったのに、どうしても忘れることができない理由があるから。