天上のアオ 27
わたしははじめ、ただ己に与えられた役目と機能に従って動作していた。彼の精神に大きな異変が起きたとき、それに対処して彼の精神機能を平常に戻し、外界での活動に及ぼす影響を可能な限り小さくする。それがわたしというパーツに与えられた機能だった。
そのはずだった。
そのはずだったのに、気がつけばわたしはその役割を大きく超え、彼という存在を守りたい一心で行動していた。
理由はとても簡単だ。彼がそう望んだから。
わたしが物語の主人公になることを彼が望んだから。もっと言えば、彼は空想の中で自分を導いてくれる存在を欲していたから。
だからわたしは廃墟の街でも、嵐の壁の中でも、深淵の暗闇の中でも、彼の部屋の中でも、そして十字架の草原でも、主人公としてすべてに立ち向かってきた。
名前が先だったのか、存在が先だったのか、もうわからない。
でも彼が危機的な状況に対処できる存在を欲したとき、真っ先にわたしをイメージした。それは彼のなかでわたしがもっとも強力な空想だったから。だからきっと名前のほうが先にあったのだろう。
わたしは特定の機能をもった心のパーツではあるが、多くを体験するうち、徐々に彼に同一化していった。だから彼が感じる感情は手に取るようにわかるし、「彼」という世界の外側のこともよく知っている。
わたしは本当にパーツなのか?という疑いというか、問いはずっとあった。もし人格になってしまっているのなら、それは彼の病状が相当に深刻なレベルに陥っていることを示す。でもそれは否定された。わたしはどこまでいってもパーツでしかなく、人格にはなり得ない。それは「彼」という存在と世界を守りたいわたしにとっては安心だった。
じゃあ、わたしは何?
この問いが生まれること自体がおかしいのだ。
だって、ただの感情や記憶が自己の存在を疑うはずがない。
わたしには明確な欲求や願望がある。
わたしは彼が笑って生きられるようになってほしい。
そしてわたしも笑って存在し続けたい。
そうだ。
わたしは存在し続けたいと思ってるんだ。
自己保存の欲求。生物が持つ当たり前の本能。
どうしてわたしがそれを持っているのだろう。
それはきっと、彼のわたしに対する感情が答えだ。
理想の自分。理想の姿。
だからわたしは他のパーツたちより圧倒的に存在強度が高い。
それはわたしの力の強さとは関係ない。
「わたし」という存在が「彼」という世界にとって重要だっていうこと。
わたしと彼の関係は、複雑すぎて形容するのが難しい。
友人ではない。恋人でもない。わたしは人間ではないから。
でも無理に言い表す必要もない気がする。
すべてが自明である必要は、いまここにおいてはないから。
わたしは焚き火を眺めている。
長かった、と振り返るのは簡単だ。
でもここからもきっと長い。
ここからのほうが長いかもしれない
わたしは内なる世界の中で。
彼は外の世界で。
それぞれ同じ罪に向き合っている。
贖罪の機会が与えられるかはわからない。
それがあってほしいと願うのは、きっとわがままでしかない。
この空間に時間はない。
だが外界では無慈悲に時間は流れていく。
さまざまなおそれを感じる。
正確には、彼が感じているのを感じる。
だからわたしは少年に言葉を託した。
わたしも一緒に立ち向かうと、彼に伝えた。
外界で孤独の中でなんとか息をしている彼に、すこしでも安心を届けたかった。それがたとえ己の内側からの言葉だったとしても。
惨めだな、なんて思う必要はないんだ。
あなたの内から生まれるものはなんであれ、あなたが生み出したものなのだから。
焚き火を囲む二人を交互に見る。
年を取った彼と、お面の少年。おそらくは幼い日の彼。
生き延びた証と、今なお責め苛まれている証。
その共通認識は、誰も守ってくれない、ということ。
だったら、だからこそわたしがいる。
彼を守るためにここまで来た。
いつ終わるかもわからない責め苦のなかで、彼がなんとか明日を迎えられるように。納得のうえで死を選ぶまで、生きられるように。
火の粉は暗闇に登っていく。
上層に突き刺さった大罪の証に向かって。