天上のアオ 5
時空間座標:2x09xx。計測値に異常あり。
うるさい稼働音を発しながら、注射器の生成装置が動いている。住宅地の家屋で見つけた物資を使えば、ひとまず心配はしなくてもいい量の鎮静剤が作れそうだった。
ターミナル駅に到着した私たちは、一通りの安全確認を終えたあと、コンコースにあったカフェの廃墟で休んでいる。
バーカウンターの上に広げた生成装置の様子を確認し終えると、私は奥にある4人がけのテーブル席に座る彼に声をかけた。
「ここは知ってる場所なの?」
「…」
返事はない。だが彼の表情がこれまでよりも少し、本当に少しだけ柔らかくなっているように感じた。
わたしは彼が座っている席の反対側に腰を下ろした。
「もうすぐ雨がふるかも。しばらくここにいようか」
「…わかった」
ようやく彼の声が聞こえた。
この世界の雨は危険だ。短時間浴びるだけでも存在が削り取られてしまう。
「なあ」
「え?」
素っ頓狂な声が出てしまった。彼から話しかけられるのがあまりにも珍しくて。
「殺しに来てるんだろ。この世界は。俺と君を」
「それは…正直どちらともいえない」
この世界は彼の内面そのものの具現化だ。「外」にいる彼本人が今どんな状態かは正確にはわからないが、少なくともまともな生活を遅れる状況にないほど精神的に破綻をきたしていることはわかる。
その世界で私たちの存在を脅かす事象は、彼の強い希死念慮から生み出されている。逆に、私たちを守るものは彼の捨てきれない希望によって作られている。
「私はあなた。それはわかるよね。だからこそ理解できる。あなたの両極の葛藤がこの世界の混乱を引き起こしている」
彼は死にたいと思っている。だが同時に死ねない理由、死んではいけない理由も持っている。死にたいのに死ねない。彼自身の信念が両極に引き裂かれて生まれた呪い。
「あなたが絶望しきればこの世界は私たちごと崩落する。でもあなたが一粒でも希望を捨てなければ、この世界はなんとか形を保てる。皮肉だけど、このぐちゃぐちゃの世界と私たちの存在は、あなたの強い葛藤によって支えられてるの」
「俺はその葛藤の調停者として君を生み出した」
「そう。だから私はある意味、弁証法的な振る舞いを期待されて生まれたってとこかな」
カウンターに乗せた機械の音が消えた。手に入れた材料分の注射器がすべて出来上がったようだった。代わりに聞こえてきたのは雨の音。外の彼が現実には流すことのできない涙。私たちの生存逃走に対する否定。
「…っ」
彼が顔をしかめる。彼にとっては雨の音ですら有害なものになってしまうということか。
「はい、これつけて」
バックパック上部に付けてあった射撃用のイヤーマフを渡す。
「…ごめん」
私との会話のさなか、彼の瞳に確かに宿っていた光に似た何かは消え、再び陰鬱な陰が差す。
いいよ。気にしなくて。まあ、この声は聞こえないだろうけど。
今はただ、雨が止むことを祈る。この世界が沈んでしまう前に。