case:Level 1 "S県山道沿い"
宮内庁管轄のとある施設の中、地下の天然洞窟を使った祭祀場に四人の姿があった。
崎守タイドウ、真神イヅナ、天掛サトリ、そして双葉ハオリ。
四人は赤い布の上で横並びに正座をしている。
眼の前では神職を表す水色の袴を履いた女性が紙垂のついた棒を振っている。その前には三方が三つ並び、とても捧げ物には見えない物々しい物体がそれぞれ乗っている。
ゴツゴツとした手甲の着いた指ぬきのグローブ。銃身を切り詰めたソードオフショットガン。そしてその弾丸64発。
神官が四人のほうに振り向き礼をする。四人も一緒に礼をした。
「祓の神事はこれにて。皆々様方のご武運を」
それが二時間前の話。今はS県とR県の境を繋ぐ山道を黒い四駆に乗って走っている。
「ついに第一級ですか」
助手席のハオリが言う。
「今年の夏は例年に比べて境界侵度がかなり高い。そこら中で残留意識場が活性化してるって報告だ」
班長の崎守タイドウが後部座席から声を掛ける。
「えーっと、これから向かうのは県境の山道で、転落事故、ほぼ死亡事故が頻発してる場所っすよね」
タイドウの隣に座る一番の若手、サトリがスマホを見ながら確認した。
「ああ、周囲が異界化している可能性も考慮して、S県側とR県側からそれぞれ1km手前に各県警に要請して規制線を張っている」
北側の斜面にへばりつくようにうねる道を運転しながら、イヅナが言った。
今回は第一級事象。紛れもなく一級の怪異ということで、局内でもきっての精鋭として知られる崎守班が一個小隊として集合した。
宮内庁管轄機関で対霊武装の祝福儀礼を行った後、全員が禊を済ませている。今回は先日の廃ホテルとは準備のレベルが違った。それだけの相手ということだ。
やがて車は規制線の前で止まった。道を横切るように柵が引かれている。
ハオリは窓を開けると、駆け寄ってきた警官に身分証を見せた。
「厚労省特異事象対策局です。事案A-フタマル対応に参りました」
「はっ。ご苦労さまです。今開けます」
そう言って警官は柵を押して道を開けた。
イヅナはゆっくりと車を通す。
そこから少しスピードを緩めて、報告にあった場所の手前で車を止めた。
「見えるか?天掛」
「ええ、はっきりと。危なかったっすね。ここが境界ですよ」
ハオリに残留意識場の存在に対する強い知覚があるように、サトリにはこの世と異界の境界を『視る』ことができる力があった。
「全員、車内で装備確認とブリーフィングするぞ」
タイドウが声を掛ける。
ハオリは足元のバッグから手甲付きの指ぬきグローブを取り出して、両手にはめた。ゴツゴツした部分にはハオリの意識場のブースターとして機能する特殊な鉱石が組み込まれている。
タイドウも足元のケースからソードオフにした水平二連式のショットガンと、弾薬がはめ込まれたベルトを取り出す。弾薬の中身は金属の散弾ではなく岩塩だ。清めの塩を発射するショットガンと考えるとわかりやすい。
武器らしい武器を持つのはこの二人だけ。イヅナは祝詞を、サトリは意識場をまとった白兵戦を得意としていた。
「さて、始めるか」
タイドウがスマホを開いて資料を呼び出す。全員と画面を共有した。
「最初に事故が起こったのは今から10年前。その年のうちに5件の転落死亡事故が起こっている。それからグラフを見てくれ」
「増え続けてますね。それに広がってる?」
「そうだ。意識場の減衰から考えて、『核』はまだ残存している可能性が高い。だが、ただの死亡事故がここまでの事象規模になるとも考えにくい」
ハオリの言葉を受けてタイドウが続ける。
「そこで出した仮説がこれだ」
スマホの表示が切り替わる。折り重なる幾枚ものレイヤーを三次元的に俯瞰したような図。
「最初の事故はいわばきっかけだ。その時の残留意識場にたまたま次の事故の残留意識場が融合した。それをどんどん繰り返して核が成長していった」
「塩とかミョウバンの結晶みたいな感じっすか?」
サトリが言う。
「そうだ。そうしてあそこを中心点に周囲数百mを異界化させるほどの強度を持つに至った。そう予測した」
あそこ、と顎でしゃくった先には山荘のような、レストランのような、トンガリ屋根の建物が大きくせり出したアスファルトの上に乗っかっている。
その二階の窓を見た瞬間、ハオリの背筋にぞくりの何かが走るのを感じた。
見られている。
「あの、向こう、多分気づいてます」
「よし、なら行くか」
全員、スマホをしまうと車を降りた。近接戦を得意とするサトリとハオリを先頭に、タイドウとイヅナが続く。もう夏だと言うのに、全員が細身の黒スーツに黒ネクタイを着用している。まるで喪服のようだ。
境界を踏み越え、四人はトンガリ屋根の建物に近づいていった。
扉は空いていた。そのままのフォーメーションで中に入る。
外から見るよりも随分と広い。それに布の掛かったテーブルやら椅子やら、物が多い。
ハオリは頭痛を感じていた。確実にここに何かがいる。さっき自分たちを見ていた何か。
散開して一階部分の探索をするが、これといってめぼしいものはない。がらくただけだ。
ハンドサインで動きを確認しながら、更に奥へと向かう。
階段が現れた。
その時だった。
「来ます!」
サトリが叫んだ。
階段の上から、白いワンピースの姿が下りてくる。下りてくる。下りてくるのだが。大きい。明らかに大きさがおかしい。身長2m50cmはないと説明がつかない。
それがふらふらと下りてくる。
イヅナがすかさず祝詞を唱える。全員の意識場が活性化した。
だがハオリもサトリも、その場から動けない。
「なん、だ。これ」
「く、干渉、強すぎ!」
ワンピースの姿に頭はついていない。首のあるべき部分にはなにもない。
「おら!」
どん、と発砲音が響く。タイドウの塩弾が怪異を直撃した。
その効果か、動きが止まった。それと同時にハオリとサトリは再び動けるようになった。
「一旦退くぞ!」
タイドウは筒状のグレネードのピンを歯で抜くと、怪異目掛けて投げた。
グレネードが破裂し、空間一体に銀色の金属箔が飛散する。
対霊用のチャフグレネードだ。
至近距離での発砲音と炸裂音による耳鳴りをおさえながら、全員一気に一階を横切り、外へ飛び出す。
駐車場と思しきスペースへ躍り出た四人は周囲を警戒しながら状況を確認する。
「あれで間違いないな」
「はい。探知機はカテゴリー4ですが、おそらく崎守さんの読みに近いモノかと」
「あれ自体が歩く異界ってことですか?」
「そうとも言えるな。というか、今俺達のいる異界がヒト型をとったモノだとも言える」
「意識干渉が強すぎるっすよ!真神さん、儀式発動できないっすか?」
「お前なあ、ここはもう敵の領域なんだ。そんな悠長なことしてられるかって。お前らに時間稼いでもらわんと。まあ一応ほれ、御札は渡しておく」
ハオリとサトリはイヅナから御札を受け取ると、心臓の上に来るようにシャツの左胸のポケットにそれぞれ入れた。軽く表面を撫でるとコードが起動し、外部からの意識干渉を避けるバリアである心理結界が強化される。
「あの、今のでカテゴリー4なんですよね。それじゃあ第二級事象じゃないですか」
ハオリがイヅナに疑問をぶつける。
「そうだな。第一級ならカテゴリー5から6はあるはずだ」
「……見られていた。顔はなかったのに、そう感じた」
ハオリが呟くように言う。
「っ!真神さん、わかりました。顔……」
顔ですよ。と言いかけたハオリの言葉は続かなかった。
なぜなら、その『顔』がイヅナの後ろにいたから。
彼の背丈ほどもある巨大な顔。
下膨れの女性の顔。にいっといびつな歯並びを見せて笑っている。
黄色く濁った目は、まっすぐにこちらを見ている。
「真神さん後ろ!!」
ハオリが叫ぶ。
咄嗟にタイドウがイヅナを避けて発砲するが、塩弾の効果は薄い。
間髪入れずに腰のベルトから弾を引き抜いてリロードし、連射する。
イズナは前転しながら180度方向を変え、『顔』と正対する。そのまま後ろに退いて距離を取った。
「カテゴリー6だ!そいつだ!」
イヅナは叫ぶと、すぐに祝詞を唱え始める。
ハオリは『顔』に向かって飛び込んでいった。どろりと濁った目がこちらを見るが、意識干渉は心理結界が弾いてくれた。
そのまま結晶体でブーストされた意識場を頬部分に叩き込む。
ぶじゅっと嫌な感触。腐った果実を握りつぶしたような感覚がした。
だが『顔』は少し後方に退いただけで、見た目には大きなダメージはない。
間髪入れずに今度はサトリの蹴りが反対のこめかみに入る。意識場の光の粒子が散った。
「二人とも空けろ!」
タイドウが叫ぶ。ハオリとサトリは咄嗟にそれぞれ横にステップをして、射線を空けた。
煙弾が濁った目に命中する。
今度は散弾ではない。特殊な方法と術式で塩を固化させたスラッグ弾だ。
「え゛、へ、げえ、え゛」
相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべているが、『顔』の片目が潰れて、そこから黒い粘性の液体が溢れ出している。
タイドウはさらにもう一発、開いている目に向かって打ち込む。
黒い液体を飛び散らせながら、もう片方の目も潰れた。
「よし、そのまま叩き続けろ!真神!神楽舞台は!?」
「もう行けますよ!コード、アクティブ!」
『顔』とそれに対峙する三人の足元を、淡い緑の光が包みこんだ。
神楽舞台。神に祈りを捧げる舞を奉納する舞台。
ここでの戦闘をその舞に見立て、祝詞と同様、信仰心というエネルギーを集合的無意識領域から汲み上げる。
「行け!」
イヅナが叫ぶ。
ハオリとサトリはそれぞれ攻撃を開始した。
目は潰したとはいえ、怪異相手にそれは視覚を奪ったこととは言い切れない。
実際に今まさにハオリに向かって大きな口を開けて『顔』が迫ってくる。
がちゃがちゃとした歯が並ぶ大きな口は、生理的な嫌悪感を掻き立てる。
その頬骨あたりに横からサトリのドロップキックが決まる。
ばぎ、という音がハオリにも聞こえた。歯が何本か飛んでくる。
それを腕をクロスさせてガードしながら、ハオリも突っ込む。
斜めになった『顔』の鼻っ柱目掛けて、体を捻り、右フックを叩き込む。
ブーストされた意識場の乗ったフックは、残留意識場である『顔』の鼻を文字通り抉り取った。
遠くに鼻が飛んでいき、どこかでべちゃりと落ちる音がした。
そうしている間にも真神の祝詞は続いている。
徐々に意識場特有の緑色の発光が強くなっていき、励起していくのがわかる。
「サトリ!私を上へ!」
「あいよ!姐さん!」
サトリの組んだ両手に右足を乗せる。ハオリの蹴る力と、サトリの跳ね上げる力の相乗で、ハオリは空中に飛び上がった。
そのまま顔の直上に躍り出る。
準備は整った。
両手を広げると、扇状に緑の光の杭が無数に現れた。
ハオリは両手をクロスさせるように振りかぶると、光の杭は地上目掛けて射出され、正しく『顔』の周囲を囲った。
膝のバネと受け身を上手く使って着地する。
『顔』は杭に囲まれて動きを封じられていた。
「ケリつけるぞ!」
タイドウが叫ぶ。
淡い緑に発光する地面に、全員が手をついた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、、、、、、、、、、、、、、、、、」
最後の抵抗とばかりに声を発する『顔』だが、その直後、光の杭で出来た円の中に光柱が立ち上り、飲まれていく。
神楽舞台で集合的無意識領域から呼び込んだエネルギーが開放されたのだ。ハオリの打ち込んだ杭はそれを放つ目印となった。
そして最後の光が空に昇り、後には塵一つ残っていなかった。
「残留意識場、反応消失。境界侵度、安全域。状況終了です」
車に乗り込んだ四人は、庁舎を目指して走っていた。今はS県とM県を横切る高速道路に乗っている。
もうすっかり夜だ。
「何とかなりましたね。もうへとへとですよ」
ハオリが助手席のシートに深くもたれながら言う。
「今回はちと相手がな。ヒトを模した異界とはな」
タイドウがスマホを操作しながら言った。
「また宮内庁に借りができちゃったじゃないっすか」
「あれは借りじゃない。ああいう仕組みになってるってだけだ」
運転しながらサトリの言葉にイヅナが答える。
本来は天皇の祭祀や生活を担当する宮内庁が、怪異の領域に関わっている。
当然そんなことは公にされていない。だがそれは自分たちとて同じこと。厚生労働省の中に幽霊退治を行う部局があるなんて、誰も知らない。
表向き存在しない組織同士、古くから取り決められた仕組みがあるのだ。
「ま、お互い超法規的かつ超常的組織ってことさ」
タイドウが言った。
ハオリは相変わらず今日の怪異のことを考えていた。
人が死んだら残留意識場が残る。それが幾つも積み重なって生まれたのが今日のアレ。
人が死ぬなんて日常の一部だ。
もしもそれが『核』として機能するなら、こんなに恐ろしいことはない。
戦闘の影響で少し痛む脚をさすりながら、この先対峙するかもしれない怪異や異界について思いを巡らせていた。