台湾で働くママがマーケティング会社に入って1年も経たずに辞めてしまった話
こんにちは、台北在住ママのリンナイです。
夏に仕事を辞め、いまはぬくぬく専業主婦をさせてもらっています。
前職は急成長していたベンチャー系のマーケティング支援会社で、社長をはじめ若い女性が多く、常にモチベーションが高くてとても楽しかったです。
が、いつも大量の業務に追われていて、育児とあわせるとまさに息つく間もないほどだったので、仕事を辞めて家庭に集中することが出来て正直「ホッ」としています。
今回は、幼児持ちママがマーケティング会社に入社して学んだこと、大変だったこと、そして辞めたきっかけなどを振り返りながら書いてみたいと思います。
1.なぜマーケティングの会社に?
大学を卒業後の最初の仕事は、台湾国内旅行を扱う旅行会社の日本営業でした。
創業40年、社員15人程度の古くて小さな旅行会社だったので、パソコンやネットができる若い人が少なく、公式サイトやSNSの運営も担当していました。
そこからWEBマーケティングに興味を持ち、コロナで日本人旅行客がパタリと途絶え、転職を考えたときにWEBマーケティングに関わる仕事がしたいと考えました。
しかし、転職活動は当時まだ娘が1歳で残業はなるべく避けたかったため、マーケティングに関わる仕事を探すのは就業条件の面でとても難航しました。
1か月半かけて何とか4社から内定をもらい、そのなかで会社の規模が最も大きく、福利厚生が充実しているベンチャー系のマーケティング支援会社に就職を決めました。
ポジションはプロジェクトマネージャー(通称:プロマネ)という、プロジェクトの管理をしながら、クライアントとの連絡を行う既存営業のようなものでした。
入社を決めた当初は4年の営業経験があるのですぐに慣れる、この職場で長く働きたいと思っていましたが、実際はかなり大変でした。
2.台湾のマーケティング支援会社で働くこと
(1)プロジェクトマネージャーとは?
マーケティング支援会社の業務区分は社によって異なりますが、
前職ではクライアントの要望を聞いて社内のチームメンバーに共有し、
プロジェクト全体の指揮・管理をするのがプロマネの主な仕事でした。
チームメンバーにはプロマネをはじめ、デザイナー、制作ディレクター、WEB広告運用の4人のメンバーがいます。
プロマネは販売数(顧客獲得数)と販売にかかった広告費用(顧客獲得単価,CPA)などの業績を毎日チェックしたうえで、広告の配信方法の変更や、広告用バナーデザイン、サイトデザインの差し替えなどをチームの各メンバーに指示して業績を管理します。
業績はクライアントからも見えるので、パフォーマンスが下がった際には指摘される前に対策を考えて報告しなければいけません。
ひとつのチームにつき5社前後のクライアントを抱えていたので、軒並みパフォーマンスが悪かった日にはもう大変で......泣
出社して最初に行う業績チェックで新しいタスクが追加されたり、タスクの優先順位が変わったりするため、消化されなかったタスクが日を追うごとにどんどん積みあがっていきました。
(2)マーケティング支援会社で得られたこと
まずは、マーケティングの基礎知識、特に主な販路がECだったのでWEBマーケティングの施策とWEB広告運用の流れは実務を通して一通り学びました。
特に面白かった施策がプレイスメント広告、これはテレビのトークバラエティ番組上でタレントに商品について紹介してもらう施策です。実際にテレビ局に商品を持って行って番組収録前にタレントさんと打ち合わせをし、収録に立ち会って商品の見せ方などの要望を出しました。テレビ局に入るのも、有名なタレントさんと仕事で関わるのも初めてで、とてもワクワクする施策でした。
他にも雑誌紹介やCMの企画など様々なマーケティング施策を実施しましたがどれもとてもワクワクする経験でした。
ただ、社内にはマーケティング経験者がほぼいなかったので、
マーケティングでまず学ぶであろうフレームワークはまったくわからず、
仕事を辞めて時間が出来てからようやく学びなおしています。
次にタスク管理術。これは前述のように新しいタスクが毎日のように発生するので、潰れてしまわないように生き残るための術として自分で本を読み漁って身に着けました。
具体的には、タスク管理表を作ってタスクごとの優先順位と予想作業時間を可視化し、朝の時点で一日やることを分単位で決めてしまうというものです。(アフィリンクではなくただの紹介ですが、この本がわかりやすくて良かったです。KindleUnlimitedで読めます↓)
マンガでわかる! 幼稚園児でもできた!! タスク管理超入門
最後にプレゼンテーション能力、これはクライアントへの月初の報告や施策提案の際に必要になるほか、社内でも毎週定例ミーティングがありプロマネが中心になって各ブランドの状況を上司に報告していたので、かなりの頻度でプレゼンテーションを行っていました。しかも社内ミーティングはすべて中国語で行い、議事録も中国語でプロマネが取るため、入社して半年くらいは毎週会議前になると吐いてしまうほどしんどかったのですが、1年足らずで中国語能力が飛躍的に伸びました...。笑
(3)マーケティング支援会社で大変だったこと
幼児持ちママとして最も大変だったのは帰宅後にも子供の世話があるため、いくらタスクが溜まっていても残業ができないこと。
前職はベンチャー企業だったので若い人が多く、モチベーションが高い職場だったので、台湾の会社にはめずらしく定時通りに帰る人は半分もおらず、かなりの人数が毎日20時過ぎまで残って仕事していました。
それでも毎日楽しそうにデリバリーの夕食を選ぶ姿を見て、私も独身ならなあと思ったものです。笑
特にプロマネは全体の指揮を執るため、毎日業績を追うだけでなく、数か月先、数年先までの計画を立てる必要があり、知識も経験もないのにゆっくり計画を練る時間がないのは死活問題でした。
また、営業の仕事も兼ねていたので月末の締めと月初の請求作業、そして毎月の広告レポートの時期になると、夫に頼み込んで毎日3時間ほど残業させてもらっていました。それでも他のことができなくなるほど時間が足りなくなってしまうので、この時期は会社でも家でも謝ってばかりで、これが精神的にかなり堪えました。
3.退職を決意したきっかけ
マーケティング支援会社に入社して10か月が経ったころ、台湾で市中感染が広がり会社はリモートワークに移行、同時に保育園が休園となり2歳の娘が一日中家にいることになりました。
リモート会議のときは娘にテレビを見ててもらい、ひとり部屋でイヤホンをつけて会議に参加していたのですが、ママにべったりしたいお年頃なのか10分も経たないうちに開くドア、そして大音量で響く「ままあそぼー!!!」の声......仕事になりません。泣
こうして娘が昼寝している間と、深夜、そして夫がいる週末に終わらなかった業務を片付けることになるのですが、だんだん体力が持たなくなりストレスも溜まってかなり荒みました。年初から行っていた第二子妊活も、仕事のストレスで生理不順になってしまい、当初予定していた三歳差には間に合いませんでした。
そして決定打になったのはリモートワークが始まって1か月経ったあたりから。娘と心の距離が開いてしまい、空き時間に抱っこしようと呼びかけてもツンとそっぽを向かれてしまうようになったことです。癇癪や夜泣きが増えるなど情緒も不安定になってしまったため、6月端午節連休中に夫と話しあって退職を決意しました。
「ママおしごとやめるからね。ずーっと娘ちゃんと一緒にいれるよ。毎日一緒に遊ぼうね。」と娘に言ったとき、娘が嬉しそうに「うん!」と言った顔が印象的でした。
4.これからのこと
退職後まもなく娘の情緒不安は治まりました。
8月に入ってコロナの市中感染が減り警戒レベルがさがったことで保育園・幼稚園は再開。娘は0歳から通った保育園に戻ることがないまま近所の幼稚園に入園しました。
いまは娘は平日の9時~16時で幼稚園に通っているため、
私は午前は家事と健康回復のための運動、午後はSHElikesというサイトでマーケティングなどの勉強をして過ごしています。
専業主婦になって暇だからSHElikesでガンガン勉強するぞ!と思ったのですが、家事はやろうと思えばやることはたくさんあるし、健康維持のためのウォーキングは欠かせないし、ショッピングにも旅行にも登山にも行きたいし、加入したばかりの有料動画サイトは見たい映画や番組であふれているし、日台交流協会の図書館の本も読みたいし、最近ダウンロードしたジグソーパズルのアプリが楽しすぎるし...とやはり時間は全然足りません。笑
ただ、第二子妊活がなかなかうまく行かないなか、夫婦で話し合って決めた暫定タイムリミットの旧正月が近づいてきてるので、そろそろ重い腰をあげて次の就活のことを考えてみようと思います。
どのような形であれ、
2022年躍進の年となりますように!
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