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乳がん経験から生じた想い~イベントレポート~

2021/10/24(土)20時〜22時30分開催

【コミュニティ概要】

「医療学生が患者さんやご家族の想いを未来へ繋ぎ、笑顔の花を咲かせる」をコンセプトに活動。患者さんとご家族のリアルな声を医療学生が届けること。を軸にイベントを開催。ターゲットは主にがんと難治性疾患の患者と患者家族。コミュニティ内では、イベントで携わった疾患テーマをもとに「クリニカルラーニング」という勉強会も実施。
↓ 詳細はコチラの記事にて🌼


【ゲスト名】

◆野村 真実さん(まみさん) 
◆藤森 香衣さん(かえさん)

【ゲストプロフィール】

◉藤森 香衣(ふじもり かえ)
東京出身・在住。趣味はK-pop、韓流ドラマ、YouTubeをみること。モデル。NPO法人C-ribbons代表理事。2013年に右乳房全摘出・同時再建を行う。現在は乳がんだけでなくがん全般についての知識をひろめるため、啓発活動を行っている。

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◉野村 真実(のむら まみ)
埼玉在住。趣味はピアノ。病院薬剤師。サロンCOEDO(ペイシェントサロン協会認定)運営。リレー・フォー・ライフ・ジャパン川越実行委員 。がんここスタッフ。2015年に検診で乳がんとわかり、化学療法を経て2016年7月に左乳房の全摘を行う。現在、ホルモン療法を継続中。

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【イベント要約】

今回は《乳がん》をテーマとして取り上げ、
以下の5つの項目ごとにモデレーターとゲストによる対談形式で実施。
自己紹介 発症・闘病時の体験談 現在の活動と今後の展望 伝えたいこと

自己紹介
かえさん:モデルのお仕事をされている中で、乳がんに罹患した。好きなことは新しいことにチャレンジすることで、最近ではハワイアンジュエリーを習い始めたり、ライターのお仕事もされている。
まみさん:医療者であるため、早期発見の重要性は知っていたが、その先の恐怖があり50歳で初めて乳がん検診へ行き発覚。現在は、職場の外で乳がんの啓発活動をされている。

発症・闘病時の体験談
お二方とも、乳がんに罹患してから”人”や”仕事”との関わりの中で、少しずつ心境の変化があったという。
かえさんは、ご友人が乳がんに罹患し、闘病の末に26歳で亡くなった。この繋がりは、ご自身が乳がんに向き合い、現在の啓発活動の原動力となっているとのこと。さらにはご友人への恩返しになると考えているという。
まみさんは、乳がんが発覚した当時は、お仕事を今まで通りに続けていけなくなるという不安から「自分の居場所が無くなってしまう」と思い、周囲との壁を作っていたという。しかし同僚からの「居てくれるだけで安心します。」という言葉に救われたという。

現在の活動と今後の展望
かえさんは、Not Aloneプロジェクト(病気になっても、“私だけ”と社会から孤立し、孤独になることをなくす)で、「美容やアンチエイジング」について学ぶことを切り口に気軽に参加しやすい場を提供し、乳がんについても学んでもらう機会を作っている。
まみさんは、サロンCOEDOという、患者と医療者という壁をなくし、”人”と”人”としてフラットにお話しできる場を作っている。

伝えたいこと
・あなたは病気になっても『1人ではない』こと。がんになったあなたも、あなたの家族や友人もみんな辛い。だからこそ気持ちや情報の共有をし、支えあうべきではないか。
・どんなときでも『初心に振り返る』こと。医療者として知識をつけても、患者さんとの境界・上下関係を作らず、「患者さんは何を必要としているのか」という心の声に耳を傾けてほしい。

【対談内容】

①自己紹介
かえ「本業はモデル、その中で乳がんになった。NPO法人C-ribbons 代表理事。東京生まれ、東京育ち。K-POPやYOUTUBE、など。」
ちほ「結構韓国行かれる?」
かえ「友達の家に泊りに行くくらいの感じ」
ちほ「好きなことは新しいことにチャレンジすることとあるが、最近のチャレンジは?」
かえ「ハワイアンジュエリーを習っている。師匠が有名で、ライターの仕事もしている、共著で。出来上がったらぜひ見てほしい。」
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まみ「病院薬剤師だが、胃腸専門。乳がんについては知らなかった。埼玉在住、術後5年ちょっと。乳がん発覚、本当は医療者で早期発見の重要性は知っていたが、その先が恐怖があって逃げていて検診をしていなくて50歳で始めて検診。既に脇の下に転移がある状態だった。6ヶ月間、治療をして、術後も通して1年くらい。今もホルモン療法を継続。職場の外で啓発活動等サロンも。」


②発症・闘病時の体験談
ちほ「乳がんの知っているようで知らなかったことについて」
かえ「祖母が乳がんで両胸がなかった。乳がんは高齢の人がなる、というイメージだった。しかし26歳の友人が乳がんになり、闘病を頑張ったが亡くなってしまった。その友人の死をきっかけに自分でしこりを見つけ、病院に行った。しこり発見時は自分も死ぬのかな?と不安だった。」
ちほ「ピンクリボン自体は知っているが、このイベントを通して10月がピンクリボン月間なのだと知った。友人の影響は大きかった?」
かえ「友人に聞いていたから、怖がらずに行かなきゃ!という気持ちが大きかった。恩返ししたいが、お礼が言えない。友達が助けてくれた命を誰かのために使いたい。そう思い、活動を始めた。」
ちほ「最初検診に行くきっかけは?」
かえ「実際、乳がんのピークは40代、35歳の乳がんはそんなに多くないが、ほっといてもがんはなくならない事実は知っていた。友人の話がなかったら、通知が来るまでは何もしなかっただろう。」
ちほ「人が良いという病院が、自分に良いとは限らないとは?」
かえ「東京は、乳がん専門病院等いろいろあるが、最初に行った病院が先生と合わなかった。病院の雰囲気と医師に会って決めた。自分が10年は体を預ける病院だから、雰囲気や相性を大事にして決めた方が良いと伝えたい。」
ちほ「医療関係者からの言葉は何かあった?」
かえ「いろいろ見た方が良いよ、と看護師さんが言ってくれた。自分の勘にも従った。」
ちほ「遺伝性乳がんの検査については?」
かえ「遺伝でなってしまう方も居る。女優のアンジェリーナは血液のDNAにて遺伝性があった。両胸ががんになる可能性がある→卵巣も含めて、予防的摘出も手。私は遺伝性乳がんではなかったが、もし遺伝性ならいとこなど、家系に伝えるように言われた。この辺の制度は整備しないといけないが、結構残酷だなと。今は保険がきくが、当時は30万ほど払った。両胸、卵巣取るのは大変なことを知るきっかけにもなった。」
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まな「検診日から突然がん患者に。周りの環境など心境の変化は?」
まみ「がんの種類は違うが、がん患者に普段お会いしている。その方は患者さんという区分。自分は患者さんではない側、で当たり前だった。検診は、至って元気な状態で行った。一瞬のうちに逆側の立場へ。がんという言葉に慣れていた面があったはずだったが、まるで知らない世界だった。周りとの関係性を自分がとることができなくなった。抗がん剤治療中の周りとの関わり方には悩んだ。乳がんは珍しくないが、人には知られたくなかったため仕事上どうしても必要以外には話さなかった。話しを振られるのを避けていた。後から振り返るとそういうことだった。」
まな「告知後の周りとの関わり方、その事実はその後のまみさんにどう影響した?」
まみ「渦中にいたとき自分の心境は分析できず、ごちゃごちゃした辛さがあった。振り返ると、そのときそのときの核になる気持ちはあるが、自分の居場所がなくなってしまう?!と思った。抗がん剤がどういうものかは分かっていた、仕事にどう影響するか?隔離ではないことは分かっているが、今の仕事を同じように働くことは困難ということが当たり前のように降りかかってきた。副作用のこともあるが、言わなくても良いならなるべく話したくない。中途半端に話すことによって、周りも人間なので興味本位にされたくなかった。年齢は高かったが、乳房を失うことは避けたかった、手術はしたくなかった→周りに壁を作っていた。」
まな「傷ついた言葉、救われた言葉は?」
まみ「胸なんかとったってどうってことないじゃん。という医師の言葉に傷ついた
→それはおそらく力づけようとしたのだと思うが...。お腹を切ると後々大変だが、胸をとっても体調に変化ないから大丈夫だよ。と言われ、許せない!と思った。後から思うと、医療者というところから、ちょっと感覚が違う?(切ったり貼ったり、亡くなっていく人もみているから)悪意ではなかったかな?でも、心への寄り添いは欲しかった。」
まな「勇気を出して、最低限関わりがある人に告げたのに、その言葉には怒りを覚えますね。薬剤師としての視点に変化はあった?」
まみ「気をつけなければいけない、ということは思った。役割として、病気の部分に触れざるを得ないが、短時間とは言え、一言の声掛けの仕方は患者さんから見ると大きな違いはあるかなと感じる。」
まな「医療関係者は、悪い意味で慣れてしまうと良くないですね。救われた言葉、場面は?」
まみ「副作用が強くて辛かった。その時、同僚からの、居てくれるだけで安心ですといった言葉。自分はここに居て良いんだ、居る意味があるんだ、と思った。自分はお荷物だと思っていたから救われた。」
まな「そのような言葉のおかげもあり、以前は周りを避けるようになっていたが、少しずつ前向きになれた?」
まみ「そうですね、働くという事に関しては肯定できた。やれることをやろうと。」

 ③現在の活動と今後の展望
ちほ「Not Aloneプロジェクトについては?」
かえ「孤独を感じた、病気になったときに→あなた一人じゃないよ!というメッセージ。NAビューティーというのもやっていて、美容についてもお伝えしている。乳がん患者限定だと行きづらい、患者と括られると難しいなどがある。美容を学びながら、乳がんも学んでもらうといった切り口。癌細胞というと皆さん、?となるが、アンチエイジングというと皆さん前向きになる。NAつくるというのは、両親ががんになりお子さんがいる人が対象。お子さんが居る中で闘病を分かち合うのが難しい。お子さんで大変な想いをしている人もいるため、夏休みの自由研究の課題を片付けながら、両親にも話してもらう。」
ちほ「NAについて、なんで一人なんだろう?精神的な面での孤独?」
かえ「がん患者は、“私だけ”と社会から切り離されるのをなくす。」
ちほ「美容が絡むと、やはり女性として参加したい!と思った。どんな風に何を教えてもらえる?」
かえ「例えばアイメイクなど、テーマを決めて、“一重の人はこのメーカーが良いよ”など適したポイントがあるらしい。実際にそれらを体験してもらう。どこにチークを入れるか、なども。」
ちほ「乳がんは関係ないだけど、そういった異なる側面から絡んでいくのは大切ですね。NA作るについて、石鹸をどうやって作る?」
かえ「石鹸の粒を持っている会社があり、子どもでも作成できるモノがあるのでそれをやってもらっている。両親ががんに罹患した子どもを見ると、全員抱きしめてあげたいくらいの気持ちになる。」
ちほ「NAプロジェクトには男性もいる?」
かえ「ビューティーは女性向けだが、『NAつくる』という、お子さんを持つ がん患者さんのイベントに、男性も来て頂いた。乳がん限定というわけではない。乳がんの患者ではウィッグを持ってこられる方も。」
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まみ「病気になって、医療者と患者になった場合のいろんなギャップを感じた。特に、コミュニケーションギャップ。仕事として話すときは当たり前にコミュニケーションを取っていたが、患者になると一言一言にすごく一喜一憂したりする。そこで、医療者側が考えやすいコミュニケーションテクニックだけではないギャップを感じた。
Bridge a Gapについては、自分の活動名を立て、これから動いて行けたら良いかな。自分として唯一できているものは、サロンCOEDO(いろんなテーマでゲストをお呼びして、フラットにお話しをできる場)。」
まな「それは、元々信さんが開かれたサロンだった?」
まみ「そう。自分でも同じような場所を作りたい!と思い、のぶさんのサロンを参考にサロンCOEDOを始めた。その後、ペイシェントサロン協会認定サロンにして頂いた。」
まな「新しい取り組みを初めて行く中で、自分にとって何か変化はあった?」
まみ「医療者が居るグループだけで患者さんとコミュニケーションを取ろうとしても、そこで出てくるお話しはすごく狭い。スキル等の話に行きやすい。根本的な部分は“人と人”。そこを大切にしないと医療関係者という特殊集団になってしまう。一個病院の外に出たら、立場はいろいろ逆転する。普段医療者はそのようなことを考えていない。理屈で話すことは大切だが、近い状況で、気軽にお話しし、コミュニケーションを自然と体感できるのが大切。病院の中だと少し感じにくいかな。」
まな「病院だと医療関係者と患者のように上下関係が無意識に作られると思います。そのような関係をなくせるアットホームな環境?」
まみ「そうですね。始めていったら、もっと普遍的なところで医療も変わって行けたらと拡げている。」
まな「がんここは?」
まみ「スタッフという位置づけだが、がんここでも勉強させていただいている。私が感じていた大事なことをみんなも感じていた。他の勉強会と違うのは、同じ話を聴いてどう感じたか、他の医療関係者にはそういう考え方があるのかなどを知ることが出来る。薬剤師は話しかけてくれないという意見があれば、周りから見ても分かるように話しかけてみようという小さな一歩を学べる。」

 ④伝えたいこと
かえ「患者さんが、独りぼっちだと感じてしまう。医師も、患者さんのために“こういうことをやっても良い?”と思って見守っていることがある。分かっているけれど、言えない、やれない方のために情報の共有ができたら良いのになと思う。家族ががんになり、苦しんでいる、みんな辛いのは一緒。分からないことが聞けない。乳がんになったことを言えない、どう接したら良いか分からない。そういう人へも、あなたはは独りぼっちじゃないと伝えたい。」
ちほ「言えない人、助けたい人、優しい言葉などで何か印象に残っている経験は?」
かえ「自分の病気はすぐに公表した。全部ブログに書いた。すると、DMや電話が来た。今は胸は切らなくて良い、とかこういうのを飲むと良いよ、全然違うがんの治療情報などもきた。最初は看護師さんが“よかれと思って行ってくれている。不安な気持ちを静めるために”やってくれているのでほっといても良いよと。ブログ投稿もタイマーにして、手術終わったときにパッと報告した。いろんな情報が勝手にくるのでストレスで大変だった。」
ちほ「モデルをされているが、摘出へのハードルは?」
かえ「同業のモデルの前で着替えたりもするため、傷が見えてそれを隠していたら、変なことを言われるのでは?と。周りから変に言われたり、書かれたりするのは嫌だと思い、徹底的に隠すorしっかり伝えるかを考え、結局周りへの手助けのためにも公表した。」
ちほ「仕事への芯を感じた。私なら迷う。」
かえ「友人が亡くなっていたから、というのもある。若くして亡くなる病気もあるのかと思った。」
ちほ「今までイベントをやっていく中でやはり立ち止まることはあったのか?」
かえ「全部終わった翌年、友達が希少がんになり、彼女の闘病を支える状況に。治療法がない病気だった。その友達の状況が大変な状況に向かっているのは分かっていた。そこで、闘病を支える辛さを経験し、こんな辛い思いはしたくないと止めたくなることもあった。でも病院でブログ見ていました!という人も出てきて、神様はずるいな、と。そういった出来事があるからまた頑張ろうって思う。」
ちほ「周りの支えは大きいですね。」
かえ「私のことをこうやって見つけてくれると、もっと頑張ろうと思える。」
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まみ「学生→社会へ出て行くとき、医療系職種は仕事上の緊張感があり、覚える量も多いので頑張らないと行けない。かつ最初はすごく成長するため医療者としてのプライドが芽生え楽しい時期かもしれない。それは良いことだが、どんな時でも、振り返ってもらえたらいいなと。」
まみ「何かしてあげたいという気持ちが強い。それが、向上心へ繋がることは良いが、してあげる→上から下へというニュアンスがある」
まな「上下関係を築くのではなく、ということですよね。押しつけは良くない?」
まみ「全部してあげたい!!と思っても、患者さんが何を必要としている?に焦点を当て、患者さんの気持ちが置いてきぼりになり、孤独になってしまわないように。」
まな「その症状は病気から、というのは?」
まみ「病気のせいかな?と想いがち。全部がこの病気だからこう、と解決策を提示しがち。だけども、その前の余白が欲しい。どういうお気持ちでそういう症状を訴えているのか。薬のせいでなっていることもある。例えば病気ではないのに、辛くなっている方に対して、“薬のせいでこうなっているので、こうしてみたら良いかもしれない”などの声掛けも大切。」
まみ「そこに居てくれるというのは、ともに時間を過ごしているということで、“何もない”ということは絶対にない。自然に言葉が出てきたり、ということもあるかな。」
まな「医療者は、患者さんの問題を全て解決したくなるが、そうではない?」
まみ「全部ハマっている訳ではないかも。アセスメントは広く、感じながら進んで行くことが大切。いきなり全てを解決!と思わなくて良い。」
まな「多角的視点が必要なのだ、と思った。」

【質疑応答】

・救われた言葉、他にもあった?(まみさんへ)
あなたの居場所はとっておくから、(患者さんから)察してくださる方からも、「頑張っているね」「ありがとう」「偉いね」といった言葉をもらい、力になった。
*患者さんから見たら、一人の医療関係者なので、関わり方が大切だと実感できた。

 ・いつ頃病気であることをオープンにされた?(まみさんへ)
就労を継続すると言う意味では、経営者と同僚には伝えていたが、それ以外には抗がん剤をやっている間は仕事を休まないという想いでやっていたので言わなかった。
6ヶ月後、手術となると2~3週間休まざるを得なかったため、がん公表をした。

 ・NAプロジェクトはオフライン?コロナ禍でオンラインもされている?(かえさんへ)
オンラインはやっていない。同じような人が2年間家に居たけれどあなたのイベントなら行けそうかも、とイベントに来ていた。そこでイベントは、患者さんを外に出すきっかけになるものかもと思い始めた。ウィッグを被って遊びに来てくれたりもする。オンラインではなくオフラインでやりたいと思っている。

 ・同時再建について、どんなもの?(かえさんへ)
胸をとる→男性の胸のような状態、もっと骨と皮に近い。
自分が最初見つかったのは、脇の端っこ。CTを受けると、全部で3つ点在→全摘へ。
再建手術→形成外科的に再建した
食塩水の袋→大胸筋の下へ入れる→空いているところに、風船のようなものを入れる→外側から膨らませて皮膚を伸ばして→シリコンパック

・男性に向けて、知って欲しいことは?
➀お母さんが今後乳がんになる可能性があるため、概要や対応法を知って欲しい
➁男性として、そういう人が恋人や友達になったらどう思うかを考えてほしい。
男性からの発信もあって良いかもしれない。


【ゲスト・参加者からの声】

参加者の皆様からは「勉強や実習では知り得ないリアルを学べた」、「原点に立ち返って“医療従事者と患者“ではなく“人と人“の関わりの大切さを学んだ」、「今後医療従事者としての接し方や患者さんが求めていることなど考えるきっかけになった」など乳がんはもちろん医療全般について考えるきっかけや機会となったとの声が多かったです。
ゲストの方々にも、ゲストやモデレーター同士だけでなく参加者の皆様とも気楽に直接交流できたり、自分自身も新たな学びや発見があって楽しかったとのコメントをいただきました。
また、「学校では学べない患者さんの気持ちや意見を生で聞ける機会は本当に貴重なので、これからの活動も応援させていただきます」、「ガンになり初めて参加した会がこのイベントで、ガン患者ではない医療学生の方々が主催だからという視点の違いがみれる可能性が何よりの魅力でした」など、”情報発信の場と繋がりをつくる”という目標のもと活動している私たちにとっても嬉しいお言葉を沢山いただきました。
次回以降もぜひ参加したいとのコメントと共に今後へ向けた要望も多数いただいたので、貴重な意見を参考にこれからもゲストの方々や参加者の皆様にとってより良いイベントを作り上げていきたいと思います!

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