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なぜ銀行を辞めたのか?

皆様、おはようございます。

昨日は「私がなぜ銀行を選んだのか」についてお伝えしましたが、いきなりですが、「なぜ銀行を辞めたのか?」についてお伝えします。

起承転結ではなく、起結ですね(笑)
でも、私にとっては既に過去の話であり、伝えたい情報の中で優先度の低い情報なので、真っ先にお伝えする事にします。

当時の私はパワハラ上司に相当に詰められていて病んでいて、かなりギリギリの精神状態だったのは間違いありません。

でも、そんなギリギリの状態だった私ですが辞めた理由がいくつかあります。

①非常識な営業
私がいた当時いた部署では日常的に闇残業が横行していました。
はっきり言いますが、私は残業は嫌いではありません。
残業の中で自分のペースで仕事をしたり、先輩と仕事の話をしたり、日中で話せない事をやり取りする貴重な機会なので、割と好きでしたが、その部署では明らかに異常でした。
詳細は省きますが、パワハラ上司のプレッシャーにより帰れない状況や、自宅に帰ってからも深夜にメールや電話が入るのは当たり前でした。
決定的だったのは、東日本大震災の当日に夜遅くまで住宅ローンの電話営業をしていた事がありました。
その日があってから、「この組織は本当におかしいのではないか?」と考える様になりました。

②目標を見失った
将来の事業承継を見据えて銀行員となった私ですが、入行時に自分なりの目標を設定しました。
それは、「3年以内で同期の中でトップになる」というモノです。
自分が社会人として一人でやっていけるかどうかは未知数ですが、銀行員として優秀であれば、外の世界でもやっていけるのではないか、と考えていて、若手でがむしゃらに頑張ってこれたのも、この目標による所が大きかったと思います。
後日の記事で書く予定ですが、3年目に住宅ローンの部門において新人賞を獲得し、この目標を達成してしまいました。
奇しくも目標を達成してしまった事が目標を見失ってしまい、頑張るモチベーションを無くしてしまった事にも繋がりました。

③外の世界に目を向けだした
「銀行員の常識は、世間の非常識」という言葉がありますが、これに関しては本当にその通りだと思います。
将来的に銀行の外の世界に出る事を考えていたので、この頃から「銀行員として優秀=ビジネスマンとして優秀」なのか?と考える様になりました。
融資の稟議書ならまだしも、特段、重要性が高いとは思えない様な報告書類ですら、「役員が目にするから少しの粗相も許されない」という事から、ちょっとの書類のズレでも𠮟責罵倒された事がありますが、そうした事は銀行員だけではないでしょうか。
話が少し脱線しますが、この頃から銀行員としての色に染まりきってしまう事に危機感を感じ始めていたのは間違いありません。

この様な考えがある中で、営業不振が続いていた上司に詰め寄られ、
「お前がどうしたいか全く分からない。明日までに進退を考えてこい!」と言われた翌日に辞表を提出しました。

上司としては、一般の得意先(外回りの営業)から、個人の金融商品の営業にシフトさせたいという思惑があったと思われますが、辞表が出てくるとは想定しておらず、慌てふためいていました。

「常務に報告をしないといけないから、君の家業について文章をまとめるように」とパワハラ上司に言われた時は、「本当にこの人は、自分の進退しか考えていないな」と思ったのを鮮明に覚えています。

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