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なにを支えに生きているの?

※以前書いていたブログから、残したい記事を順次移動しています✏️

2010.07.10

「ねえ、なにを支えに生きているの?
支えって大げさかもしれないけれど、
辛いときとか、しんどいことがあったときに、
なにをきっかけにそこから気持ちを切り替えて、
また頑張っていこうって思い直すの?」

って、最近、身近な人に聞いてまわっている。

先日、仕事でミスをして注意勧告を受けた際に、
どんどんヒートアップした上司が

「そういうやり方をしている奴は、
なにをやったって、ゼッタイに、
うまくいくわけがない。ダメだ!!」

と、言い放ち、いや、さすがに私の人生全否定するようなその発言は言い過ぎでは?
パワハラ裁判用に録音させていただくので、もう一回言ってもらっていいですか?
いえいえ、こういう目に遭うのも、すべては因果応報、私の生き方の結果であるから受け入れろ。
というか、『ゼッタイに、うまくいくわけがない』人生なら、いっそ私なんか死んだ方がましですよね?
いやいや、今日は機嫌が悪くて、たまたま目の前にいた私がサンドバッグ代わりにされただけだから気にするな。
などと、グルグルしながら何も言えず
そこから動けず。

ようやく30分以上経って、会社を出た私は、とぼとぼと、夜に紛れて街を歩く。
その辺にある葉っぱや花に、片っぱしから話しかけ、そおっと触らせてもらいながら。

 近くの公園のプラタナスは、
 鈴掛の樹じゃなくて、
 アメリカ鈴掛の樹だったんだね。
 三井住友銀行の対面にある紫陽花は、
 今年は花が少ないね。
 戦前から立っていそうな古い家の鉢植えの花は、
 アロエの花なんだ、知らなかった。
 床屋さんの前の四季咲きのバラ、
 いつもきれいな花を見せてくれてありがとうね。

世界中の植物は、どこかでみんなつながっているんだって聞いたことがある。
もし、そうなら、ヘタりそうな私を
あの故郷の森につなげて。

漆黒の夜がそこにある、
怖いほど美しいあの森の夜に。
私はここで生きて行くって決めたから、
頑張るから、ほんの少し、力を貸して。

以前はこういうとき、友人に電話して
ヘルプしてもらっていたのだけれど、
人には感情や愛があるので、
あまりに頼りすぎた結果、
人間関係がこじれてしまった。

人のネガティブな感情エネルギーというのは
本当に強烈で、例えば植物だって、
1つの鉢植えに頼りすぎたら、その子は枯れる。

自覚のなかったころ、
私は自分の感情的なところを自分の個性だと
言い放って垂れ流しにし、
たくさんの鉢植えを枯らせたし、
人間関係もダメにした。
そういうのは、こりごりだ。
私はもう、被害者にも加害者にもなりたくない。

人という容れ物は、万能な宇宙のエネルギーを
すべて注ぎ込めるほど有能じゃない。
いや、むしろ有能じゃないことが
人であることの有益なところなんだろう。

子供のころ、私には絶対的に信頼できる大人
というのがいなかった。
親に虐待されたわけでもないし、
田舎だったからまわりの大人たちは
みんなやさしくて受け入れてもらってたけど、
「この人は絶対になにがあっても
私のことを見捨てない」
という気持ちを、大人に持ったことのない
ひねたガキだった。

ただ、幸いなことに、そういうものを
面倒な人間に求めなくても、
山や空や風や星や木々や花や大地が、
いくらでも気前よく与えてくれていたから、
私は自分のことを嫌いにならずに大きくなれた。

都会に出てきたとき、
そういう濃厚な無尽蔵のエネルギーに
ふれられる場所というのがあまりに少なくて、
「こんなところで多感な青春時代を送っていたら、
私は自殺するしかなかったかもしれない」
と思ったことがある。

それでもたくさんの人が、この都会に密集して、
今日も絶望せずに生きつづけている。
なんで?
私には、まだその秘訣がわからない。

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10年とちょっとが経って、私はまた岐路にいる。
ここで生きていくって決めた目的が
ほぼ果たせたから、
今度こそ森に還ろうと思う。

あのとき、夜の都会の片隅で泣いていた私に、
今の私からエールを送る。

ありがとうね。
大丈夫。
あなたはちゃんと自分を支えにして
幸せになってるよ💕

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