カリフォルニア留学のおうち事情🏠【後編】
こんにちは!カルフォルニア留学中のAiです🏖️
前回お話していたカリフォルニアでのおうち事情について続きを早速お話しいていこうかと思います。まだ前編をお読みでない方はリンク ↓↓ を貼っておきますのでこちらもぜひ読んでみてください👀
それでは!突然ホストファミリーから
「家引っ越すことになったよ!」と言われたところからどうなったのかお話していきますね(^^)
体験談 3. ホストファミリーと引っ越し
それから実際に家族ごとお引っ越しすることになりました。
かなり大きめの家だったので、大きなベットの枠組みとかいっぱい運ぶものが多かったのですが、引っ越し業者は雇わずに家族の知り合いも手伝うためにたくさん集まって、大きなトラックをレンタル🚚して全て自力で行いました。大家族👨👩👧👦の引っ越しなら、日本では引っ越し業者雇ってもおかしくないくらいの仕事量だったので、それはすごくアメリカやなあ🇺🇸と感じました笑
引っ越し先は、同じEscondidoというシティの中心より少し離れた
綺麗な住宅街にある平屋で、部屋も前の部屋より断然日当たりがよく、
私はすごく気に入っていました🌞
前の家の周りにはバス停すら近くになかったのが、30分歩けばバス停があるくらいましにはなりました🚌 車がない分、歩けばバスが使える環境に変わったのはとても嬉しかったです。実際、時間はかかるものの、前よりは確実にバスに乗っていろんなところに積極的に行くようになりました。
とはいえ、学校まではバスと電車を使って1時間半くらいでまだまだ大変ではありました。バスは1時間に一本しかなくて、時間より遅くくるのはいいとして、早く行ってしまう時もあるので、乗り遅れたら普通に地獄💦
新しい家になってからは、まさかの部屋が一個足りなくて確か2週間くらい?日本人ルームメイトのKちゃんと同じ部屋で過ごしました😌
夏休みに入った直後だったので、二人して暇すぎて家の周りを散歩 兼 散策したりして…案外楽しんでました!さすがに一部屋二人暮らしずっとは出来なくて、2週間したらKちゃんは新しいホストファミリーに引っ越しちゃってなかなか寂しかったなあの時泣
Kちゃんがいなくなってからは、色々としんどいことも増えました😔
体験談 4. ホストファミリーとの関係が悪化
元から一つ下の弟くんとは挨拶交わすくらいで、私も彼もかなりシャイだったので全然話さなかったですが、シスターの方ともだんだん話さなくなりました。喧嘩をしたというわけでもないのですが、一番ショックだったのは
私の母が会いにアメリカまで来てくれて、家でお好み焼きを作ってくれた時の残りを後で食べれるように冷凍してたんです(名前まで書いて)。シスターにいつの間にか捨てられていました。お好み焼きなんて普段食べれないし、久しぶりの親の料理で後から食べるのもかなり楽しみにしていたので、ショックは大きかったです。
続いて、ホストファザー。
引っ越す前から陽気な感じだったファザーはすごく冷たくなって、掃除を私にばかり押し付けてくるように…(マザーが留守の時を狙って)
すごく自分勝手で、迎えを頼んだらガス代を請求されたり、外食に行った時も食事前の祈りで手を繋ぐ時、「コロナだから」と私だけ服の袖越しに手を繋がれたり。(これは普通に人種差別だと思いました。)
私が買ってきたシナモンロールを(これも食べるの楽しみにしてた)マザーが「それはAiのだから食べたらダメだよ」わざわざ伝えてくれてたにも関わらず全部食べられていたり…
食の恨みはでかいぞ!ほんまに!!笑
ホストマザーだけはずっと優しくて😭 唯一私のことを気にかけてくれてたけど、仕事ですごく忙しい人だったのと引っ越してからは今度はファザーとの言い争いも増えて、また部屋の外に出るのが毎日気まずい感じに。
そんなこんなで色んなストレスを感じながらも11ヶ月このファミリーと過ごした訳ですが、ちょうど友達が学校の近くの別のホストファミリーを紹介してくれたので、思い切ってファミリーを変えることにしました💭
体験談 5. 新しいホストファミリー
新しいファミリーはフィリピン人の夫婦の二人暮らしのお家。
友達が紹介してくれたので、FA Homestay とはこの時にこれからは自分でやっていきます。と伝えて個人的に契約をしました。
家賃が初めは食事など全て込みで月1200ドルと言われて、高すぎると思ったのですが交渉して月1000ドルでいいよと言ってくれました。
San Marcosにある二階建ての家で
学校までは自転車で10分。歩くと30分くらい!
前と比べてほんっとうに楽になりました 😭
家族はとても優しい夫婦でパパは仕事を定年退職していたのでずっと家にいて、学校まで送ってくれたりしました。
ひとつしんどかったポイントは、食でした🍽️ ママがヘルシーなクッキングクラスをしていると聞いたので、ヘルシーなご飯が出てくるのかと思いきやいつも用意するのはパパで外で買ってきたファストフードが多かったので、毎日これだときついなあとは思っていました。
一時期、パパがパニーニメーカー(パンにハムとチーズを挟んで鉄板で挟んで焼いたサンドウィッチ)を買って毎日毎日朝と昼にそれが出てきた時は、
もうパニーニ一生食べたくないと思ったくらい😰
それで前日にそれを食べずに残すと、それがそのまま次の日の朝ごはんとして出てきた時はもう… むしろ何もいえなかったですね笑
でも学校も近くて住みやすかったので、約9ヶ月(冬休み、夏休みは日本に帰ったりもしましたが)滞在しました。
ちなみに、日本に帰っている間の家賃は、部屋に荷物などは置いていくので、半額の月500ドルでいいよと言ってくれました。
こういう融通が効くのは個人契約のいいところだと思う!
さて問題が起きたのはここからです^ ^
夏休みに一時帰国をしてアメリカに帰ってくると、日本人留学生のルームメイトが3人も増えてました!
2人は2週間、もう1人は3週間の短期の留学生の子達で、そんな話聞いてなかったのでびっくりはしたけど、3人ともすごくいい子ですぐ仲良くなりました。日本人と話す機会もなかなか少なくなってたので、嬉しいまでもありました🤍
しかし、3人が帰国してから、ママに急に話があると言われて
「 今までは長期の生徒が良かったけど、短期の子を受け入れてみて短期の方都合がいいと思ったから1ヶ月以内に別の家を見つけて引っ越して欲しい」
と言われました。
突然すぎてパニックになって、引っ越さなきゃいけない理由も理解できなかったし、どうしたらいいのかわからないままとりあえずわかったとだけ言って、それからはメンタルズタボロになりながら必死になって次の家を探しました。🤯
それからはデジャブかのように(人間不信なってしまう)パパもママも対応が冷たくなって、ママは特に家探しも手伝ってくれないし、理不尽に私を怒るようになったりで、私も気まずいので極力部屋に閉じこもっていました。
それでも、どれだけメンタルボロボロになっても私の周りには、優しい友達がたくさんいて、実際家探しを手伝ってくれたり、話を聞いてくれて、心配してくれて、大丈夫なんとかなるよ、最悪家なくなったらしばらく泊めてあげるから。などと本当にいろんな人に支えられて、助けられました。
家探し情報💡
家探しの時、私は基本 Craigslist, Nextdoor, Zillow, Apartment List, Facebook などのウェブサイトで 「room for rent」など検索して、 片っ端から漁りました💻
最終的に、学校からの距離もそんなに変わらない部屋が空いている、シェアハウスをCraigslistで見つけて、一件目の内見に行って、良さそうだったので(時間も迫っていたので)すぐそこに決めました。
家賃は月950ドルプラス光熱費月100ドルで少し高くなりましたが、なんとか1ヶ月以内に見つけられてすごくホッとしました🥺
ママは別れ際まで、変わらず冷たい態度でしたが、とりあえず今までありがとうという気持ちで引越ししました。新しい生活への楽しみの方がむしろその時点では大きかったです(超絶ポジティブ思考)🌟
そんなわけで今は、4人のルームメイトとシェアハウスをしています。🏠
ルームメイトとはそんなに話すことはないけど、みんないい人で無駄な気も使わないので、気軽にやっていけています。
とてつもなくロングストーリーになってしまいましたが、思い返すと2年間こんなに色んなことを乗り越えてきたんだなあと自分でも驚いています。
家探しの方法などもっと詳しく書けたのですが、知りたい方がいればコメントなどいただけたらいつでもシェアします!
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それではこの辺で!Aiでした!🩵
See you soon!!
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