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アイロニーが退路に

9月。地獄のように長く短い8月が爪を立てたまま去っていき、未だあちこちヒリついている。カサブタだけが残って俺にツケを払えという。制作に向かい集中する環境を整える程度には身体は動くが、不思議とこんな状況でもライブ活動に我ながら救われている。当然、自身に。下書きも書き続けていたら9月も半ば。老いて枯れるよ、すぐに。

音を「見る」ということに意識を向け過ぎたせいで、重量や質感デザインの勘所が鈍くなってしまった。突出した部分が見えると同時に弱点も見えるのは人間性にも同じことが言える。言えるよね?頼むよ。視点を変える速度と変える決断をする腰の重さと戦いっぱなし。こちとら弱点が一切弱点と思えない無駄に強靭なメンタリズム持ち合わせてんのよ。ハエがいなきゃ殺虫剤は進化をしない。

The BEGで名古屋公演。チケットはソールドアウト。またしても40分で8曲MC無し地獄セット。フロアはそこそこカオス。人酔いと暑さでフラフラになるまで飲む。フロアの人数が多いとそれ自体が今日のイベントの「型」になり、それに乗るか合わせるかは自由なんだけど、型にはめるというのは魂を変質させるということなので極端に振り切らず、宙ぶらりんを耐え続け、自分でいる為の体力が必要になる。ここ数回のライブでは本当によくCDが売れる。サブスクやってなくてごめんなさい。バンドで楽曲配信は様々な壁があるんとす。そすそす。ライブハウスの配信に関しての意見は、また自身の配信で垂れ流す予定なので野次馬根性に火が付いた方や胸焼けをご希望の方は是非。

大阪に戻るなり川西能勢口でサーキット。ソロの日は当然の様に飲み続ける。屋上へ侵入しインスタライブも敢行。大便のような画質と小便のような音質だったが、まぁそもそも音楽なんぞクソだし。出演者が多い日はこれまた人酔いするので早めにドロン。バンドでもソロでも人格がサーキットに向いていないので「思考を切り離す巨大な鋏」が枕元の靴下に入っている、そんな朝を待ち続けるしか、ない。

あること と ないこと がまぶしいように ぴったりだ。今の自分にクリティカルな言語野。誰かの必然と自分の偶然が重なれば生きた心地がするし、誰かの偶然が自分の必然になれば、整合性の奴隷となり制作へ向かえる。芸も術も出来ないし本当は文学も音楽も心底どうでもいい、というのにワンオーダーの口と鼻っ柱から出てくるものは言葉と音ばかり。これを興味や趣味と呼ぶには随分付き合いが長過ぎた。当然のことはつまり、それだけのこと。

優しさとは「付け足す」ことではないし、サービスとは悪戯に出目を奪うことではない。10月は名古屋でのソロ以外ライブが無いので配信でお会いしましょう。鼻を長くして待っていなさい。久しぶりってだけでブツクサ言ってりゃいいのよ。

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