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となりnote吐露

6月最終日。配信で何度か話した通り、6/25で個人的なTwitterは止め、告知宣伝を垂れ流す場所になる。アウトする箇所が常にTwitterという形で開いていた感覚があり、それは下書きも例外ではない。アウトするものをより濃くするため、より酷使するため実験的に閉じてみるというお話。わざわざ大便を眺めているような感覚に陥ってしまい、どの道Twitterを離れるにはちょうど良かったのだった。皆、人に興味を持っていて偉い。

6月は初のソロワンマンに向けて喉を初めて整えてみたり、また転がりだすバンドの速度に慣れる為スタジオワークを増やしたり、配信用にSonyのZV-E10を購入し、初めてカメラというものを勉強したりと色々とあったのだが、頭自体は早く回転はするもののトルクが無かったように思う。実際、曲は書けたが歌詞は手つかずな曲ばかり。最速で辿り着いても最適ではないような。自分へ色々詰め込むという事に対して最も恐れるべきリスクはこの「最適への誤解」なのかもしれない。

自分の発言が、他の誰かを殴る為の握りやすい武器になるのも本意ではない。し、想像以上に余裕のない人ばかりという事にようやっと気づいた。Instagramは愉しい。理由を書くと人格を疑われるので書かない。本当のことは誰にも言わないのだ。

6/25はバンドがまた転がるのを大変肉体的に感じた。企画内容もさることながら、何本もライブをしてきた私でも、イベンターの質感が伝わる日は問答無用で忘れ得ない。あの日を以って正規メンバーで活動再開を決めることが出来たこと。それがそのまま一日の価値になった。配信は無かったが動画を撮影した。少し短いものになるかもしれないが動画で少しだけ世間との輪郭を溶かしてみようと思う。動画コンテンツが好きでたまらない方はもう少しだけ我慢してみてください。

最近読んだインタビューで最も共鳴した。この危ういバランス感覚と「速度の速い正しさ」への適切な怖がり方。信じる事と信じている事の佇まいや与える印象の差に対する美しい警戒心。

引き続き頭の中で痒いほど沸いた言葉はどうしてもここへ置いていこうかと思う。何人の誰の共感でさえ、何の救いにならない。そんなモノほど価値があるような気がしている。

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