Personal Grievances of 9-11 ー20年経っても収まらない怒りがあってだな
なんだかんだ言ってもう20年も経つんですね、9-11のあの日から。これまでにも何度か節目にあれこれ書いてきたはずなんだけど、やっぱり薄れない記憶というのはあって。でも生々しい歴史の証言的な番組はあちこちでやっているので、興味のある人はそっちを見ていただくとして、とりあえず個人的に吐き出したくなったことだけ書いておきます。
私自身はたまたまあの日は数ブロック先のウォール街の高層ビルという、普段は寄り付かない場所にいたわけだけど、歴史に残る大事件といっても、近くで実際に目の当たりにすると、わけわからなすぎて「テレビをつける」ということにさえ思い到らなくて。そういう意味では、日本で夜のニュースを観ていた人の方が2機目が突っ込むところを生中継で観てたりして、怖い思いをしたと思います。
そして金融界で働いている友人知人もそんなにいなかったので、幸いにして直接の知り合いであの場で亡くなった人、というのはいません。ただし、たまたまその日は2人とも朝早く出社しなかったので使った、富士銀行で働いてた夫婦とお茶仲間だったとか、元カレが向かいのビルで働いていて人が落ちてくるの見てトラウマになっちゃったとか、たまたまフェリー乗り場まで車で送ってくれるハズバンドがその朝だけヒドい下痢でトイレから出てこなくて遅刻して助かったとか、ずっと銀行系の仕事してて1983年のテロ(地下駐車場で車を爆破させたけど煙が上階に登った以外はあんまり被害がなかった)の時も、9-11の時もワートレにいたけど、自分で判断してさっさと避難して助かった豪傑女とか、そういう知り合いはいます。
たまに今も「あの時、近くにいたんですって?」って話になって、一通り体験談を披露したりするんだけど、私はどうやら「非日常的な状況になると、キモがどーんと座る」タイプらしく、3-11の時もたまたま東京にいたけど、終始冷静でした。そのくらい図太くないと、ニューヨークに何十年も平気で住めないだろうしね。
ということで、20年も経つとさすがに、悲しいとか心が痛むということもなくて、考えてみればニューヨークでもコロナでもっともっと多くの人が亡くなったわけだし、ニューヨーク、ペンタゴン、そして国会議事堂を狙っていたけど乗客の命がけのコックピット突入で墜落した1機での死者を合わせて3000人ぐらい。
とりあえず、当時のあまり知られていない汚点などをほじくり返しておきます。これだけは忘れないぞ。私はまだ怒っているんだぞ。
当時は、未曾有の大惨事に健気に立ち向かう、みたいなポーズで、ルディー・ジュリアーニ市長が「アメリカ国民みんなの市長さん」ってもてはやされたけど、私はおまいの正体は最初っからお見通しだよ、って話な。コイツときたら、
・ニューヨーク市に有事の際の対策本部を設けるのに、テロとなったら狙われやすいって誰でも気づくはずの金融街の一等地に構えていたから、維持費高いし、当日爆風の影響でその対策本部が機能しなくなった。
・普通の火事ならスプリンクラーが機能して防げるのが大前提だし、あそこまで大規模の火事は、消防隊がホース抱えて上階に上っても消せない上に、ビル崩壊の危険性があると警告した建築家もいたが、御構い無しに消防隊を出動させ、約300人が亡くなった。
(当時はビルから落ちてくる人とか、ビル倒壊の瞬間とか、派手なビジュアルの映像が日本のマスゴミではループで再生されてたけど、私が戦慄を覚えたのは、倒壊後のススだらけのところで、人の姿はないのに、笛のような音がいっせいに何十個もピーピー鳴り続けている映像ね。(YouTubeで探してももう出てこない)なぜかというと説明がいるんだけど、FDNYの消防隊員って煙に巻かれて一酸化中毒で失神したとか、何かに挟まれて動けなくなったとか、体が一定期間動かないと、防護服につけたモーションセンターのアラームが鳴り出す仕組みになっているのね。仲間が助けに来られるように。かなりの高温に耐えられるように作られていたであろうそのアラームだけが、人影のないところで何十個も鳴り続けている、不思議なあの光景。後は察してくれ、書くのも切ない。)
・機能しなくなった対策本部の代わりに、現場で働くファースト・レスポンダーの人たちの寝泊まりに使ってくれと、提供された近くの高級ホテルに、当時の愛人(略奪婚の末、大いに揉めて泥沼離婚した)としけこんでいた。
コイツらセレブぶりやがって↓
そしてかつてのヒーローだったジュリアーニは3度目の離婚でクビが回らなくなり、トランプの個人弁護士になって、公聴会でオナラしたり、フォーシーズン・ホテルと間違えて造園業の駐車場をブッキングしたりして、弁護士資格を剥奪され、そろそろかつて自分がトップの検察官として率いていた南部地区連邦地方裁判所からめでたく訴追される予定w
そして当時大統領だったバカ息子ブッシュ。子どもたちに本の読み聞かせをしている最中に「アメリカが攻撃されました」って耳打ちされて、しばらく反応できないでボーッとしているおバカぶり。
2000年の大統領選挙で、接戦だったフロリダ州、結局最高裁判所が味方してギリで当選したブッシュ。早速アフガニスタンに宣戦布告、上下院の議会もたった1人を除いて大統領に戦争を始める権限を与えてしまった。サクッと攻撃してサクッとやめるのかと思いきや、副大統領だった超タカ派のチェイニーに丸め込まれて、関係のないイラクにまで攻め込みやがった。
そして20年。戦争大好きの共和党と、兵士の疲弊を鑑み、終戦した民主党の大統領がやったことがこれ。
オバマ…アフガニスタンに匿われていたウサマ・ビンラディンを討ち取る。
トランプ…軍事費をケチってタリバンと交渉、結局見返りなしにタリバンの捕虜5000人を釈放したものの、軍を引き上げるとか言いつつ、具体的なことは何一つしないで任期終了。
バイデン…反対があるのは承知で、米軍の全面撤退、12万人ものアメリカ国民、米軍に貢献したアフガン人を引き上げる。
今、振り返ると思い出されるのは、アメリカ人があんなに一体感を感じたのはあの時が最後だったな、っていうこと。普段、田舎の人たちはニューヨーカーに冷たかったりもするんですが。
それが20年後には、海外のテロリストじゃなくて、国を2分するほど赤と青とで仲違い。あの日には自分の命をかけてコックピットにいるテロリストたちをやっつけた乗客たちがいたのに、今ではマスクをつけるつけないで機内で大暴れ、CAに暴力ふるってんだからね。20年前は国会議事堂に突っ込もうとしていた飛行機を命がけで守ったのに、今は赤い野球帽被ってその国会議事堂に乗り込んで副大統領を首吊りにしろ、とか言ってたわけで。
もう南北戦争再勃発?みたいな雰囲気になっちゃって、この20年何やってんだか? 少なくともベトナム戦争の時は、徴兵制度があったから、いつ自分が戦場に駆り出されるかわからない、人ごとじゃない戦争だったから、国内の世論が分かれていたけど、アフガン戦争の場合は全員、志願兵(それも学力や財力のない貧困層が行かされる仕組み)で、一部の軍人がなんどもなんども召集されて、言葉もわからない、その国の文化に敬意も持たずに戦争してくるという地獄のサイクルだったわけだ。
何はともあれ、その戦争が終わったのはいいことだと思いたいんだけど、20年経ったら、国内で第2の南北戦争しそうな雰囲気で、アル・カーイダの代わりにコロナに蝕まれているわけですよ。疫病でもテロでも、なんかわかんない恐ろしくて不安な状況下に置かれると、人間なんとなく強そうなリーダーがいると安心するわけだが、アンドリュー・クオモ州知事のように、頼りになりそうな人物に判断を委ねる前に、本当にそんな人に任せちゃって大丈夫?みたいなことを検証しなくちゃいけないし、実際にテロとか、地震とか、洪水とか、コロナとかに脅かされる状況になったら、自分で自分の身を守るしかないんですよ。なんだかんだ言って、こうやってのうのうと生き延びちゃってる私の言うこと、説得力あるでしょ?w
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