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“諦観“と“捉えかた“で現実を変える

この世界は自分の心の投影だと言われています

自分が認識してるものしか捉えることができないのは事実なので
本当にそうなのだと思います

ということは、
自分が現実を創り出して自分で体験してる
と言えます

辛い経験には
そんなこととても言えたもんじゃないけど
“体験する“ことを目的に私たちは生まれてきたのだとしたら
それもストーリーの一つなのかな、なんて思ったり、、、

人との別れは自然の摂理
災害も自然の摂理

人間の視点から見れば
理不尽で悲しくてやりきれないことも
“自然界“ “宇宙“ というマクロな視点から見れば
すべてはバランスなのかも、と思う

起こった出来事に対して
悲観する、逃げる、混乱する、、、、
反応はさまざま

いずれにしても
起こったならば無いことにはできないし
まだ起こってないことならばジタバタしたって仕方ない

目の前にある現象が心の投影であるならば
“私“の捉え方で意味は変わる

悲劇が起こった、と捉えるとただ辛いだけ

悲しんだり苦しんだりの体験も大切だけど
ただ辛いだけ

だから
なるべくマクロな視点を心がけたいなと思う

私たちは自然の一部
大きな全体の小さな一つのパーツみたいなもの

大きな全体で起こることに対して
いったい何ができる?

できることを考えて、それをやる
すると心が少し落ち着く

できないことはできないのだから
諦観するしかない

私たちは私たちにはどうすることもできない世界に生きてる

私たちができることと言ったら
目の前にある些細なことへの対処のみ

だけど心は無限を秘めてる
捉え方を変えて
見る世界を変えることができます
すると体験する事柄が変わってきます

悲劇となるか
得難い体験となるか
心次第、と考えています

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