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脊椎側弯症 part1

初note投稿してから、iPhoneにnoteのアプリを入れました。

暇なときに、いろいろな方のを読ませていただきまして、自分ももうちょっと書いてみるか、と気持ちになったので、2つ目を書いてみようかと思います。

他の方のをみると日記とかが多いんですが、日記を書いてしまうとどんな職業なのかとか、いろいろとばれそうなのでやめます。

学生だった時に気にすべきは個人情報だけだったのが、社会人になって、会社のこととか、気にしないといけないことが多くなって「これが大人か~」という気持ちです。
悲しい。

かといって、私は非常に凡な人生しか歩んでいないので、特に人様に向けて書くこともなく。
でも、noteなにか書きた~いっていう、自己満足記事です。

なにを書くかいろいろと考えた結果、唯一自分の経験の中で特異であろう、脊椎側弯症について書きます。

長くなるのでpart2まで書く予定です。
よろしくお願いします。

`《2022年12月加筆修正》
意外とこのnoteへの反応が良くて、もっとちゃんと記憶を辿ろうと思ったので親に当時の日記を見せてもらいました。

意外と自分の記憶があいまいな部分があったので修正させていただきます。
10年も前の出来事なのでぼんやりとしててごめんなさい。
後日談が混ざっている話になるので読みにくいと思います、文章力のなさを恨みます。




このnoteにたどり着く人はきっと少ないと思いますが、インターネット上の情報量は多ければ多いほどいいと思うので、いつか誰かの役に立つとうれしいな、という気持ちもこめて書きます。


命に今すぐかかわるような重篤な病気ではないけど、個人的に人生で一番記憶に残る出来事でした。
医学に関して全くの素人なのですが、素人なりに側弯症に関する論文とかはごくごくたま~に読んでみたりするくらいには、自分の人生を左右した出来事です。

私が治療した、2014年当時の経験を書きます。
もしかしたら、もっと医療の発達等に伴って状況は変わっているかもしれません。ご了承いただければ幸いです。
個人的には、むしろそうだと嬉しいです。
また、医療関係者では全くないので、専門の方からすると「???」という場合もあるかと思います…。


脊椎側弯症って?


そもそもこの病気ってなに?原因は?治療は?
という一般的なことを知ってもらえたらと思います。

いままで数え切れないほど、「けがしたの?」と勘違いされてきてて、毎回「背骨が曲がる病気なんだよね~」と答えてきたんですよね。

学校の定期健診の項目になっている病気だし、認知度が高いと勝手に思っていたんですけど、意外とそうでもないらしいんですよね。
定期健診のとき、「先生の前で手を合わせてそのまま前かがみになる」というのがあったと思います。これはこの病気の早期発見のために行われています。

ここより先、側彎症学会のHPより引用していきます。
かわいいHPですね。
読みやすいのでぜひ。


ちなみに、「側弯症」または「側彎症」が正しい表記で、「側湾症」は誤記です。


側弯症とは

脊柱を正面から見た場合に、左右に曲がっている状態を脊柱側弯症といいます。
弯曲の大きさは、上下で最も傾いている背骨どうしのなす角度 (コブ角)で判断しますが、この角度が10°以上であるものが側弯症です。

https://www.sokuwan.jp/patient/disease/index.html

レントゲンを撮れば一発でわかります。
まっすぐなはずの背骨がS字にぐにゃっと。

確か自分がはじめてレントゲンを撮った時、60°とかだったような気がします。
このレベルにくると、身体見るとわかるんですよね。
背中の左右の筋肉の付き方、ウエストの位置、肩の高さetc…

水泳の授業とか、結構精神的にきついんですよね。
別に誰も気にしてないってわかるんですけど、左右の不均等感が変じゃないかな、とか勝手に思っていました。


原因

特発性側弯症
特発性とは、原因がわからないこと、を意味し、側弯症のうち80-85%を占めます。

年齢による分類
①乳幼児期側弯症:3歳以下で発症し、男児に多いです。
②学童期側弯症:4~9歳に発症し、進行する例が多く見られます。
③思春期側弯症:10歳以降に発症し、多くは女子です。

https://www.sokuwan.jp/patient/disease/cause.html

原因のわからない特発性側弯症以外にも、神経や筋肉の病気の影響で起こる等、原因が判明している側弯症もあります。
原因がわからないとはいっても、遺伝子が関係しているのではないか、と言われています。

私は、特発性の学童期側弯症です。

学校の健康診断項目に入っているのは、若いうちになりやすい病気だからなんですね。

私は幼稚園の頃から若干曲がっており、中学生ごろに目に見える速さで進行していきました。
中学生のころに親とプールに行って、気づかぬうちにあまりにも進行しており、陰で親が慌てていたのを覚えています。


治療

医学的根拠のある有効な治療法は、装具治療と手術治療です。側弯症の程度や年齢などを考慮して、以下の方法を選択します。

1.装具をつけない経過観察
成長期に側弯症が25°未満の軽いカーブの場合は、定期的なX線検査と整形外科医による診察を受けることが大切です。進行した場合は装具治療に移行します。

2.装具治療
一般的に側弯が20°~45°程度の中等度の側弯症の場合は、進行防止のために装具治療を行います。装着時間が長いほど効果があります。
成長が止まり、骨が成熟して側弯の進行もなければ、徐々に装具装着時間を減らし、装具治療を終了します。

3.手術治療
高度の側弯症を矯正し進行を防止できる唯一の方法は手術です。リスクをゼロにすることはできませんが、現在では適切な予防や対処も行われ、手術治療の安全性が向上しています。

https://www.sokuwan.jp/patient/disease/treatment.html


1.装具をつけない経過観察の状態ってつまりは、「進行しないように祈る」という一番もどかしい段階ともいえるような気がします。

2.装具治療はかなり大変だと思います。
側弯症の装具って、最大で鎖骨あたりから腰の下の方まで覆う、硬いコルセットみたいなものです。
単純にめんどうだし、汗かくし、これをしたからといって治るわけではないんですよね。
あくまで「進行防止」です。

3.手術治療が唯一の矯正法です。
背中周辺をいじるので脊髄も近く、もちろんリスクはあるのですが、日本全国さまざまな先生がさまざまな方法で手術してくださいます。


ちなみに私は中学生になって一気に進行して、その時にはじめて病院に行ったので、残念ながら、上記1、2の状態をすっとばして3でした。
それまではずっと整体に通っていました。詳細は後述します。



私の経験


ここからは私の経験を書きます。
何が正しかったのか今でもわからないのですが、とりあえず当時の状況とその時の気持ちを羅列します。

時系列まとめ

幼稚園生~2013年夏     :病気発覚~病院へ行くまで
2013年秋~2014年3月  :手術決意~入院前日

以下はpart2で書きます。
2014年4月~2014年5月:入院~手術~自宅療養
2014年5月~現在    :術後の日常生活

病気発覚~病院へいくまで

幼稚園生の頃~2013年夏ごろまでの出来事です。

先ほどちょっと書きましたが、実は幼稚園くらいから背骨は曲がっていることはわかっていました。
親も軽度の側弯持ちだったので、その影響で背中を見ていたんだと思います。

当時は、病院には行かず、整体に通っていました。
※ちなみに、全く医学的根拠のない治療です。

結構痛い整体で、首を上に引っ張る、という施術でした。
骨がごりごり言うし、痛いし、大きい大人4人がかりで施術されるという大掛かりなものでした。

5年以上行きましたけど痛いこと、大人に囲まれることが怖くて、いまでも「整体」と名のつくところへはいけません。
トラウマになってしまって、整体という場で背後から整体師に触られるだけで涙出ます。
本気で一番近寄りたくない場所NO.1です。



2013年夏、家族でプールに行ったんですよね。
水着になった時に、親はかなり驚いたようです。
さすがに看過できない、と直感的に思うレベルに曲がってしまっていたようです。

大きくなったらお風呂一緒に入ったりとかもないし、意外と気が付かないですよね。
もちろん私本人も気が付きようがないですし。

帰ってすぐ、親は病院を探していました。
ただの整形外科ではなく、大きめの病院には「脊椎側弯症専門外来」というものを設けているところがあります。

ありがたいことに私の住んでいる地域には総合病院がいくつかあり、その中の1つであるA総合病院を予約しました。

このA総合病院は
①西日本では権威とされる某大学病院Bへ紹介状を書いてもらえるルートをもっている
かつ
②月に数回の側弯症外来では、某大学病院とはまた別の病院Cからいらっしゃる専門の先生に診てもらえる
という2つのメリットがありました。

※ちなみに、当然大きい病院は平日しかやっていないので、ここから学校をちょいちょい休み始めます。中学2年生の義務教育期間内で良かったです。欠席多くても学年はあがれるので。

近くのA総合病院の側弯症外来に行き、そこで私は初めてレントゲンを撮りました。
撮った後に、病院Cからいらっしゃる専門の先生による診察がありました。

ここでの出来事、私は完全に忘れていました。
というか、辛すぎて勝手に記憶から消えていた、という方が正しいと思います。
ここから書くことは親から聞いたことです。

診察室に入って一発目に
「なんで今まで病院に連れてこなかったんですか、この子は早死にしますよ。」
と言われたそうです。

その場で私は号泣、親は怒ってろくに説明も聞かずにすぐ退散しました。

私は、この横暴な先生の後ろにいらっしゃった、A総合病院の先生の申し訳なさそうな雰囲気だけは覚えています。
A総合病院の先生は優しい雰囲気に包まれていて、きっといい先生なんだろうなと思ったことも覚えています。

私は、なんであのきつい言い方をした病院Cの先生を完全に忘れて、その後ろにいらっしゃる癒しのような先生の雰囲気だけ覚えているんですかね。
皮肉にも人間の記憶とはよくできているものですね。
患者とその親を目の前に、早死します、なんて常識的に考えて理解の範疇超える言葉です。
全く記憶にはないけれど、この話を親に聞いてずっとイライラしています。

このとき、あまりにも何の説明も聞かずに退散してしまったので、その後、親が一人でA総合病院に行ってくれていたようです。
A病院の先生は、「あのときはごめんなさい、この先生の治療を受けることはないと思うので、大学病院Bの紹介状を書きます。」と親に言ったそうです。
優しい先生、というわたしの曖昧な記憶は正解でした。





その後、秋ごろに隣県の大学病院Bに行きました。
ここで、もう一度レントゲンを撮り、診察室に呼ばれました。

「手術、いつにします?手術室埋まっちゃうんで、早めに決めてもらえるといいんですけど。来年の夏休みとかだと都合いいですかね。」

この、先生の第一声は今でも覚えています。

内心、手術からは逃れられないとわかりつつも、どこかで、他の方法がないかな、と淡い期待をしていたんですよね。
その気持ちを踏みにじるように言われた言葉で、ひどく落ち込んだことを覚えてます。

この大学病院Bの先生のことはよく覚えてるんですよね。

ちなみに、最初のC病院の先生なんかよりはまだマシな人だと思ったけど、冷たい人だとも思った、と親は言っていました。


将来医療関係の職業に就く人には強く言いたい。
こんな患者を落ち込ませる先生になってほしくない。
手術の腕はいいのかもしれないけれど、病院に来る人達はたいてい不安な気持ち、マイナスな気持ちを抱えて、つらい現実と向き合おうと頑張って来ていることを忘れないでほしいですね。

個人的なこの先生たちへの恨みでした。




手術してもらうならもっといい先生がいるはず、と探して見つけたのが今の主治医です。
東京の先生で、全国の手術室を借りて手術してくれる先生です。

東京へ行き、レントゲンを撮ったあとの診察が印象的でした。
いろいろと詳しく説明してくださいました。
なぜ手術が必要なのか、なぜいまのタイミングである必要があるのか、手術の方法、などなど。

その診察の日、たまたま
「手術後3週間たって退院したての女の子とその親」と「手術を決意し、日程まで決まっている女の子とその親」が病院に来てました。

先生は、不安ならこの子たちに話聞いてみるといいよ、と言ってくださいました。

この日、初めて側弯症仲間ができました。
歳も近い女の子で、術後はどうだったのか、などなどたくさんお話をしました。連絡先も交換しました。

どちらにせよ手術するんなら、寄り添ってくれる先生がいい、と思いこの先生にお願いすることにしました。




最終的に手術を決意してますが、当時中学生の私ができれば手術をしたくないと思った理由は
①部活をやめたくない
②長期間学校を休みたくない
この2つです。

①私は当時バドミントン部所属でした。別に強いわけでもなんでもなかったんですが、部活自体は結構楽しくやってましたし、どうせやるなら上手になりたいな、と自主練してたりしてました。中高一貫で、受験もなかったですし。
手術をすると、術後2年は運動禁止と言われていました。
手術をするのがどれだけ早くても中学3年であること、部活の引退は高校2年生の2学期であることを加味すると、ほとんど部活ができなくなってしまうんですよね。
それがひたすらに嫌でした。


②手術にあたって、術前に何回も病院に通わないといけないですし、手術で約1ヵ月入院+3週間自宅療養が必須でした。
学校が楽しかったのもありますし、授業を単純に2か月弱受けられない恐怖もあって嫌でした。(結構真面目)


命にかかわるものではないというのもあり、上記のような葛藤ももちろんありましたが、将来歳をとった時のこと等も考えて、仕方ないよね、と言い聞かせて手術することにしました。
どうせ手術するなら大学生になって休学してからがいい、とかいろいろ思ったんですけどね。
意外と、あきらめがいいというか、現実的な性格のおかげですね。

親にはあっさり手術受け入れてるように見えていたらしいです。




手術決意~入院前日


手術日が2014年4月に決定してから入院前日までの間、つまり2013年冬ごろから2014年3月ごろまでに、東京2回(?)と手術する病院5回(?)ほど通ったと思います。

主治医は東京なのですが、私の当時住んでいた県内の大きな病院の手術室を貸してもらって手術してもらえることとなりました。
県内と言えども、家から車で1時間半はかかる場所ですが、東京よりは近いのでありがたかったです。

東京の病院では、
MRI、CT、レントゲン、肺機能検査等々を受けたと記憶しています。
あとは非常に具体的な手術の説明を受けた記憶もあります。

手術する病院でも
MRI、CT、レントゲン、肺機能検査等をやりました。
全く同じだな~と思いながら受けてました。

手術をする病院の方が通った回数が多いのは、手術前の自己血貯血のためです。

事前に、手術による出血が大量になる可能性があると分かっている場合に、自分の血を抜いて保存しておいて、術後に輸血する、というのが自己血貯血の目的です。

400ml×3回の1200ml保存した記憶があります。

貯血が予定されている日はポカリスエット400ml飲み干してきて、と言われていたので、行きの車でひたすらにポカリを飲んでました。
病院についてから採血を行い、貯血しても問題ないのか検査してもらいます。
その後、点滴を数十分です。生食だったのかな……。詳しくないのでわからないのですが、透明の液体だったと思います。
点滴を落としきったら、貯血用の血を抜きます。

当時運動部だったおかげで、血が勢いよくとれて早いね!褒められた記憶があります。うれしい。
そのあと、貧血の薬の注射などなどいろいろ入れてもらい、休憩をして帰宅です。


ちなみに、中学2年生の体に1回400mlの貯血はかなりきつく、次の日も学校を休んでいました。

毎週火曜日貯血、水曜日は貧血で欠席だったので、音楽の授業を最後3回くらい全く受けられなかったのはよく覚えています。
また、インフルエンザになるとすべての計画が狂うので、今のコロナ対策並みにとっても気を付けた記憶もあります。


入院前日まで部活に行くつもりだったのですが、入院日程が突如1週間早まり、絶望して大号泣したこともよく覚えています。

最後の部活の日、部活後に先輩方と同期とカラオケにいってお守りとかもらいました。今でも大事にとってあります。


そんな感じで思い出話ひたすら語ってきましたが、手術まで意外と早く時間が進むんですよね、時は残酷というか、必死過ぎて時間の流れを考える暇もなかったのか…という感じです。


Part2では、入院~手術~自宅療養でのこと、その後の日常生活などを書いていきたいです。

note欲があるうちに続きを書き始めないと、永遠にpart2が出ないかもしれないんですけどね…。
出なかったら察してください。


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