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名前を変える権利が欲しい。自分の名前を変える権利がないのが憲法違反であってほしい。
俺の本名がキラキラネームってわけじゃない。嫌いなわけでもない。
むしろいい名前を付けてもらったと思っている。
でも年齢が上がれば周囲の感性がより大人に近づいていき、その大人になった感性は僕の名前に向けられる。
例えば、「翼」とか「将太」とかは小学生から中学生くらいにかけては自然に思えるし、もはやかっこよくもある。ただ、60歳の翼、60歳の将太は食器のサイズがあっていない時のようなむずむずした感覚がある。
だから僕は20歳になったら「壮平」にしたい。壮平なら60歳でも90歳でも戦える気がする。
でもさ、俺は青松輝という名前の人間を知っている。「輝」という字は少し若くも思える、確かに「あきら」という読み方はいい感じに渋いが、輝いてしまっているのが若干若い気もする。でも彼の歌集の表紙に載る青松輝の字面は様になっていて、実際中身を読んで、こんな短歌を詠む人間だと知ると、彼の名前は青松輝しかありえないんじゃないかと思うくらいぴったりと収まる。
俺もそんな風になりたい。名前を変えたいといったが、違うかもしれない。俺は俺の名前が似合う人間になりたいのかもしれない。
ただ、ネーミング・ライツはあってもいいだろう。
青松輝の歌集「4」は買ったのですが、諸事情で自分が撮った写真を載せられないので、サムネイル画像はナナロク社の公式ページから引っ張ってきました。
→https://nanarokusha.shop/items/64d895c8808e2c5c2a8dcd87