水底の夜
雨あがりが好きだということは、つまり雨が好きだということなのだろうか。
時々、歩きタバコの煙にぶつかるとき「ああ、魅惑的な香りだな。」と思ってしまうけど、ずっととなりでふかされてはたまらない。
髪やら衣服やらに染み込んでしまった香りには嫌悪感しかわかなかった。
それなのに一瞬でも誘惑されてしまう、タバコのことはちゃんと嫌いなのだろうか。
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昨夜からの風雨はすごくて、1年ぶりの記録的なものだったらしい。
いまはすっかり雨もあがり、風もなくて、ほどよい湿度と体感のない絶妙な気温。とてもいい夜だった。
ちぎれはじめた雲のすき間からは月の気配が感じられる。
ひとつ先のコンビニまでの道のりはしんと静かで、自分が歩いた分だけの耽美な風が作られた。
深い水の底みたいだなと思ったのは、きっと無風のせいで大きな水鏡となっていた田んぼのせいだ。
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街灯のLEDは突き刺すようにひときわ輝いていて、太陽でもないのに紫外線のようななにかに焼かれる錯覚を覚える。
日傘を持っていたら、思わず広げてしまったかもしれない。
桜の季節に散歩をしたときに、枝先の街灯のまわりだけは花が少なかったことを思い出した。
きっと桜もまぶしくて眠れないのかな。それとも夜を許さない強い光から離れたかったのか。
律儀に咲いて健気に散っていくソメイヨシノにも嫌悪感があるのかもしれない。
生きているんだなあと思った。
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たどり着いたコンビニのなかをぐるぐるまわって、パイナップル味のひときわやわらかいグミを買った。
なんとなくグミは特別なものとしていて、新幹線か高速バスの車中でしか食べないことにしていた。遠くに行くときだけの非常食。
それを買ってしまったのだから、今夜の散歩は旅路になった。
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帰り道にさっそく口に放り込んだ。いまははるか彼方の懐かしい夏の味がする。
雲は流れてほんのり欠けた月が浮かんでいた。グミみたいにまるくてやわらかそうだった。
その右上には明るい星があって、きっと有名な名前がついているんだろうなあ。月に寄り添っているようでちょっと羨ましかった。
いくらか離れていたっていい。そっと寄り添うことを許されたらいいのになと思ったのは、少し冷えてきた指先のせいだ。