東京のいたずら
「好きだったひと」
ときいて、どんな関係を思い浮かべるのかは、そのひとの状況次第なのだろうか。
それとも、いま読んでいる本の影響だろうか。
やっぱり、忘れられない恋が基準かな。
週末の山手線のざわつく駅前。
そこから一本入ったひと通りの少ない路地の2階の定食屋で、ぼーっとアイスをつついていた。
カフェで友人と別れ、帰って料理をする気力もなさそうだと早々に判断し、夕飯をすませることにした。
と、言うのは建前で、本当は期間限定の金柑のパフェがずっと気になっていたためだった。
パフェのために定食を食べたといっても過言ではない。
意外としっかりした柑橘特有の渋みのある種にひるみつつ、無事に任務を遂行してレジに向かうと、急にドキドキしてくる。
まさしく胸騒ぎといやつだ。
昔好きだったひとにとてもよく似たひとが、レジの一番近くの席にいた。
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似ているというか、限りなく本人に近い。
ただし、当時のアウターやリュックの面影はなく、とびきり変な財布を使っていたことしか思い出せなかった。
セーターからのぞく白いシャツの雰囲気は、アリかなあ…、髪型もちょっと伸びたくらいでそれっぽい。
そんなことに思いをめぐらせているうちに会計を済ませてしまった。
例の彼もごそごそと黒いダウンを着込んでいる。店を出るようだ。
話しかけたところで、万が一本人だったとして、だからなんだと言うんだろう。
とっさにしぐさひとつも思い出せないくらい、記憶の彼方のひとになっていた。
もしかしたら、もともとなにも覚えていなかったのかもしれない。忘れられないほどの距離にいたのかすら、もうあやしかった。
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店を出てガラス戸の向こうで会計中の彼を未練がましく見上げると、ふとこちらに振り返った。
慌てて柱の影に隠れるように踏み出し、そのまま駅に向かう。
目が合わなくてよかった。そう考えながら歩くペースはいつもよりもずっと速かった。
なにから、離れようとしてるのだろう。
なにを、振り払おうとしたのだろう。
たくさんのひとが山手線に乗ってぐるぐるしたりしなかったりしてるのに、東京ではときどきこういうことが起こる。
油断していると「まあ、やろうと思えばいろいろできるからね。」といわんばかりに、ざわざわするいたずらや、運命と勘違いしてしまいそうなめぐり合わせを投げかけてくる。
東京には気をつけて。
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早足のまま改札を抜ける。
駅のホームからは、高く小さな月が見えた。
次は、あのひとに会わせてくれませんか。
いつもお読みいただきましてありがとうございます。