「なりきりチャット」を家族LINEでやった話 by 紫原明子 @akitect
本因坊秀策から電話がかかってきた
ある日私のスマホにLINE通話がかかってきて、発信者を確認すると液晶には「本因坊秀策(ほんいんぼうしゅうさく)」と表示されていた。
(……だ、誰)
そんな名前の知り合いはいない。恐る恐る出てみるとすぐに「あ、お母さん? わたし~」と聞き覚えのある声。本因坊の正体は、ほかでもない私の中2の娘であった。
本因坊秀策は江戸時代の偉大な囲碁棋士だそうだ。最近囲碁にハマりだした娘は本因坊を崇拝するあまり、LINE上で本因坊秀策と同一化してしまった。
これだけ言うとあたかも私の娘が少し独特な子のように思われるかもしれない。
しかし思えば娘は小学生時代、まだ囲碁と出会う前には、ひょんなことからすっかり織田信長に心酔したことがあった。
幼少期の信長が乳首を唯一噛まなかったと言い伝えられる乳母の名前まで記憶しているほどで、案の定、当時の娘は、クラスメートたちから「信長」と呼ばれていた。
授業参観に行くとナチュラルに男子から「おい、信長」と声をかけられていた。対して娘は「はーい」と屈託なく返す。
親の私が言うのもなんだが、相当に独特な子どもなのだ。
そんなわけなので、彼女が本当にしたい話ができる友達、興味や関心を、同じレベルで共有できる友達というのは、身近にはなかなか見つからなかった。
そこで我が家では娘が小学5年生の頃に満を持して、ネットの友達作りを解禁したのである。
たとえ半径数メートルの世界で友達が見つからなくても、インターネットの世界に出ていけば間違いなく沢山見つかる。個性的な子には良い時代だ。
しかし一昔前のように、mixiコミュニティに入りさえすれば友達が作れるわけではなくなってしまった今、ネットで友達を作りたい人たちはどうしているのかというと、Twitterで出会うらしい。
好きなジャンルの専用アカウントを作って、同じような趣味を持つ人をTwitter検索やハッシュタグで見つけて、フォローし合う。
その中から、特に気が合いそうな人とはLINEで話をする。
“ネッ友さん”(ネット上の友達のことを今の子どもはこんな風に呼ぶのだ。どこかむずむずする)の解禁によって、娘の趣味の世界は加速度的に広がった。信長だけに留まらず、ある時期からはアニメの世界にも食指を動かし、順調なステップバイステップで腐女子化も果たした。
国を擬人化した某アニメにもハマり、とんでもなく世界史に詳しくなったりした。
LINEグループで花開く「なりチャ」の世界
そんな娘からあるとき「なりチャ」というカルチャーがあることを聞かされた。
なりチャというのは「なりきりチャット」の略で、自分の好きなアニメや漫画のキャラクターになりきった人同士でチャットを楽しむ遊びらしい。
私は全く知らなかったのだけど、実はその歴史はかなり古く、私達がかつてジオシティーズとかロリポップ!なんかのウェブサービスを使って個人ホームページを作っていた2000年代初頭。
Welcome to my homepage という文字列を、画面右から左に無駄に流したりなんかしていたあの頃から、一部の人は自身のホムペにチャットルームを設置し、来訪者と「なりチャ」を楽しんでいたらしい。
ところが時代とともにホムペカルチャーが終焉を迎えた今、なりチャの舞台はLINEへと移った。
前述したようなプロセスでTwitterで仲間を見つけ、彼らとLINEグループを作り、なりきりチャットが行われるというのだ。
中には自分の作ったオリジナルのキャラクターで行われるなりきりチャットもあるそうで、それは「オリキャラなり(チャ)」などと言われるらしい。
キャラクターの細かい設定はLINEグループのノート機能に各自書いておく。これをキャラシート、略して「キャラシ」という。
また会話だけで場面を展開させるのは難しいので、会話と会話の間に(……そこでアキコは静かに席を立ち、ドスンドスンと足を鳴らしながら教室を出ていく)というように、行動を表す描写も入れる。これを「ロル」という。
な、なんと高度な遊びなんだ……!と、娘からはじめてなりチャの詳細について聞かされたときは、戦慄した。
私なんか、最近ではもはや1時間前に会った人の名前を覚えることさえ難しくなってきているというのに。LINEアイコンの顔と名前を一致させ、そればかりか各キャラクターの細かな設定まで把握して、即時的に話を展開させていく。
遊びとは思えぬ情報処理力を必要とする。
しかし娘はもともと、自分の作り出したオリジナルキャラクターへ、そこはかとない愛情をもっていたため、オリキャラなりチャの世界にみるみるはまっていった。ある時期、あまりにも入れ込みようがすごいので、果たしてこのままやらせ続けて良いのかと悩んだ。
というのも、その頃にはとうとう娘がホストとしてなりチャを主宰したりするようにもなっていたからだ。ところが当然人の集まるところには軋轢があり、“ロルが雑”とか“空気を読まない”とかいう理由で、メンバー間でしばしば問題が生じる。
当時小学6年生(でも、メンバーには高校2年生と伝えていたらしい)だった娘は、しばしばその対応に追われるようになっていた。
スマホを片手に塞ぎ込む様子も見られ始めた娘に話を聞くと
「揉めたからって途中からルールを決めたら、一人の人のそれまでのやり方を否定することになるよね」
「○○さんの発言はたしかに言葉足らずだけど、私はそこまで責めるほどじゃないと思うんだよね」
と、こちらの思う以上に本質的な問題と対峙していて、しんどいながらも、ものすごくいい経験を積んでいた。だから、すぐにやめさせずにそのまましばらく悩ませてみることに決めた。
まさかの「家族なりチャ」が開幕
そんな最中、私と一緒に娘をサポートしてくれたのは、2年ちょっと前に我々家族にゆるやかにジョインした、私の現在のパートナーのYであった。Yは、趣味で十年以上コミュニティ運営を手がけている。
Yと私とで、来る日も来る日も娘の相談に乗った。
するとあるとき、娘が思いついたように言った。
「ねえ、みんなでなりチャをやろうよ!」
ええぇっ、と私は白目をむいて仰け反った。いくらなんでもそういうことは親とはやらないんじゃないの……ましてや当時私は35歳、Yに至っては53歳のいい大人の中のいい大人である。
無理言うもんじゃないよ……しかし娘はまったく引かなかった。
ただちに私と彼のスマホからポロ~ンという音が鳴って、それは案の定、娘からのLINEグループ、その名も【平均年齢33歳でなりきりチャット】への招待だった。
「よ~し、じゃあいっちょやるか~」
なぜか突然やる気を見せ始めるY53歳。
「えぇ!?」
一体どうしたというの……動揺を隠せない母35歳。
そしてそんなことはまったく無視して、やった~!と無邪気に喜ぶ娘11歳。“平均年齢33歳でなりきりチャット”の幕は、半ば強引に上がってしまったのである。
飛鳥(娘):おはようございまーす(教室のドアを開けるとともに気だるげに挨拶すると、転校生の存在に気がつく)
直人(私):おい、お前は誰だ、名を名乗れ(教室に入ってきた飛鳥に椅子を投げつけながら)
飛鳥(娘):教室を間違えました(混乱したような表情を浮かべて、そっとドアを閉める)
直人(私):おおおおおおりゃあああああああ(今度はテーブルを投げつけながら)
舞花(Y):おはようございます。教室、ここでよかったかしら……え、何!? 何が始まってるの!?(と、教室の入口で唖然として)
飛鳥(娘):(ニコニコと微笑みながら、内心「え、なにこれ、私なんかさっきからすごい投げつけられてるんだけど」と困惑しており)…わけわかんない…(そこで舞花に気付き)…えっとバトル・ロワイアル的なものが始まってるっぽいわよ?
直人(私):おい、そこの愚かな人間ども、殺戮の授業は何時間目だ(カバンから取り出した出刃包丁を砥石で研ぎながら)
飛鳥(娘):さぁ、よくわかんないけど、あなたちょっと生まれる世界間違えてるんじゃない?(首を傾げ、顔をひきつらせながら)
直人(私):何……!? お、おい、今日は西暦何年、何月何日だ!! お、おれはまた、失敗してしまったのか……!? うわあああああ(頭を抱えて青い顔をしながら)
結果として、私が誰よりも一番満喫する形となった。
なかなか面白いじゃないか、なりきりチャット。
新しい世界に出会えたような、ワクワクする予感に胸を膨らませたのもつかの間、私のキャラの暴力性が強すぎるという理由で、娘からは二度となりチャに誘われることはなかった。
* * * * *
娘とのなりチャは悲しい結末を迎えたものの、LINE自体はもう何年も変わらず私達家族を繋ぐライフラインである。それは単に連絡のためだけのツールに留まらず、ときにギスギスしたり、ヘトヘトになったり、ピリピリしたりもする毎日の中で、簡単にユーモアをのせたコミュニケーションを実現させてくれるからだ。
ちょっとふざけたスタンプを送ったり、気の利いた返事を返したり、ウケを狙ったり。LINEの会話には逃げ道があるからいい。
沢山考えることも大事。沢山悩むことも大事。真剣になることも、たまに痛い目を見ることもきっと大事。だけど、最近特に思う。
頑張るだけでは誰しもしんどい。
一番大事なのは、ときに現実を忘れさせたり、ときに無駄を生んだり、ときに笑う力を与えてくれる、ユーモアなのかもしれない。
……だから大人の皆さん、ぜひ私とLINEでなりきりチャットしましょう。
紫原明子(しはらあきこ)
福岡県生まれ。エッセイスト。男女2人の子を持つシングルマザー。
個人ブログ「手の中で膨らむ」が話題となり執筆活動を本格化。著書に『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)がある。東洋経済、クロワッサン、ブロゴス等で連載中。