初めタスキの掛け違いをするととんでもないことに ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
日本の鉄道は、明治初期にイギリスから当時旧規格の狭軌(レールとレールの幅が狭い)が導入されました。それがそのまま全国に展開されました。写真を見て頂ければ一目瞭然で、意地になって狭い線路のほぼ倍まで車体の巾を広げて居ます。とても不安定そうですよね。
以下に、鉄道好きの私の理解をまとめてみました。
(鉄道好きな方が多く、諸説有る分野なのでおっかなびっくり(笑))
そもそも鉄道のレール幅(軌間)には、様々な規格があります。詳細は別報に譲ります。1872年(明治5年)に英国の技術指導で開通した日本初の鉄道(新橋~横浜間)は、軌間1067mm (狭軌) でした。ですからJRの在来線は基本的に狭軌です。また、専用軌道を走る鉄道は「私設鉄道法」で定められた国鉄と同じ軌間で建設することになっていました。因みに、この「私設鉄道法」の縛りはキツいものでした。
新宿駅に西武新宿線が接続できず、西武新宿駅が離れた場所にあるなど国鉄の営業優先の時代が続きました。
このようにして、世界的には少数派の鉄道網が普及してしまいました。
(馬車軌道、路面電車軌道など含め軌道を巡って様々な取り組みが有りました。京浜急行電鉄など。これも面白いですが、別報に譲ります。)
しかし、メリットも有りました。例えば、
①払下げ
私鉄は、JR(旧日本国有鉄道)の払下げ車両を利用することが可能。
(西武鉄道など払下げ車両を使っていました。)
②鉄道敷設費用の節約
トンネルなどが小さくて済み、安価に鉄道網展開可能。
曲率の大きな曲線の線路が実現しやすい。
③鉄道技術の進歩
狭軌での高速鉄道の実現技術が発達。
(中央線で実際使われていた曲線部を高速のまま通過す車体傾斜式車両(振り子台車)とか、日本の安全性の要請が高く、後一歩で実用化だった新幹線を在来線に走らせるための軌間可変電車など)
駅に入ってくるなんとも不安定な鉄道の前景を見るにつけ、この複雑な歴史に思いを馳せてしまいます。
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