見出し画像

結婚 (含企業の福利厚生を使い尽くす) その3.05 イジリのゲーム お色直し 〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式  当たり前過ぎて意識しなくなっていること

日本鋼管高輪クラブ (NKKエース高輪(ホテル))

 その1では
〜改めて考えてみた
先ずは基本的認識の整理から
ということで結婚とは何かのおさらいをしました。

 その2では、
〜始まりは婚姻届提出
ということで、婚姻届の建付けから分かる結婚を考えてみました。

 その3.01は今どきの結婚式ということを深堀りすべく先ずは昭和のバブル期に入った位頃の能天気に明るい結婚式をリファレンスとしてご紹介。
 その後主流となるホテルでの挙式と披露宴のセットとの対比で大学や会社の施設を利用した挙式and/or披露宴のご紹介をしました。

 その深堀りで大学や企業の施設が結構開放されていて稀有な設備をリーズナブルに利用できるというご紹介をしました。

 その3.02はその具体的な例を1つご紹介。

 リファレンスなので当時の雰囲気が伝わるように詳述しています。


 その3.03は、具体的な例1つのご紹介の続き。

 大安吉日、土曜日、June Brideにも拘らず日本鋼管高輪クラブは貸切状態という結婚式当日の詳細。

 ハイソカーで乗りつけ、無宗教なのに神前結婚式をし、披露宴も派手に会社関係、学校関係、親族という構成で120人を超える参加者を迎えるというミーハー(今どき使わない言葉(笑))さ。

 硬い挨拶にも笑いが散りばめられる新しいスタイルの披露宴の走り。

「〇〇(私のこと)君はロリコン(ロリータ・コンプレックスの略)

だと聞いていたが、順当な素敵なお嫁さんで安心しました。」

とか

「ホントに〇〇が研究室に来る時は、実験以外、毎月の土曜日丸一日使う研究進捗報告会、週2回の輪講のみ。無駄に研究室にダラダラ居ないのです。他の同期の4人は順当に研究室に居るのに。なので顔を見れば“あっ会議の時刻か”と分かる程徹底していました。」

などと、受取りようによっては際どいネタを…
硬い挨拶の場面でもイジる軽さと明るさが…

 その3.04はその具体的な例1つのご紹介の続々篇。

 バブル初期の披露宴は兎に角明るい。

 会社の同期が私達夫婦の写真をスライドにしてくれて見事にロリコンネタでイジってくれました。
 まぁ当時20歳の吾妹に

Love “in” at First Sight


(正に“in”で、ガッツリ魅力にLock Onされた感じ)
だったので全く動じませんでしたが(笑)

…………………………………………………………………………………………………………

 今回はその具体的な例1つのご紹介の続々々篇。イジリのゲームの話題です。

 会社の同期が良いノリで皆さんお酒も回って和やかな雰囲気ができた絶妙のタイミングで、新郎新婦へのイジリのゲームをスタートしました。

 私の場合、1番印象に残っているゲームは新郎の私が目隠しをされて3人の女性の手を握り、どれが新婦かを当てるというものでした。
 マジでガチで当てるのかよ…と内心思っていました。私なら余興なので事前に例えば1番最初を新婦にするとか忖度するよなぁとか思いつつ…。会社の同期もその3.04に紹介した等距離外交の密約とかが機能せず、かえって仇になった腹いせなのか、容赦ありませんでした。
 幸い辛うじて真下を見ると吾妹の手が見えたので正解できました。運ですね~。まぁ簡単に当てても面白くないので迷っているフリをしつつ、熟慮の末に当てるというお芝居を演じ切り、披露宴は盛り上がったというオチですかねぇ…
 その後は何故か同じく同期が企画したビンゴゲーム。何で披露宴でビンゴなのか不明ですが、皆さん酔も回って兎も角盛り上がったのは事実。

 最早単なるパーティー(笑)

 とまぁ何でこんなに盛りだくさんなのかと言うと…
実は…何と新婦は4種類の衣装を用意。お色直し3回という…当時としても流石に4着の衣装を用意した披露宴は他には知りません。
 都度新婦は中座して、まるで別人の様に全く異なる衣装で再登場。プロがコーディネートしますからそれはもう圧巻の完璧なイメージチェンジの連続技。

月並みですが私も惚れ直す感じ…(笑)

 これもその日丸一日私達が貸切状態で、披露宴の時間も充分有ったからこその演出でした。

 そして当時は新郎新婦が各々の両親に感謝をした後に、親族代表が最後に挨拶。お嫁さんを迎える家の家長

が二人を宜しくお願いしますと挨拶して完了という流れでした。

 しかし私の場合は家制度

に“違和感”も有って私が”私達を宜しく“という趣旨の挨拶をして締めました。当時としてはこれも私の知る限りでは新郎の挨拶で締める披露宴はありませんでした。

  結局予定の終宴時刻を大幅に超過する大盛況の結婚披露宴になったのでした。勿論終宴時刻は六本木での2次会との見合いで決めた時刻で、高輪クラブさんとしては特に問題ありませんでした。原宿や横浜のホテルや結婚式場に比べれば延長料金等も無く、飲食の費用も見積以下。支払総額も1人当たり1万円以下、つまり100万円程度と豪華な食事を考えるとこれも破格でした。
 下衆な話ですが、当時の結婚祝いの相場は2万円から3万円。今は何か2万円は割り切れるから3万円とか…
物理屋からすると3万円だって割れきるのに…
しかもそんなもん意味ないし…
 引き出物は知己のカガミ(各務)クリスタルさんの最高級クリスタルガラス作品で、しかもデパート等での市価の半額以下の卸値で引き出物仕様で会場まで搬入して頂いたので1人当たり5000円程度という感じでした。
 兎も角、差額分は私達の未来のためにということで…
プロジェクトとしては予想に反して大幅黒字でした。
 蛇足ですが、実は式場費用も引き出物費用も全額親持ちなので、私達夫婦としてはお祝いを丸々未来のためにということになりました。

 これぞバブル初期の結婚式の一例って感じですかねぇ
あっけらかんと皆さん楽しく笑い一杯で、主に新郎の私をイジりつつ過ごして頂けました。

閑話

 そもそも父は祖父の実業家という職業ではなく背広、ワイシャツ、ネクタイ姿で国の為に貢献する仕事、外交官を狙ったのです。都区内のビル2棟、家業、大量の株式などの家督はその時点で弟に譲るということにしました。後に知ったのですが、例えば祖母は私のお世話になった日本鋼管の株式を10万株以上持っていて、私が日本鋼管に入社した時は喜んでくれたようです。勿論その株式は父の弟の子どもたちが今は保有されていています。
 その様な流れでしたが、父は終戦直後で外交官の求職が無く、次善の選択肢であった外資系石油精製会社の会社員を職としました。そんな経緯も知っていたので、私としては父の意志を継いて

大企業を利用し尽くそう

と思っていました。
勿論、社内預金、持株会、財形貯蓄等は新入社員時から限度額一杯で利用していたことは言うまでもありません。
 また社宅も最大限利用。都区内の自宅は温存しました。社宅の利用は最大6年間の利用枠でした。転勤すればリセットされる仕組み。それを最大限利用して横浜に住み、高岡に転勤、米国に転勤(米国では駐在員なので住居費は全額支給)、

こちらが米国での住居

横浜に転勤と転勤毎にリセットされ、最後の横浜は社宅建て替えで転居したためそこでもリセットが掛かり、都合15年間、月額2万円程度の家賃で3〜4LDKの間取りの社宅を使わせて貰いました。

 最後に住んだ社宅ビラージュ常盤台公園は、今はそのままアーバンパーク常盤台公園という賃貸マンションになっています。これが新築時にも拘らず家賃月2万円程度。因みに駐車場は月3000円でした。今は築30年の賃貸マンションとして家賃月12万円という感じ。毎月無税で10万円以上の手取り収入が有ったことに相当しますから、凄いフリンジ・ベネフィットですよね~

閑話休題

 ということで

大企業のフリンジ・ベネフィット

(実父と義父も大企業勤めだったのでそれを含めて)

を最大限活用した結婚式でした。

 そして披露宴の後の2次会たるや凄いことに…

つづく


 

 


 

 
 
 
 


いいなと思ったら応援しよう!